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プロローグ



午後の日差しは、容赦がなかった。


空は、現実とは思えないほど澄み切った、果てしない青に染まっている。


木々でさえ、夏の暑さに疲れ果てているように見えた。


校舎の外のどこからか、かすかな蝉の鳴き声が聞こえてくる。


桜島高校。


二年B組の教室は、いつも以上に騒がしかった。


退屈な数学の授業。


「ひそひそ……」


「ええっ――! 本当に!?」


「そんなの、ただの噂に決まってるよ。信じちゃダメだよ、玲さん」


彼女はひどく緊張していた。


「でも……昨日、あの人を見たの」


「本当に怖い顔をしてた。それに、あの場所でシャベルを使って何か掘ってたんだよ……!」


「あの場所……?」


「でも、そんなところに入っていくほど勇気のある人なんて――」


その瞬間。


教師が、指でひねるようにして持っていたチョークをへし折った。


クラスの騒がしさに、ついに耐えられなくなったのだ。


教室は、秒を追うごとにさらに騒がしくなっていく。


机が軋む。


会話が重なり合う。


後ろの席では、誰かがやたらと大きな声で笑っている。


別の生徒は、教師なんて存在しないかのように友人へ小声で話しかけていた。


教室の前では、教師がゆっくりとチョークを置いた。


そして、深く息を吸う。


次の瞬間――


バンッ!!


教師はチョークを机に叩きつけた。


「お前ら、たまには俺の授業に集中できないのか!?」


教室が、一瞬で静まり返った。


教師はこめかみを押さえる。


「お前らのせいで、いつか本当に病気になりそうだ……」


短い沈黙が流れた。


すると、教室の後ろのどこかから――


「じゃあ先生……もう引退したほうがいいんじゃないですか?」


次の瞬間。


教室中が爆笑に包まれた。


「プッ……」


誰かが笑いをこらえようとした。


だが、無理だった。


「ハハハハハ!!」


教師が生徒たちに怒鳴り声を上げる。


(……ああ、また始まったよ。毎日毎日、よく喧嘩するなぁ……)


(早く家に帰って、スチールビートルで遊んで、それから風呂に入りたい……)


セイイチは窓の外を眺めていた。


ふと、窓際の一番後ろ。


隅にある、誰も座っていない机が目に入った。


「……あれ、キヨシ。また休みか……」


セイイチは空席を見つめる。


「何日休んでるんだっけ?」


「一日、二日、三――」


そこで、数えるのをやめた。


何かがおかしい。


セイイチは、空っぽの席を見つめ続けた。


騒がしかった教室が、突然静まり返る。


――いや。


静かになったわけじゃない。


そこには、生徒たちがいる。


それなのに――


セイイチは顎に添えていた手をゆっくりと下ろした。


そして、何か灰色がかった、人のようなものが――


「リィィィィン――!!」


学校のチャイムが鳴り響いた。


途端に、教室の騒音が戻ってくる。


セイイチは我に返った。


……今のは、きっと自分の想像だ。


「……は? 今の何だったんだ……。ああ、やっぱり少し寝ないとな」


数学教師は、B組の生徒全員に追加の宿題を出した。


生徒たちは、まるで初めて罰を受けたかのように、教師をからかったことを後悔していた。


セイイチは、こんなくだらない騒ぎから少し離れるため、少しだけ昼寝をすることにした。


――10分後。


「おい、おい、おーい!」


セイイチは目を覚ました。


「うるさっ……!」


こんな大声で耳元で話されたら、誰だって起きる。


「おい、セイイチ。何回呼べば起きるんだよ」


セイイチは、本当に眠っていた。


「……ああ、コウ! な、なんだよ。何か知らせに来たのか?」


「そうそう! 今度の日曜日、俺たちの冒険部の任務があるんだ。宿題を終わらせるの、忘れるなよ! じゃあな!!」


コウはものすごい勢いで話すと、あっという間に教室を出ていった。


セイイチは呆れたように呟く。


「……本当に、よく喋る奴だな」


そして、もう一度空っぽの席を見つめた。


「はぁ……まあいいか。家に帰って、まず風呂に入ろう」


本当に、ほんの少しだけの昼寝だった。


セイイチは荷物を鞄に詰め込み、家へ帰る準備をした。


彼の家は、学校から約一八〇〇メートルほど離れた場所にある。


自転車で真っ直ぐ約四〇〇メートル進むと、道が二つに分かれていた。


左と右。


右へ進めば、そのまま家へ帰ることができる。


だが、左の道は違った。


細い未舗装の道が、森の奥へ向かって真っ直ぐ伸びている。


木々の向こう――


さらにその先には、妻籠村へと繋がっている道でもあった。


【注:妻籠村は長野町の一部であり、長野町唯一の村である。】


長野町の人々が、この未舗装の道を使わなくなってから、四十一年以上が経っていた。


正確には――四十一年。


もちろん、セイイチにそんなことを知る理由はなかった。


セイイチは立入禁止のテープをゆっくりと横へどけ、その先へ進んだ。


ただ、少しの間、自転車を走らせた。


木々の下へと消えていく細い道を、そのまま進んでいく。


森は、一メートル進むごとに静かになっていった。


そして――


「キャンッ!」


セイイチはキヨシの様子を確認するため、そのまま未舗装の道を進んでいた。


だが――


突然。


道の脇から、小さな子犬が飛び出してきた。


そして、そのまま自転車の前へ飛び込んだ。


「キィィィッ――!」


セイイチは慌ててブレーキをかけた。


「うわ、やば――!」


自転車は土の上を滑り、ようやく停止した。


セイイチは子犬を見つめ、それから自転車を見下ろした。


「……こんなに強くブレーキをかけたの、初めてかもしれないな」


タイヤを確認する。


そのうちの一本が、完全にパンクしていた。


「マジかよ……。この道のせいかな」


ため息をつきながら、セイイチは自転車から降りた。


そして、慎重に子犬を抱き上げる。


小さな犬は抵抗しなかった。


ただ、無邪気な瞳でセイイチを見つめている。


「おい、子犬……」


セイイチは小さく笑った。


「こんな森、怖くないのか?」


辺りを見回す。


もちろん、誰もいない。


人の姿はない。


木々の間を通り抜ける風の音以外、何も聞こえない。


「こんなところに、一匹だけでいたのか?」


子犬が小さく鳴いた。


「わかった。家に連れて帰ってやるよ」


セイイチは壊れた自転車に目を向けた。


もう乗ることはできない。


そして、太陽はすでに山の向こうへ沈み始めていた。


「仕方ない。これ以上は進めないな」


セイイチは鞄を拾い上げ、子犬を腕に抱えたまま、元の大通りへ向かって歩き始めた。


「まだ宿題も残ってるんだよな……」


長いため息をつく。


「これから数日は忙しくなりそうだな。はぁ……」


「キヨシ……! お前、どこにいるんだよ!?」


セイイチは足を止めた。


そして、振り返る。


何もない。


ただ、木々があるだけ。


「……あ」


セイイチはもう一度、腕の中の子犬を見下ろした。


「お前、本当に可愛いな」


子犬が小さな尻尾を振った。


「家に連れて帰るからな。いいか?」


セイイチは笑った。


「母さんが、子犬を連れて帰ったって怒らないといいけどな」


「ははは……」


そう言って、セイイチは歩き続けた。


彼が町へ戻るにつれて、森は少しずつ遠ざかっていった。


セイイチは気づいていなかった。


木々の間に、ひとつの人影が立っていることに。


静かに。


動くことなく。


物音ひとつ立てず。


ただ、彼を見つめていた。


数秒後。


セイイチは突然、足を止めた。


背中を這い上がるような、奇妙な感覚。


誰かに見られている。


セイイチはゆっくりと振り返った。


未舗装の道には、誰もいない。


木々は、完全に静止している。


そこには誰もいなかった。


「……ん?」


セイイチは、しばらく森の奥を見つめた。


何もない。


「……今のも、ただの気のせいか?」


……きっと、ここには誰もいない。


セイイチは首を振り、再び歩き始めた。


だが、その疑問だけは心の奥に残り続けていた。


――あの未舗装の道の先で、何が待っているのだろうか?


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