パリス地方にて スパイを捕らえよ3
キースはドアを細く開けて、
「名前は?」
と、低い声で聞いた。
「サイだ」
ドアの向こうから返事があった。離れたところにいる私には聞こえないくらいの小さな声だったのに、不思議と私の耳にその声は届いた。
私が覚えているものより低い声。高かった昔の声とは別物のようなのに、私にはそれがサイのものだということがすぐにわかった。
「入れ」
キースはそう言うと、人が1人分通れるだけドアを開けて私を視界から隠すような位置に立った。警戒しているような様子の人影が部屋に入って来て、キースはすぐにドアを閉めて素早く鍵までかけた。
その人物が部屋の奥にいる私を見つける。私は、サイが私を人だと認め私の顔にピントが合うまでを、時が止まったかのように眺めていた。
さらさらとした金髪の髪の毛は昔と何も変わらない。ただ、身体の線が太くなった。柔らかそうな身体が男らしくごつごつとしたラインに変わっていた。子供から大人になった。
つり上がった茶色い目が私の目と合うと、サイの表情が一変した。少し不安そうにしていたのが、強い嫌悪感を顔全体で表現する。その顔は、驚くほど昔と変わらないものだった。
「お前……騙したな!」
吐き捨てるようにそう叫ぶ。踵を返して部屋から出ていこうとするのをキースが遮る。キースに敵うはずがない。サイは魔力も能力も持っていない。それでも、私の身体は僅かに震えていた。追い詰めているのは私達のはずなのに、怖くて、怖くてたまらなくなった。
「お前に紹介したい女がいる、と書いただけだ。騙してなどいない」
キースの言葉にサイはチッと舌打ちをする。
「今更お前が俺に何の用だ!?」
再び私に向き合ったサイは私を睨み付けてそう言った。虚ろになりそうな目をサイに向けると、その後ろに立つキースの大きな体がぼんやりと目に入った。
「聞きたいことが……ある」
声が掠れてしまった。ダメだ、ちゃんとしろ、私。私は第三守護兵団、特務部隊のリコル。昔の何も持たなかったリコルではない。
意識的に息を吸い直してから本題を切り出す。
「ダイス帝国の人間をユーロラン帝国に入国させている?」
はっとサイは息を飲んだ。その反応が答えになっていると気がついて、サイは興奮した様子で私を睨み付けてきた。
「私は守護兵団の兵士になった。もし、サイが関与しているのならば、調べなければならない」
「俺だけじゃ……」
サイは一度そう言いかけて、しまった、と言いたげな顔をした。サイは自分の感情を隠すのが下手だ。腹の虫の居心地が悪ければ私を殴り、兄と喧嘩をすれば涙を堪えることができない。私の知るサイと目の前の男が繋がっていく。
サイはもう一度勢い良く口を開いた。
「お前は兄貴だけに飽き足らず、俺までも殺そうということか!?」
100%の憎しみの表情が私に向けられる。そんなことは自分でもわかっている。わかっていても、その言葉は私の胸に痛みを伴って突き刺さった。
ぐっと奥歯を食いしばって、平静を装いながら続ける。
「そうじゃない。その逆だよ」
「逆?」
「私達は不法入国者のルートを探ってる。これは何としても解決しなきゃならない。だから、サイがこの件に関わっているとしても調査する。それが兵士としての仕事。この罪は普通にいったら死罪は免れない。でも、サイが自白して真相解明に協力してくれるなら、死罪にならないように取り計らうこともできる」
「なにを……」
サイは唸った。
「人殺しの言うことを信じられるはずがないだろう!?」
人殺し、という言葉が再びぐさりと胸に刺さる。そう、私はエアルの人生を奪った。それでも────
「私のことは信じなくていい。私以外にもこの件に関わる兵士はたくさんいるから。後ろにいるキースだってそう。サイが話してくれさえすれば、上手く取り計らってくれる」
「人殺しの仲間なんか……」
「守護兵団はちゃんとした組織だよ。わかるでしょう?」
サイの目をじっと見つめる。どうか、これ以上私に弟妹を手にかけさせないでほしいという願いを込めて。
「サイが信じなくて黙ってここから帰ったとしても、私達は貴方達がやっていることを必ず突き止める。そうしたらサイは死罪になる。それは疑いようのない事実だよ」
ぐっと喉を鳴らしてサイが怯んだ。
「これがサイにとって最初で最後のチャンス。お願い、私達に話して。ソーケトルからダイス帝国の人を入国させているんでしょう? 誰に頼まれて、どういう手口で入国させてるの?」
サイの言葉を待つ。サイは顔を真赤にして、歯を食いしばりながら俯いている。
昔、サイは兄のエアルの後ろをついて歩いていた。私を虐める時もいつもエアルと一緒。とても兄のことを慕っていて、1人じゃ何もできない臆病な人間だったことを今思い出した。
「やっているのはお前達、守護兵団じゃないか」
「え?」
掠れた声を絞り出したサイの小さな声。それを私は聞き返す。
「俺は……俺達は、お前ら兵士の言う通りに動いているだけだ」
「国境の兵士か?」
キースがサイの言葉を受け取る。
「……そうだ。あいつらだってお前らと同じ守護兵団のはずだ。それなのにお前らは俺達を死罪にするっていうのか!?」
「同じ守護兵団であっても罪を犯した者に容赦はしない」
「くそっ……」
あくまでも落ち着いた様子のキースに向かって、顔を赤くしたサイは悪態をついた。
サイの言うことが本当だとしたら、ダイス帝国のスパイを入国させるのにユーロラン帝国の兵士が関わっていることになる。敵に塩を送るようなことを、何故?
「どういう方法でダイス帝国の人間を入国させている?」
キースが問い詰めるが、サイは口を閉ざして下を向いてしまった。
「ソーケトルで馬車を止めてるんでしょ?」
私が尋ねるとサイは驚いたように顔を上げる。そして、悔しそうに顔を歪めた。
「……毎回ではない」
「毎回止めてたら流石に話が広まるだろうからな」
「関所で兵士から差し入れをもらった時だけ止める」
「金か?」
「違う。パンやチーズなどの食事だ」
「金はどうやってもらう?」
「……ソーケトルで馬車を止めて、俺達はしばらくその場を離れる。戻ってきた時に御者台に袋が置いてあって、そこに……」
サイは最後まで言わずに口を閉じた。
「客の人数は減っている?」
「そこまでは把握してない。人数を確認するのは兵士の仕事だ。俺達は関与しない」
「なるほどな。どのくらいの頻度でそれは行われる?」
「『差し入れ』が来るのは10日に1度くらいだ」
「どのくらい前から?」
「始まったのは半年くらい前からだったと思う」
「半年前……か」
キースが私を見る。聞ける情報は全部聞けた、というような顔だ。
「俺のことは本当に見逃してくれるんだろうな?」
サイがキースに尋ねる。
「見逃す、とは言っていない。死罪を免れるように動く、とは言ったが」
「くっ……」
サイはキースを睨み付けた。しかし、サイの言うことが本当ならば、サイの罪は思っていたより重くなく済みそうだ。
「このことは口外するな。お前は今まで通り振る舞えばいい」
「俺がお前らの言うことを聞くと思うか?」
「思う。自分の命がかかっているんだからな」
脅しも兼ねて、キースがサイに凄む。サイは1歩後ずさりした。
「お前らの……特に人殺しの言うことを信じられると思うのか!?」
「信じろ」
キースは私でも聞いたことのないくらい凄みのある声を出した。サイが怯むのがわかった。
「リコルはこれ以上、昔の家族を傷つけたいと思っていない。お前の兄のことだって……」
キースはサイとの距離をどんどんとつめていく。サイは壁に背中が当たり、これ以上後ろに下がれなくなってしまった。
「いいか、これだけは言っておく。もしお前が裏切ったら、お前を殺すのはリコルじゃない。俺だ。リコルはお前に手が出せないが、俺はお前に何の躊躇いもなく能力を使う。リコルを傷つけようとしても同じだ。わかったな」
サイの胸ぐらを軽く掴んで、キースはそう言い放った。離れたところにいる私でも怖いと思うくらいの迫力。しかし、私のことを守ってくれようとそう言ってくれていることがわかった。
「……もし、兵士から『差し入れ』が来たら?」
「今まで通りにしていい。ただ、近いうちにその『差し入れ』もなくなるだろうがな。俺達が密入国者や手引していた兵士を捕らえたら、守護兵団はお前達に話を聞きに行く。そうしたら真実を話すよう、仲間にも促すんだ」
「……わかった」
キースの手から逃れたサイは私に顔を向けた。憎しみが滲んだ顔だった。すぐに顔を逸らすと、キースの脇をすり抜けて逃げるように部屋から出ていった。
ドアが荒々しく閉められた音が耳に残る。自分の心臓が思ったより早く動いていることに気がついて、私はふーっと長い息を吐き出した。
「……リコル、大丈夫か?」
2人きりになった部屋で、キースが私にそう尋ねた。先程とはまったく別人のような、心配していることがわかる、優しい声色だった。
「うん、平気」
声が掠れてしまった。私は、私の本心がキースに漏れないようにキースから目を逸らす。そんなことをしても、キースにはわかっているだろうな、と思った。
「この件にも守護兵団が関わっていたなんて……」
「皇帝の息がかかった者かな?」
「それは捕まえて聞いてみないとなんとも」
キースは腕を組んで壁にもたれかかる。薬物の流通に皇帝が関わり、ダイス人のスパイをわざわざ自国に入国させる。いったい、この国では今何が起こっているというのだろうか。
「サイの言うことが本当ならば、既に相当の人数がダイス帝国から入国していることになる」
「そうだね……」
それはユーロラン帝国にとって由々しき事態だ。
「関所へ行く?」
「いや、まだ兵士は泳がせておきたい。もし、俺達が気がついたとわかれば首謀者が動いてくるだろうからな。それまでに情報はなるべく多く仕入れておきたい」
「じゃあソーケトルへ?」
「あぁ。ダイス帝国の人間を直接捕らえよう」
私はこくり、と頷いて同意した。
「リコル、本当に大丈夫なのか?」
「へ?」
キースがゆっくりと私に近付いてくる。
「サイがこの部屋に来てから、ぼんやりしてる」
「そう……かな?」
私は曖昧に笑う。上手く笑えているだろうか。
「無理するな」
キースは椅子に座ったままの私の側まで来た。手を伸ばせば触れられる距離。いつもみたいにキースに頭を撫でてほしくて、抱きしめてほしいとさえ思う自分に嫌気がさす。
私はそんなことを望めるような人間じゃない。
サイの冷たい瞳を思い出す。私のことを迷いなく「人殺し」と言ったサイ。キースはああ言ってかばってくれたけれど、私はエアルを殺した。忘れたことなどなかったけれど、その事実が重く私にのしかかる。
私はエアルの人生を奪った。どんなに憎かったとしても、弟の人生を。
それは決して許されることではない。誰かに優しくされたり愛される権利など私にはない。
「リコル……」
キースの手が私に向けて伸びてきて、私は反射的にそれを払い除けた。キースは驚き、そして傷ついた表情を見せた。
私の心も痛い。痛いけれど、でも。
「大丈夫だから」
思っていたより冷たい声が出た。キースは悲しそうに眉尻を下げてから、口を開いた。しかし、聞こえてきたのはキースの声ではなかった。
「……様? キース様、リコル?」
「イオル?」
キースが首元から下げていた石を取り出すと、石は青白く光っていた。
「あ、繋がった! そうです、イオルです!」
「キース、リコルちゃん、無事?」
石から聞こえてきた声に安堵する。いいタイミングで通信が来てくれた。キースはちらっと私を見てから、
「あぁ、お前らも大丈夫そうだな」
と、石の向こうのブルーム達に向けて答えた。
●登場人物の見た目紹介
サイ・ジェネヴィカ(18)
性別:男
身長170cm、茶色い瞳
サラサラの金髪で童顔。
可愛らしい顔つきだが、本人はもっと男らしい顔になりたかったと気に入っていない。
この一家の中でリコルだけ苗字が違う。
母親がリコルを愛さないという意志表明からなのではないかと、リコルは考えている。




