パリス地方 帰省6
「……コル」
ダイス帝国のスパイ潜入にユーロラン帝国の馬車の御者が関わっている可能性がある。それがアスモから聞き出せた情報だ。
「……リコル」
その御者の中に弟のサイが……
「おい、リコル!」
肩を揺さぶられてはっと我に返ると、驚くほど近くにキースの顔がある。キースの手が私の肩に食い込んでいて少し痛い。キースは厳しい表情で私を見つめていた。
「え? あ……うん。ごめん、何?」
私は笑顔を作って尋ねるが、キースの表情は変わらない。
「お前、大丈夫か?」
「何のこと?」
「とぼけるな! アスモが最後に言った……サイ、だったか? その名前を聞いてからリコルの様子がおかしい」
「そんなこと……」
笑って誤魔化そうとするが、キースの表情から見るにそれを許してくれそうにない。胸の内がドクドクと嫌に大きな鼓動を立てている。
「サイって言うのはリコルの弟、そうなんだな?」
「あぁ……うん、まぁね。血は繋がってないけど」
私は身体を捩るが、キースは私から手を離してくれそうにはなかった。観念して私はキースに説明を始める。
「サイっていうのは下の弟。私が脳を破壊したのは上の弟ね。歳は18になったはずだから、職に就いてたんだね」
苦い思いをなんとか消しながら続ける。
「直接話を聞けたらいいんだけど、ほら、キースも知っての通り仲のいい姉弟じゃないからさ。あ、変な気遣いは必要ないよ? 弟だからって見逃してほしいなんて思ってないから。散々嫌な思いさせられてきたからね、お互いにさ」
そうだ、そうだよ。自分で口にしながら自分に言い聞かせる。あんなに嫌な思いをさせられてきたんだ。だから、今更気にかける必要は────
「だったら何でそんなに辛そうに笑うんだ?」
「……え?」
息を飲んで表情を引きつかせる。
「まったく気にしてないなら弟の治療費なんて払わずに見捨てればいいだけだろ? それを今までしてこなかったのはリコル自身、弟に、かつての家族に罪悪感があったからじゃないのか?」
「キース、何言って……」
「もしサイがスパイの入国に関与しているのだとしたら、捕らえなければならない。スパイの手引となるとかなり重い罪になる。最悪は死罪だ。そうなるのが怖くてそんな顔をしているんじゃないのか?」
「キース……」
無理やり上げていた顔の筋肉に力が入らなくなっていく。キースを真っ直ぐに見ていられなくなって、俯いた途端に唇が震えた。
「私は……サイの兄、エアルの人生を奪っただけじゃなくて、サイまでも……。また、弟を殺さなきゃならない……」
一度ならず二度までも弟達の人生を変える。
「わかってる、ダメなものはダメ。それだけの重い罪を犯したのだとしたら……」
「まだそうだと決まったわけじゃないだろう」
「アスモがサイの名前を出した。あいつは確証がなければそんなこと口にしない。ってことはほぼ間違いなく黒だよ。私は守護兵団の兵士。悪いことをした人は罰しなきゃ……」
自分の手で、また弟を────
「罪を犯した者を罰するのは当たり前だ。でも、その前にできることがあるだろ?」
「できる、こと……?」
私はキースを見上げる。少しだけその顔がぼやけた。
「まず直接話を聞こう。本人が改心して自白してくれるのならば、罪は軽くなる。それに、御者達が自らの意志でスパイを入国させているとは考えにくい。誰かに指示されてのことならば、死罪にならないよう、働きかけることもできる」
「キース……」
幼い頃、弟達には汚いものを見るような目で見られた。酷いこともたくさんされた。でも、それでも……
「ありがとう……」
目に溜まった涙がぽろりと一滴流れ落ちた。弟には弟の思いがあって私を嫌った。今ならそれが少しわかる。
いつまでも相容れることはなくても、同じ家で育った者同士。感情抜きでは当たれない。
それに、一番は、自分の弟を二度も殺すことになってしまうこと。そうすれば、自分の背中に背負うものが今よりも多くなる。それを今の私は辛いと思ってしまうのだ。
肩を掴まれていた手が離れて、それが背中に伸びて引き寄せられた。私はあっという間にキースの腕の中に収まってしまう。
「キース……」
温かくて大きな胸の中に収まると安心する。私はいつからこんなにキースに頼っているのだろう。いつの間にキースと一緒にいるとこんなに安心できるようになったのだろうか。
ぽろぽろと涙が零れ落ちる。私、キースの前で泣いてばかりだ。
「何で……」
「ん?」
私はキースの腕の中で涙声で唸る。よく聞こえなかったのか、尋ね返すキースの声は驚くほど優しいものだった。
「何でキースはそんなに私に良くしてくれるの?」
「何でって……」
「部下だから? 私に重い過去を打ち明けられたから?」
胸の中から顔を上げて涙に濡れた目でキースを見つめると、キースは困ったように少し顔を赤くした。そして、キースは私の顔が見えないように、頭を大きな手で包んで自分の胸にもう一度収めた。
「知らなくていい、今は……」
「今は?」
「そのうち、言う」
「?」
聞き返したくて頭を上げようとすると、強い力で頭を抑えられてしまう。私にはキースが何を言いたいのかまったく────
『好きだ』
え?
『リコルのことが好きだ、なんて言ったらこいつは困るんだろうな』
キースの大きな手が私の頭を撫でる。その手から、キースの想いが伝わってくる。
『そうじゃなきゃこんなに構うわけがないのに、鈍いやつ』
「に、にぶっ……」
「ん?」
思わず発した言葉に反応されて、慌ててぶんぶんと頭を振る。今までのことを忘れ去るくらいに頭が混乱している。キースが私のことを好き? その好きってどういう……
『この任務が終わったらちゃんと言おう。リコルは驚くかもしれないが、それでも俺はリコルのことが好きだから』
言葉と同時にピンク色の思考が伝わってくる。好きって、キースが私を? 女性と……して?
『無茶ばかりして危なっかしいやつだからこそ、リコルのことは必ず守る。俺が、何があっても……』
伝わってくる思考に堪えきれず、勢い良くキースの胸を押して離れた。いつの間にか涙は止まっていた。
「あ、ありがとう! だ、大丈夫!」
たぶん、今の私は真っ赤な顔をしてる。それを見られないように不自然なくらい頭を背けてお礼を言った。
「リコル?」
「だ、大丈夫だから! あ、わ、私一階に行ってこようかな! き、キースはここでしばらくのんびりしてて! そ、それじゃ!」
私はそれだけ言ってキースを置いて駆け出した。背後からキースの戸惑ったような声が聞こえた気がしたが、構ってなんていられない。
キースは私のことが好き。その感情が私の中に残って消えてくれない。
一階に降りると、アスモはもう出かけたのか誰もいなかった。私は床の上に座り込んで頭を抱えた。
どうしよう、聞いてはいけないことを聞いてしまった気がする。
私は久しぶりにこの能力を持って生まれた自分を恨んだのだった。
●豆知識
リークル神国巡礼のルートはいくつもあり、長いものでは1ヶ月かかる。
徒歩で歩くのは巡礼の道を体感し、最終目的地である大聖堂に向かいながら気持ちも整え、清めていくためだという。
修行の意図もあるとか。
足腰の悪い人は大聖堂まで辿り着けないので、始めの聖堂だけ行って帰る人もいるらしい。




