27.オチでスベる。
身代わりもばれ、日本にも帰れないとなったら、心配すべきは生活だよね。
具体的には衣、食、住。ぶっちゃけて言えばお金です。マネープリーズ。無一文で放り出したら三代祟ってやる。
あたしの扱いについては、国賓として城に迎えると言ったエリー王子にセフェリノが反対した。
その、あたし以外……は、伴侶に迎える気はないそうです……。
あのっ! 髪に触るのは百歩譲っていいとしても、ほ、ほっぺうにうにするとか不意をついてハグとか、スキンシップ過多ではないでしょうか!? セフェリノさんっ!
抱き込まれた腕の中であわあわ攻防している頭上で、氷竜と王族の間に新たな約条が交わされた。
これまで通りなのは、ソレールの守護と引き換えに花嫁をもらうこと。新たに盛りこまれたのはあたしに対する最大限の便宜。国政に関与はできないけど、どこにいっても王様並の待遇を約束された。
何を買っても支払いは王族持ちなんだって。国の予算として出ている王族のお金だろうし、エリー王子のお小遣いなら微塵の遠慮もなくスイーツが食べられます。
ソレールの食事はおいしいから、街に出て屋台の食べ歩きとかしてみたいなぁ……おっと。
口元を拭っていたらセフェリノが付き合うと言ってくれた。氷食なのに。かき氷があるといいね。
神殿に帰ろうと大広間を出たら、メイドさんたちを従えたディアナ姫がいた。
みんな途惑った顔でざわめいている。王子はこんがりであたしはこの姿、広間の奥には蟲入り琥珀をはるかに超えた氷塊があるし、無理もない。
エリー王子がディアナ姫に耳打ちすると、大きな黒瞳が険しくなった。氷竜を隷属できなかった報告かな。……すごく睨まれてるんだけど、妹になに言ったんだ。
「氷竜様!」
駆け寄って来たディアナ姫はセフェリノの前で足を止め、腰をかがめて優雅な礼をした。
白いドレスに金糸の刺繍が華やかにほどこされ、縫いつけられた宝石が朝露のように光る。差し色の青に何をモチーフにした装いなのか一目でわかった。結い上げられた黒髪を飾るのは水晶でできた花だろうか、キラキラ透明なそれは氷の花にも見える。
「お会いできて本当に嬉しいですわ。わたくしはこの国の第一王女、ディアナと申します。いろいろと行き違いと誤解があったようですが、あなたの妻になるべく参りました。よろしくお願いいたします」
はにかむ笑顔や守りたくなる愛らしい風情には、セフェリノをペットにしてあげると宣言した面影はどこを探してもない。エリー王子が向こうで頭を抱えていた。
わ、最近のお姫様って積極的だ。すっと距離を詰めたディアナ姫はセフェリノの腕に手をかけた。
間近で見たら本当に月とすっぽん。黒髪ってだけでよくあたしを身代わりにしようとしたもんだと感心する。こんなに可愛い子からお嫁さんにしてって言われたら、誰だってふらっときちゃうよね。
……微妙におもしろくない。こっそり反応を見てみると、金色の瞳はあたしでもゾクリとくるほど冷やかだった。自信に満ちていたお姫様の微笑みが引きつって壊れた。
セフェリノはディアナ姫の腕を振り払い、逆に掴み上げた。
「――我の伴侶にだと、どの口がぬかす? あの時は事情がわからぬゆえ黙っていたが、サンへ立てた爪、よもや忘れてはいまい」
み、見てたの?
少女の甲高い悲鳴が上がった。セフェリノに握り締められ、血の気を失った細腕は指先にかけて真っ白になっている。
「セフェリノっ! 腕が砕けちゃうよっ!」
あたしは必死で二人を引き剥がした。くっきりと指の痕がついた腕を抱えてディアナ姫が崩れるようにしゃがみこんだ。震える主人をメイドさんたちがとり囲んで支える。
「女の子にひどいことしちゃだめっ!」
「貴女は誰も彼も許すのか」
「そんなことない!! …………あたしは聖人君子じゃないから、王子たちを許すことはできないよ……。だけど乱暴なことは嫌。セフェリノもしないで、お願い」
召喚した人たちを許すことは永遠にないだろう。親しい人や日本での生活を根こそぎ奪ったのは彼らだもの。ただその報復を力で行いたいとは思わない。あたしのはやさしさじゃない。現代人の常識が暴力を拒むだけ。
「王子、あれの名を」と呼びかけたセフェリノへ、成り行きを見ていたエリー王子が頷いた。あたしにも聞こえる声で告げられたのはひとつの名前。
「“ディフェルミアナジェスタ”、二度と我が伴侶と我に触れるな」
「…………は、い……氷竜さま」
真名を縛られた王女はわななく唇を噛みしめ項垂れた。
「あれらの振る舞い次第だが、無闇に手は出さない」というセフェリノの言葉にホッとした。ディアナ姫の様子では、もうあたしに触れることはないだろう。
「王子、我が望むのはサンだけだ。いつまで王女の身代わりとして扱うつもりだ?」
「はいっ、あたしもそれ気になってた!」
不快げに顰め面をするセフェリノの横で、ぴっと手を挙げる。
まさかディアナ姫だと言うわけにもいかないだろうし、人種が違いすぎて双子も隠し子も通らない。
「王家に迎えることもできますが……」
「ぜっっったいヤダ」
ロイヤルファミリーに加わりたいなんて願望は一ナノグラムもありません。
エリー王子はわかっていたという風に苦笑した。
「真実を公表します。新たな約条のことを含め、ありのままを国民に伝えます。愚かなわたくしの行動を如何にとらえられるかわかりませんが」
「まさかっ……国民に明らかになさるおつもりなの、お兄様!」
ディアナ姫が「信じられないわ!」と叫んだ。
あたしは不思議だった。エリー王子の判断は妥当だと思う。真実を明らかにしないで事態を収める方法なんてあるの?
「……ねえ、隠しておくつもりだったの?」
「おまえっ、そんなこともわからないの!? これは内部に留めるべき事柄よっ。氷竜と王族の婚姻は、強い結びつきを国内外に知らしめるための因習なんだからっ!」
因習ならセフェリノのお父さんがすでに破ってるみたいですよ……。
「わかってないのはお姫様でしょう? あたしはあなたの身代わりで、花嫁が王女と決まっているなら、あたしが“ディアナ姫”になるんだよ?」
ディアナ姫の顔が怒りに染まった。
「~~馬鹿なことを言わないでちょうだいっ!!」
「怒鳴る前にちょっと考えてみようよ。身代わりが発覚しないと困るのはどっち? 公表しなかったら一生日の当たる場所に出られないんだよ、お姫様が二人もいたらおかしいでしょう。それとも、今度はあなたがなってみる? “あたし”の身代わりに」
逆転した立場に気づいたようで、黒い瞳に恐れと悔しさがあふれていた。
大丈夫。王女の地位を奪ったりしないよ。あたしにはいらないものだ。
「あなたは真実を公表して、王族の義務から逃れようとした王女として生きるしかない。謗られることがどんなに屈辱でもね」
今回のことがソレールの国民にどう受け止められるか、それはわからない。王族は責められるのか、仕方がなかったと許容されるのか。
一人でも責める人がいればいいな。
罪の報いとして、彼らを責める人が現れるといい。
――疲れた。
ぎゅっと隣の手を握り「帰ろう」と囁くと、大きな手が力強く握り返して、あたしを城から連れ出してくれた。
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神殿の前まで戻ってくると、セフェリノが氷竜に変じた。巻き起こる風に髪がなびく。
月明かりもいいけど、太陽の国を守護する氷竜は、陽の下で見るのが一番綺麗だと思う。
広げられた翼の端にまで光が行き渡ると、氷の鱗は水晶のように七色の虹を躍らせたり、皮膚の色を蒼く透かしたりと、角度と影によって違う面を見せる。眩しさにか縦の針に絞られた瞳孔。面積を増した金色の虹彩が一際鮮やかだった。
頭に響くのは涼やかな声音。
『――我が翼で貴女を送り届けることができればいいと願うが』
氷竜の翼は大空を飛ぶためのもの。
日本は遠い。
この空の果てまで連れて行ってもらっても、見つからない。……帰れない。
詫びるように寄せられた氷竜の頭に抱きついた。
「ありがとう、セフェリノ」
彼はいつもやさしい。
ねえ、そんな苦しい眼をして自分を責めないで。セフェリノが悪いんじゃないよ。
《竜心珠》を呑みこんで眷属になったからか、氷の鱗は不思議と冷たさを感じなかった。
「……あたしの世界では、月は太陽の光を反射して輝いてるの。太陽ってね、強い星なんだよ。あたしも強くなれるといいな……“サン”だから」
ただひとつ輝いて他に光を与えるように。
強くなりたい。
いつかセフェリノに、あたしを救ってくれたようなやさしさを返したいから。
氷竜が喉を鳴らし、腕の中から頭を抜いた。ぬくもりのある金色の瞳が真摯にあたしを見つめていた。
『弱さを嘆き、足掻こうとする心が貴女の強さだろう。私の生に喜びの光明をもたらした愛しい人。――サン、貴女は永遠に私の太陽の姫だ』
……反則だ。
あたしはうずくまって顔を覆った。
強くなりたいという決心が脆くも崩れて、嗚咽がこみ上げる。氷竜が慌てたように頭を寄せてきた。アフターケアするぐらいなら、泣かせないでよぅ……。
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セフェリノと出逢ってから三十日経ちました。
いよいよ今日は結婚式。
結婚、という言葉が面映ゆいけど、セフェリノと一緒にいられる一番自然な形だから、照れくささにジタバタしたい衝動をぐっとこらえています。二度目のウエディングドレスが着崩れちゃうもんね。
神殿の前には相当な人数が集まっているらしく、控えている神殿内にも絶え間ないざわめきが聞こえる。
虫籠を断固拒否したあたしは、氷竜の頭上にぺたんと座ってそわそわとお披露目の瞬間を待っていた。
『サン、落ちないようにやはり籠を……』
「だいじょ~ぶだって、鱗で滑らないコツはつかんでるから! お弁当状態であたしを咥えてたら恐ろしい氷竜のイメージそのままでしょ? あえて花嫁を頭に乗っけるお茶目さで親しみをもってもらおう作戦なんだから! つかみのコツはインパクトだよセフェリノっ!!」
心配性の竜に言い聞かせていると高らかにラッパが鳴った。
登場の合図だ。慎重な足取りで神殿を出た氷竜の足元に見えた光景は、溢れかえる人、人、人だった。ドッと地鳴りのような歓声が起こる。これだけたくさんの人間を目にしたのは初めてで緊張する。
あたしは重なり合って押し寄せる歓呼に応えようと立ち上がりかけ――。
「ふぎゃっ!」
氷の鱗はやっぱりつるつるでした。
氷竜の眉間から鼻先をスライディング通過、のち落下。聞こえる歓声が悲鳴とどよめきに変わった。
ドレスが大きく風をはらむ。浮遊感と遠い地面に「これは死ぬ」と走馬灯が駆け巡ったとき、あたしはセフェリノの前足でナイスキャッチされていた。
ばくばくと猛烈な動悸の胸をおさえ、見下ろしてくる金色の瞳にエヘ、と誤魔化し笑いを浮かべてみる。
「……つ、つかみはバッチリ?」
はぁっと吐かれた特大の冷たい溜息が、あたしの髪とウエディングドレスに霜をおろした。
…………イロんな意味で寒かったです……。
最後まで読んで頂き、本当に有難うございました。