■第57話 止まらない気持ち
『もう大丈夫・・・
・・・もう、怖い目になんか遭わないよ・・・
大丈夫・・・ 大丈夫・・・ 大丈夫・・・・・。』
コースケがリコを優しく抱きしめ、背中に回した手でトントンと肩を叩いた。
その打ち付けるリズムは穏やかでやわらかくて、怯え震えるリコの心に沁み入る。
いまだガタガタ震え続けるリコの頭を抱えるように両腕で包み込むと、コースケ
の頬がリコの左耳に触れた。
互いの洋服の厚み数ミリしか、ふたりを隔てるものはない。
リコの胸に、コースケの閑やかな心臓の鼓動がトクリトクリと伝わって。
まだ少し震えているリコを、コースケは『大丈夫、大丈夫』とやさしく繰り返し
落ち着くまで抱きしめていた。
それはまるで、泣きじゃくる赤ん坊をあやす親のように。
心臓が、止まるかと思った・・・
息を吸っては吐くだけの行為の仕方が分からない。
今までどうやって無意識にそれをしてきたのか、全く思い出せない。
胸にはすでに満杯に熱いものが満ちていて、これ以上吸い込んだら破裂してし
まいそうで。
リコの肌と触れているコースケの首筋から柔軟剤のにおいがかすめる。
黒く短い髪の毛は見た目よりやわらかくて、包んでくれている腕や肩は思った
よりガッチリしてと男らしくて、もう少しで唇が耳たぶに触れそうな距離で聴
こえるその声は、至近距離だとこんなにも低くて甘いのだと知った。
少しずつ恐怖がおさまってゆくのと引き換えに、コースケに抱き締められている
この状況に心が追いつかなくなっていたリコ。
どきん どきん どきん どきん どきん・・・
狂ったように心臓が高速で跳ね上がる。
しかしリコの胸に感じるコースケのそれは、こんな状況でも至って穏やかで落ち
着いていて、互いの気持ちの温度差をいやというほど感じさせられる。
どきん どきん どきん どきん どきん・・・
(私だけ・・・
・・・私だけなんだ、こんなにドキドキしてるのは・・・
どうして・・・
・・・どうして、コレをなんとも思わないの・・・?)
ぎゅっと強くつぶったリコの目尻から涙が一筋あふれて流れる。
呆然として体の横で垂れていた小刻みに震える手をゆっくりゆっくり動かすと
コースケのTシャツの背中を少しだけ掴んだ。
そして、もう片方の手をコースケの背中に回す。
コースケの大きな肩に顎を乗せ、しがみ付くように体を寄せた。
一生分の勇気を使い果たした気分だった・・・
(苦しいよぉ・・・。)
リコは嬉しさと恥ずかしさと戸惑いとやるせなさで、そのまま動けなくなって
いた。
どのくらいこうやってコースケに抱き締められていたのだろう。
一瞬のことのようにも感じたし、とてつもなく長い時間にも感じた。
ちゃんと呼吸は出来ていたのか、心臓は動いていたのか、頭の中は真っ白で
一言さえも声を発することが出来なかった。
すると、リコの尋常ではない怯え方がおさまったのを胸に感じたコースケが、
そっと体を離してリコの目を覗き込むようにして見つめる。
『ほら、大丈夫だろ?』
そう言って大きな手でリコの頭をガシガシ撫で、心から安心したような顔で
やさしくやさしく微笑む。
リコは瞬きも忘れてその笑顔を見つめていた。
(好き・・・
好き、好き、好き・・・
・・・コーチャン先生が、 好き・・・。)
胸が焦がれるほど、呼吸が苦しくなるほど、涙が溢れそうなほどそう思った。
(好きだよぉ・・・・・・・・・・・・・・。)
すると、リコは思わず訊いてしまった。
訊かずにはいられなくなっていた。
張り付くようにきゅっと締った息苦しい喉を通って、震える声が零れる。
訊かなくても分かっているのに、聞いたら打ちのめされるのは分かっているのに。
『コーチャン先生・・・
・・・マリさんの事が、好きなの・・・?』
その瞬間、コースケの顔が見る見るうちに曇っていった。
それはコースケがはじめて見せる少し怖い表情だった。




