パリス地方にて スパイを捕らえよ1
動揺を何とか抑えて2階に戻ったが、キースの顔を見た途端、先ほどのことが思い出されてまともに顔を見ることができなかった。
キース曰く鈍い私だけれど、流石にあそこまで直接感情を聞いてしまったらはっきりとわかる。
キースは私に好意を持っている。それも、異性として。
様子のおかしい私にどうしたんだと訝しげに尋ねるキースをなんとか誤魔化して、明日からの作戦に話を移す。
「まずはサイと接触する。私がサイの口から何か聞けるとは思えないけど、それでも聞いてみる」
サイは自分の兄が目の前で私によって壊されるのを見ている。私の能力の怖さを身を持って知っている人物だ。
だから、私がサイに触れて心を読むのは不可能に近いだろう。彼は私の本当の能力を知らなくても、誰よりも私に触れられることを恐れるはずだからだ。
「そうだな。まず問題は周りに気取られずにサイだけを呼び出す方法だが……」
「アスモはサイが関所近くの宿舎に住んでるって言ってた。関所近くに行くのは危険だから、他の場所で待ち伏せる?」
「関所の近くに街はあるか?」
「ある。小さいけどね」
「じゃあそこに呼び出すか」
「どうやって? 私が直接行ってもついてきてくれないと思うよ」
キースは腕組みをしてしばらく考えてから、もう一度口を開いた。
「サイの年齢は?」
「年齢? 18だよ」
「それなら大丈夫そうだな」
キースは1人でそう呟くと頷いた。
「俺に考えがある」
「キースが?」
意外な提案に私は目を丸くする。
「まぁ、任せてくれ。サイは俺のことを知らないわけだし、関所に行くわけじゃないんだから、危険も少ないし何とかなるだろ」
キースがそんな提案をしてくれると思わなかった。それも、私を想ってしてくれていること、なんだろうか。そう思うとドキドキと心臓がうるさく音を立てる。どうしよう、何だか落ち着かない。
「大丈夫だ、サイと話す時、俺も一緒にいてやるから。何なら俺が聞き出せばいい」
私の様子がおかしいのを、サイと対峙するのを怖がっているのだと判断したらしい。キースがそう言って私を励ましてくれる。
「聞き出すってどうやって?」
「力づくで」
「ふふっ」
キースが自信満々で怖いことを言うものだから、私はつい笑ってしまう。
「キースも私に毒されて来たんじゃない? 兵士なのに、一般人を脅すなんてことを」
「やむを得ない。助けるためだ」
ドクリ、と胸が高鳴る。助ける、というのはサイのことだとわかっているのに、さっきのキースの心の声が蘇ってくる。キースは私を守ると思っていた。私のことが好きだから。
カッと顔が熱くなるのを感じて、キースから顔を逸した。
「とりあえず今日は休もう」
「う、うん」
私は頷いてから気がつく。そうだ、今日はここでキースと寝るんだ。
チラッとベットに目をやる。私がいつも寝ていた治療用の狭いベッド。それが少しの感覚を空けて2台置いてある。今日はここで、こんなに近くで寝るの……?
昨日までも同じ部屋で寝てきたけれど、キースは少し離れたソファで寝ていた。それが今日は真横だ。
「他に、寝る場所は……?」
キースもその事実に気がついたのか、気まずそうに私に尋ねてきた。
「ない。下のアスモの部屋はいつも鍵がかかってるし」
私は絶望しながらそう告げる。ど、どうしよう。
「じゃあ仕方ない、か」
キースはそう言うと今まで座っていたベッドに横になった。
「!?」
「何だよ」
立ち尽くす私をキースが見上げた。
「リコルも早く寝ろ」
「だ……」
私は声にならない声を上げる。こんなに近くで寝るの? だってキースは私の事……
「何だよ。……別に何もしねえよ。昨日までだってそうだっただろ」
キースはそっけなくそう言うと私から背を向けてしまう。私はごくりと唾を飲み込んで、
「そ、そうだね」
と、言う。でも、そうだけど……!
それでもどうすることもできなくて、私はキースの隣のベッドにそろそろと近づく。そして、キースに背を向けてそっと横になった。
「おやすみ」
背中からキースの低い声がした。私も、
「おやすみ、なさい」
と、掠れた声で返した。ぎゅっと目を閉じるが、眠れるはずもなく、ただただ時間が過ぎていったのだった。
***
結局、ほとんど眠ることができないまま朝を迎えた。一晩中隣にキースの存在を感じていたものだから、頭がおかしくなってしまいそうだった。
今のこの私の様子をアスモに見られたら変にからかわれる恐れがあるので、アスモが帰る前に診療所を出た。向かう先は関所近くの街だ。
寝不足の状態で馬を走らせるのは辛かったが、慣れた道なのでなんとか走りきり、街に着くことができた。ここも田舎の街だが、私の住んでいたカンネよりも店や民家が密集している分、賑やかに感じる。
宿に入ると、隣同士の1人部屋を2部屋取ることに成功した。2人部屋も空いていると言われたが、私はそれを即座に拒否した。これ以上キースと同じ部屋で眠ることに堪えられそうにない。
その事実を思い出す度に顔が熱くなってしまう。キースは過剰に拒否する私に、顔をしかめて怒っているようだったが、そんなこと気にしていられない。私は顔が赤いことを気がつかれたくなくて、キースから顔を背け続けていた。
キースには「何かあったら壁を叩けよ」と心配そうに念を押されたが、私はようやくゆっくりと眠ることができると安堵した。
荷物を置くと街を見て回る。夕食を取るために酒場に入り、ついでにマスターに尋ねると、やはり御者の宿舎はこの街にはないとのこと。しかし、休みにはここへ飲みに来る御者も多いのだということだった。
宿舎への偵察は明日にすることにして「最後に会ったのはもう5年も前、サイが13歳の頃だから、今とは全然違うかもしれないけど」と前置きをしてから、私はキースにサイの特徴を伝える。
「サイは綺麗な金髪、サラサラな髪の毛だった。瞳の色は茶色。他には……」
サイのことを思い出すと、私を汚いものを見るような目で見ていた顔が一番に思い出される。サイは弟妹の中で物理的に私を痛めつけてきた。頭を使った虐めをしてきた長男のエアルの攻撃のほうが辛かったが、容赦がないという点ではサイの攻撃は痛かった。
キースに説明しようにも、そういった思い出しか出てこなくて上手く説明できない。サイが私以外の人間と対する時にどういう態度を取ってきていたのか、どういう人間なのか、驚くほど知らないことに気付かされる。
「無理に思い出さなくていい」
私の様子を見かねてか、キースがそう声をかけてくれた。キースの黒い瞳を見返す。
「人間は嫌な思い出っていうのは忘れるようにできてる。それを、無理に思い出さないほうが良い。大丈夫、外見と名前がわかっていれば、簡単に探し出せるだろう」
キースの言葉に安心して頷く。キースに大丈夫と言われると心が落ち着く。そのおかげで一人だったらここまで立ち向かえなかったであろうことにも、立ち向かえる気がするんだ。
それにしても、キースのことを妙に意識してしまって、食事中もちらちらとキースの様子を観察してしまう。黙っていると怒っているように見える鋭い瞳、すっと通った鼻筋。たまにキースと目が合っては思い切り逸らすので、キースに「なんだよ」と、不満そうに言われてしまう。
そんな時は机に目を落とすのだけど、そうするとキースのごつごつと骨ばった手が目に入る。私よりも大きな強そうな手。
私はこの手が温かくて優しいことを知っている。私が落ち込んでいると決まって撫でてくれるんだ。
そこまで思い出して、私はまた顔が赤くなってしまって慌てて頭を振る。やだ、私ってば何でこんなことばかり考えているんだろう。
私があまりに挙動不審なのか、キースに「一体どうしたんだよ」と、不審がられてしまう。私は「何でもない!」と、言うけれど、キースは眉を潜めて困った顔をしていた。
宿に戻って1人ベッドに入ると、昨夜の睡眠不足もあって、久しぶりの深い眠りにつくことができたのだった。
●豆知識
リークル神国ではアクセサリーや置物などのお土産が目立つ。
武器を持たず解放感を持って訪れるユーロラン帝国やダイス帝国の民には大人気のようだ。
ユーロラン帝国からの献上品のおかげで食物に不安のないリークル神国では、農産業よりもお土産を作る職人の方が多い程だ。
それも、リークル教の聖堂などの施設に飾られる彫刻や絵画を描くために芸術家達が移住してくることが起因しているところもある。
芸術家の多い国とも言える。




