ナンルムルにて任務の後は2
お風呂から上がって部屋に戻ってきた。イオルは髪を乾かした後に髪の毛から足の先まで様々な種類の液体やらクリームを塗りたくっていた。レイリーズはそれを見てあれやこれやと質問したり、試しに使わせてもらったりしている。
私も勧められたが、興味がないのでベットに転がってぼんやりとしていた。今日の昼間のことが嫌でも頭に残っている。キース、怒ってたな。
キースを気絶させることができなかった後悔が頭の中をぐるぐると回っている。すぐに気絶させることができれば、キースが怖い思いをすることもなかったのに。
そもそも、気絶させる必要があったのだろうか。キースに触れた時、相手からの干渉の波動とそれに抗おうとするキースの思いが感じられた。キースは心の中で『やれ、リコル……!』と言った。感情はちゃんと残っていたのだ。
冷静になって考えれば、相手の能力は恐らく洗脳というより撹乱だ。自分の意のままに操れるわけではなく、相手の心の底に眠る殺戮衝動を前面に引き出す能力と考えた方がしっくりくる。それならば、私が触れて脳と繋がり、キースの自我に干渉すれば正常な状態に戻せたのではないだろうか。
私にそんなことができるかどうかはわからない。私は能力の使い方を教えてくれる人がいなかったこともあって、自分の能力を把握しきれていない。自分の能力を疎ましく思い、また恐れるが故に上手く使えるように努力したこともなかった。
でも、今はこのままじゃいけないんだと思う。二度と今日のようなことが起こらないように、自分の能力と向き合っていきたい。
コンコン、とドアがノックされた。私はぼんやりとしていて起き上がりたくないし、イオルも顔に何やら紙を貼り付けている状態なので、イオルはレイリーズに、
「ちょっと、出てよ」
と、言った。レイリーズは塗ったクリームのおかげでつやつやとした顔のままドアを開けた。すると、レイリーズは小さく息を飲み、ドアの外から何を言っているかはわからないが低い声が聞こえてきた。レイリーズは頷くと、私を振り返った。
「リコ。キースさんです」
キース。私は目の前が暗くなる思いがした。昼間のことを聞きに来たのだろう、とすぐにわかる。私にだってわかっていた。キースにちゃんと説明しなければならないこと。命を預けられない相手とは一緒に仕事をしたくないだろうから。
私は立ち上がって衣服を軽く直し、ドアへ向かった。レイリーズが不安そうな顔で私を見ている。
「ありがと、レイ」
軽く笑みを作ってレイリーズの肩を叩き、ドアの前に立った。そこには、恐らくお風呂上がりなのだろう、まだ乾ききっていない髪の毛で固い表情のキースがいた。
「下に」
私は頷いて部屋を出てドアを閉めた。キースが先に階段を降りていく。共用のリビングに着くと、そこには誰もいなかった。テーブルに中身の入ったコップと入っていないコップ、水差しに入った水が置いてあった。
キースは先にソファに座ると、空いているコップに水を入れた。私がキースの前のソファに座ると、キースが無言でコップを置いてくれた。
お礼を言って口をつけると、ひんやりとした水が喉を通って胸の下まで流れていくのが感じられた。キースは何も言わずにテーブルをじっと見つめている。
本当に悪いことをしてしまった。私の頭の中に残る恐怖を、キースは今も持っているだろう。さらに、後悔や自分を責める言葉も。
私は目を閉じてあの時のことを思い出す。忘れたことはなかった。しかし、こうしてしっかりと思い出すのは久しぶりのことだった。
キースに話そう。そうぼんやりと決意していた。話したらキースは私のことを恐ろしく思うだろうか。使えないやつだと思うのだろうか。
それでも話さなくては。今まで誰にも話したことのなかったことだが、不思議なことにキースになら話してもいいか、と思う自分がいた。
もう一度水で喉を潤してから、私は口を開いた。
「私ね、物心ついた時には両親がいなかったの」
キースが顔を上げて私を見た。
「血の繋がらない母親と、血の繋がらない弟妹がいる家に住んでた。私を育てた母親は何も教えてくれなかったけれど、街で聞いた話だと私の実の父親と再婚してたらしくて。でも、父親はすぐにどこかへ行ってしまった。私だけがあの家に残された」
パリス地方の汚く小さな家だった。キッチンに居間、寝室が一つ。冬は寒さも夏の暑さも遮ることのできない家。
「母親は私のことを憎んでた。自分を捨てた男の子供だもんね、当たり前だと思う。私は弟妹とは違う扱いを受けた」
温かいベッドで寝る母親と弟妹達。私はキッチンの床に轢かれたマットの上で寝ていた。食事も余り物、洋服もサイズの合わない汚いものばかり。
「それは別に良かったの。きつかったのは意地悪されること」
私はわざと可愛い言葉を選んで微笑んだ。それなのに、キースは厳しい顔をして拳を握りしめた。憎らしいものを見る顔。あぁ、そんな顔をしてくれるんだね。
母親が私に酷い扱いをするのだから、弟妹達もそれが当たり前に育った。子供のすることは時に大人よりも酷いことがある。ここで詳しく語りたくないほど、私は酷い嫌がらせを受け続けた。
家ですらそうなのだから、街へ行っても優しくされることはなかった。大人は良くて哀れみの目を向けるだけ、子供は同じように私を虐めて楽しんだ。
特に私は人の心が読めてしまうから、それは精神的に辛いものだった。言葉と同じく悪意までもが私の身体に突き刺さる。
「私も子供だったんだよね。今だったら我慢できることも、その時はできなかった。意地悪に意地悪で返したりするもんだから、さらにエスカレートしてね。それでも堪えてきたんだけど、とうとう爆発したんだよ」
私は目を伏せた。
「15歳の夏だった。親がいなかったから自分の能力について誰も教えてくれなかったんだけど、その頃には少しずつ使えるようになっててね。試しに使ってみたら成功して周りにも怖がられ始めてたし、ちょっと調子に乗ってたの。そんな時、私の一つ年下の一番上の弟に酷いことされて、カッとなった。それで、腕を掴んで能力を使った」
あの時の感覚。今も覚えている。
「結果的に言うと、私は失敗したの。頭に血が登っていたせいで能力の制御ができなかった。それで、弟の脳を壊してしまった」
大丈夫と思ったのに声が震えてしまった。キースが息を飲んで、喉がごくりと鳴るのが聞こえた。
「力を強く使いすぎたんだよね。それで弟は……あ、生きてはいるよ。でも、私が脳を壊してしまったから、もう喋れない、自分じゃ動けない。生きているだけの人形になってしまった」
何も溢れることがないよう、目にしっかりと力を入れた。
「今日、キースを気絶させようとした時、その時のことが頭を過ぎって……。それで、できなかった」
思い出すだけで手が震える。私は自分の身体を自分で抱きしめてそれを必死に止めた。
「弟のこと憎んでたのに、それなのにこうして今でも思い出すなんてね。やっぱり怖いのは自分がそういうことをできる能力を持っているということ、なんだと思う。誰かの人生を終わりにさせてしまったこと、そのことが……」
私は頭を振った。
「兵士なんだから誰かを殺すなんて当たり前のことだと思う。今回のことは完全に私の過失だよ。それにね、私がキースを気絶させなかったことによって、キースにその時の私と同じ思いをさせそうになってしまった。それを謝らなきゃって思って。きっと、キースは私を傷つけてしまっていたらすごく後悔すると……思うし」
ちゃんと言わないと。滲む視界と震える身体で私は何とか言葉を続ける。
「だから、次からはちゃんと……」
「リコル!」
突然身体に衝撃を感じて、私は温かい何かに包まれていた。キースの胸だ。そう理解した途端、私の目からは涙が零れ落ちた。
「もういい。俺のことはもういいから……」
いつの間に側に来たのだろう、キースは私の隣に座り、私をきつく、きつく抱き締めている。私の目からは止めどなく涙が流れていた。何でこんな────
私の頭は混乱していた。何故泣いているのか。何故キースに抱き締められているのか。私はただ嗚咽が漏れないように必死に口を閉じることだけを考えていた。
キースが私の頭を自分の胸に優しく押さえつけた。
『元はと言えば俺の失態だ……』
後悔の念がキースの手から私の頭皮を通じて流れてくる。私はふるふると首を振った。違う、違うよ。そう言いたいのに、上手く言葉が出てこない。
「我慢するな。俺は別に気にしない。誰かに言いふらしたりもしねえよ」
その言葉を聞いて私の口からは、
「う……っ」
と、思わず嗚咽が漏れた。一度出てしまえば止まらない。私は嗚咽を漏らしながら思いっきり泣いた。情けなくて恥ずかしい。そう思ってももう止まらなかった。
キースからはさっき私が口にしたことを反芻するような念と私を気遣う言葉が伝わりつづけていた。
生い立ちや弟のこと。それがここまで私の奥底に残っているなんて知らなかった。キースはそれを聞いて、それでも私を受け止めようとしてくれているのだ。
私は今まで誰かにここまで気遣われたことがあっただろうか。私の周りにはいつも私を嫌う人達の存在しかいなかった。それが特務部隊に入ってから変わった。
心から私のことを心配してくれたキースとイオル。私を愛称で呼び、悩みを相談してくるレイリーズ。そんな存在が私の側にいたことは今まで一度だってなかった。
どうしたらいいかわからないくらい温かい。ダメ五から来たただの同僚や部下でしかない私に何故そこまでしてくれるのだろうか。
涙も落ち着いてきて、キースの服が私の涙でぐっしょりと濡れていることに気がついた。私は意を決してキースから離れ、
「ごめん」
と、呟いた。
「別に……いい」
キースは私から少し離れて改めて座り直した。
「ひどい顔」
「うるさい」
私はキースから顔を背けた。瞼が重い。確かに今の私は酷い顔をしているだろう。
「今は能力のコントロールは出来てるんだろ?」
「うん、苦手ではあるけど」
残った涙を拭いて私は続ける。
「もし次、また同じようなことがあったらちゃんと出来るように心構えしておく」
「俺が操られなければ済む話だ」
私を気遣ってくれているのだろう。そんなキースにこの先も話してしまおう、そう思えた。
「いい機会だから言っておくね。私が情報屋に慣れていた訳」
改めてキースの顔を見る。
「弟のことがあった後、私は母親に殺されそうになった。自分の息子を殺したんだから当たり前だと思って私も受け入れようとしたんだけど、それを弟の診察で来た医者が止めたの。それで、私はその医者の男の家に厄介になることになった」
「殺すなら俺にくれ」あいつはそう言ったんだっけ。
「私は男の診療所で暮らすことになった。もちろんタダじゃなかった。男の仕事を手伝うことを条件に、置いてもらったんだ。私にはそれしか選択肢がなかったから、受け入れるしかなかった」
「医者の仕事……だからリコルは治療ができたのか?」
私は軽く笑って首を振った。
「ううん。あいつは私に医療のことには一切触れさせなかったよ。手伝った仕事は情報屋の方」
「情報屋……!?」
「街唯一の医者だったから、必然的に情報が多く集まってくるんだよ。それに目をつけた人間があいつに情報を聞きに来た。それで成り行きで始めたんだってさ」
「なるほど……それで……」
コクリ、と私は頷いた。キースには言えないけれど、あいつは私の能力を知っていて利用するために助けたんだ。私の本当の能力。それを唯一知る人物があいつだ。
何故知っていたのかはわからない。私の父親に聞いたのだろうと思うけれど、直接聞いたことはない。そんなことは、あの時の私にはどうでも良かった。
「あいつの小間使いとしていろいろさせられたよ。情報を仕入れたり、あいつに言われて代わりに提供してやることもあった。能力のコントロールはそこで使いながら学んだ。しばらくは弱めすぎて気絶させられなかったり大変だったけど、今ではなんとか」
「そうか……」
キースは腑に落ちたような顔をしていた。
「私はあいつが持ってた本で勉強して、守護兵団に入った。弟の治療費、前借りしてた分と今もかかってる分を返してるんだ。だから、お金が必要だった。この調子で特務部隊にいられれば返していけると思う」
「それがリコルの守護兵団にいる理由か」
「うん」
弟の治療費は高額だ。口から十分に食物を摂取できない分、毎日の栄養を薬で賄っている。そのために私は稼いで返さなければならない。
「第五守護兵団の給料じゃ足りなかったから、助かったよ」
「そう、か」
私は微笑んでみせたが、キースは複雑な表情をしていた。
「それが私の生い立ちのすべて。私の事、少しは信頼できそう?」
「あぁ、十分だ」
「じゃあ改めて。よろしくね、隊長」
手袋を外した右手をキースに差し出した。自分からこうして誰かに触れようとしたことは初めてじゃないだろうか。
「あぁ」
キースはしっかりと手を握ってくれた。改めて頑張ろう、と淀みのない気持ちが伝わってくる。
情けない姿を見せてしまった。私は、私を受け入れてくれたキースのためにもここで頑張らなければならない。どんなに難しい任務であっても乗り越えてみせる。そう私は決意を新たにしたのだった。
●能力紹介
イオルの通信能力
自分の血を分けて作った石のある場所と通信を繋ぐことができる。
通信が傍受される心配はない。
他にも壁を一つ隔てた隣の部屋の盗聴ができる。




