領地へお忍びも一苦労である
お試しとしてぎこちないながらも、穏やかにひと月ほど同居した
わが公爵家領の地図やら収支決算表など見てもらい、あやしい所を探してもらう。奴隷に?と思うだろうが、彼は『智者の血』に恥じない秀才だった。本来であれば『血』の力が強く出た彼は天才なのだろう。しかし碌な教育を受けられなかったのに、独学で政治や経済学を学び、国際情勢にも詳しいという謎な男。努力の結果が見えるので、あえて秀才と言わせてもらおう
……どうやら買われた家で、こっそり勉強していたらしい。何人ものご主人様に買われたが、借金が多すぎて身柄ごと買う、いわゆる『鍵』を欲する者は現れなかったらしい
「あとは……小さな商会を経営しています、多少はご主人様のお役に立つと思われますよ」
「……奴隷なのに?」
「お金があれば商会ぐらい立ち上げられます。私は戸籍が偽造なので、商工会に登録するために奴隷商人に身元保証をしてもらったのです」
なのでお試し期間が伸びても、生活費ぐらいはありますのでと奴隷紳士
「金がないから奴隷になっているのではないのか?と言うか、……こせきがぎぞう?」
「私、実は死んでいるので戸籍が消滅しているのですよ」
なんだかあやしい、いや最初からあやしかったが。実家と縁を切るのに死んだことにするなんて、あやしすぎて正式な契約を結べず、お試し期間が伸びている状態だったりする。買ってもいいかなと思う半分、あんな優秀な人を金でどうこうしてもいいのかと葛藤中のある日、奴隷紳士が里帰り中(?)来客があった
ちなみに里とは奴隷商人のところである、念の為
「……ようこそおいでくださいました、麗夫人」
「……」
呼んでもいないのに勝手に来て、屋敷の主を無視する麗夫人こと王妹殿下、またの名を叔母上……。国王陛下の妹君で、解りやすく溺愛され甘やかされたため、非常に我侭勝手に過ごし現在独身の癖に『夫人』を名乗る方
昔はそれなりに可愛らしかったと聞くが、今はただの太ったおばさんという感じのひと。不摂生の所為か、なんとなく全体的にたるんでいる印象を受ける彼女。別に容姿が麗しいわけでは無いのに、何故か『麗』夫人と呼ばれている。もちろん名前でもない、強いて言えばあだ名か?
その麗夫人は表情もかえずに応接室に腰を据え、お茶とお菓子を黙々と食べつつも視線だけがウロウロと彷徨っていた。そして奴隷紳士からの差し入れである、うちで一番高級な茶葉で淹れた茶をまるで水を飲むようにゴクゴクと喉を鳴らし、一息ついて一言だけ言う
「奴隷はいないのかえ?」
「いません」
やっとしゃべったと思ったら、どうやら奴隷紳士に興味があった模様。現在里帰り中(?)だが、そこまで詳しく説明しなくてもいいだろうとさらりと答えると、麗夫人は立ち上がり来た時と同じように私を無視して歩きはじめる。それを家令が引き留めるも、全くの無視
初めて来た他人の家なのに、すたすたと案内も無しに玄関まで歩いて行く。まぁ、応接室の位置なんてどこの家でもわかりやすい所にあるものなのかもしれない。そしてそのまま乗ってきた馬車に乗り込む、ドアの開け閉めはさすがに御者にやってもらっていたが……
「あの方を久々に見たな」
「ですねぇ……」
私と侍女は遠ざかる王家の馬車を見ながら、そう言った
その夜、奴隷紳士が戻ってきたので麗夫人と知り合いかと問うてみたが、眉間にしわを寄せ考え込む彼。……覚えがないのか、守秘義務と言う名の誤魔化しなのか私には判断付かなかった。茶をすすっていると(わが家にあった方の安い茶だ)しばし、ため息つきつつ彼は言った
「もしかして……性奴隷に興味があって、あわよくば味見でもしたかったのでは?それ以外に私ごときに何か用があるとは思えませんね……」
まさか在宅だったら、性奴隷をちょっと貸せとか言われていたのだろうか?
「借りるくらいなら、ご自分で買えばいいだろうに」
「私は繁殖用ですから」
むしろ私より金持ちだろう、現役王族なのだからと言うと奴隷紳士は皮肉をにじませた笑顔で否定する
「その身分を使って望まれたらどうする?」
「その辺は王妹のプライドというやつで、あからさまには言ってこないのではありませんか?姪の物を自ら取り上げる程男に困窮していないが、くれるというのであれば寄越すがよい……的な?」
「やらぬ、お前は私のものだ」
まだ買っていないが、するりと言ってしまった独占欲にも似た私の言葉
「それは私を買って下さるということでしょうか、ご主人様?」
……似た、ではなく完全に独占欲な台詞だったかもしれない。素早くソファから立ち上がり、すすすと私の足元に跪き見上げる奴隷紳士。これはあれだ、捨てられた子犬の目というやつか?
ウルウルと潤ませる瞳には寂しさと……艶、もともと艶々なうえ上品という危うい魅力の持ち主(個人の感想!)が、跪いておねだりしている状況に
「……多分」
とぶっきらぼうに吐き捨てる私、誰だ素直ではないなんて言うやつは
「契約書はいつでもご用意できますよ」
「…………しばし待て」
「お待ちしております」
にっこりと微笑まれ、ついでにいつの間にか鞄から売買契約書を出し手にしていたが待てをかける。……さすがにお試し期間半年は長かったか、そろそろ決めなければいけないだろうなと目を伏せた
奴隷紳士は、わが公爵家の領地が見てみたいといいだした
「構わぬが、家令と監視を付けていけよ」
ぶっきらぼうに答えると、奴隷紳士は私の足元に跪きウルウルとおねだりの視線を投げかけるようになった。まさに足元を見られているような感じ、実際には足ではなく顔だがな。艶々な低い声で強請ってくるのである
「ご主人様に案内していただきたいのです」
「すまぬが、私はあまり外をうろついてはいけないのだ。王家からそう言われているし」
「しかしご領主ともなれば、領地領民の姿を見なければいけません。人任せにしていては、いずれ足元をすくわれます。……いえ、もうすくわれているのでしたね」
ローテーブルには夫モドキの不正箇所を赤字で記した、真っ赤な書類の山が出来上がっていた
「盛大にすくわれているぞ」
そう、すでに夫モドキから足をすくわれまくられていた。今までは家令が防いでくれていたのだが、それ以上に有能だった夫モドキはさらに巧妙に資産運営をだまくらかしていた。本当に何か対策を立てないと、私だけの家族が出来ても暮らしていけないやもしれぬ
……それは非常に困る。私は私で何か事業を始めるべきなのか。広い領地を夫モドキ1人に任せているから、ちょろまかされているのだろうし。信頼できる人手が欲しいなと、ちらりと紳士を見る。彼とは金銭で繋がっている関係だ、信頼してしまってもいいのだろうか
それとも奴隷のまま、一生?
「では、変装いたしましょう」
頭の中が深刻な状況で一杯になっている私に気が付いているのかいないのか。変装なんてちょっと楽しそうな事を提案してきた奴隷紳士、彼ならどんなに変装したって高貴さがダダ漏れである(私と違って)。こんな顔で庶民に紛れ込もうなんて、無理だとそう告げると彼はとても嬉しそうに笑う
「お褒めいただき、恐悦至極」
「褒めている訳ではない、事実を述べたまで」
ニコニコ微笑む奴隷紳士、もう何を言っても聞かないだろう。結局彼はちょっと裕福で、野心溢れる駆け出し商人設定で変装。私は……
「娘か?」
「せめて妹でお願いします、ご主人様……」
私はそこまで年ではありませんと、しょんぼりしていた。声が低いので結構なお年かと思っていたと言うと、声変わりした時にはもうこの声でしたとの事。こんな低い声の少年嫌だな……と思ったが、可哀想なので黙っておいた
「こうして改めて見ると、王都から近い穀倉地帯。随分いい領地を下さったものだな」
「えぇ、作物を運ぶのに楽ですね。穀物もいいですが、葉物野菜や果物などの比率も上げてみてはどうでしょう?魔法があるとはいえ、この近さは長期保存可能な穀物だけでは勿体ない距離です」
「夫モドキがやってくれるかな?」
「ご自分でやりましょう、ご主人様」
私たちは商人風の格好で、荷馬車に乗ってお忍び中。馬を操るのは奴隷紳士、本当に優秀なやつだなと感心する。ちなみに護衛もつけずに外出しようとしたら、どこから聞きつけたのか義理の姉上が防御と転移の魔法具を持ってきて下さった
「多分使うことはないとは思うけれども、念の為。お守りだと思ってね」
「とても高価な魔法具を頂いていいのでしょうか」
「自分で作ったものだから、それ程お金はかかっていないわ」
と艶やかな笑顔、え、自分で作ったのですか?どうやら義理の姉上は、『魔術姫』と呼ばれる魔術師なのだそうだ……。結構有名な話で奴隷紳士も知っているという、私が無知なだけだったという。しかも
「魔術姫ってどこかで聞いた事のある名だが……」
「魔術姫の名は有名ですから」
「何で聞いたのだっけ……思いだせぬ」
「思いだせないのであれば、重要ではないという事ですご主人様」
確かに何時か聞いたような気がする……、義理の姉上はまあまあと会話を切り上げ魔法具の説明をしてくれたのだった
パッカパッカと荷馬車は進む、小麦畑は金色の波を思わせた。と言っても海なんて見たことないがな
「しかし果物をつくるとしても、折角の小麦畑を潰すことにならぬか?勿体ないではないか?」
ざわざわと鳴く小麦畑、この見事な金の海を潰してしまうのは惜しい。それに農家の者にもぽっと出の小娘領主の思い付きで畑を潰されては迷惑ではないかと言うと、奴隷紳士はまずは街道沿いに何か実が生る木を植えましょうと言った
「甘扁桃仁などはどうでしょう、花も綺麗だと聞きますし観光資源になるかもしれません。姫さまのお好きな杏子でもいいですね」
「では、農業大国から教授を招けるといいのだが……」
「……魔術姫様なら魔術師の伝手があるかもしれませんね、帰ったらお聞きしてみましょう」
こっそりと街道に植樹計画と、公爵直轄領(と言う名の荒れ果てた空き地)に何か試験場的なものを作ろうかなんて話をしながら、ふと思った
「しかし畑の側に木を植えてしまったら、日が陰ってしまうのではないか?作物的にいいのだろうか……」
「あぁ、そうですね。そこまで気が回りませんでした。さすがご主人様、良くお気付きで」
「いや、花が咲くと言われたからな。どんな風景かと考えてみただけで、そう感心されると痒くなるぞ」
「どれくらいの陰ができるか、日照時間を調べた方がいいかもしれませんね。まずは魔術姫様にご相談なさってはいかがかと」
「そうしよう」
そう結論つけて馬に鞭を入れ、来た時と同じようにのんびりと荷馬車で帰ったのだった。