第二十七話「《アル・アジフ》が開いた門」
頁に触れながら、九重は静かに語った。
「この年になって死を恐れはしない。だが悔いはある。お前を手にして数十年――ついぞ神秘には出会えなかった」
神秘や怪異とおぼしき事件は、過去の文献にのみ存在した。
「材料を揃え、呪文を唱えても、何も起こらない。研究を重ねるほど、むなしさばかりが募ったよ」
その言葉に呼応するように、頁がひとりでに捲れる。
耳の奥で、囁くような呪詛がこだました。
だが九重は眉ひとつ動かさない。
「はは……足らんよ。棺桶に片足を突っ込んだ老人には、この程度では意味がないのだ」
そのとき――
《アル・アジフ》の頁の隙間から、玉虫色の水泡が浮かび上がった。
こぶし大のそれは、ふわりと宙に舞い、やがて数を増す。
水泡は人の顔ほどに膨らみ、九重の周囲を取り囲んだ。
その内側には――玉虫色に彩られた銀河。
幾千の星が螺旋を描き、遥かな時空の彼方を映している。
「……これは?」
次の瞬間、水泡が一斉に弾けた。
玉虫色の銀河が書庫を覆い尽くす。
重力が消え、空間が捻れ、現実が音もなくほどけていく。
老いた肉体が剥がれ落ち、魂だけが銀河の渦に吸い込まれていった。
確かな死を感じながら――
「はは……はははは!」
九重はただ笑った。
やがて銀河は、ゆっくりと消える。
九重と《アル・アジフ》もろともに――静寂だけを残して。
そして物語は始まった。
▼次回「自称・エルメナスの英傑」
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