1-1 日本の降伏
1945年8月15日正午
この日、日本全国のラジオから、静かな雑音の後に天皇の声が流れた。それは、日本が敗戦を受け入れる瞬間だった。8月6日の広島、8月9日の長崎への原子爆弾投下。さらに長らく日ソ中立条約を結んでいたソビエト連邦が対日参戦を宣言し、満州へ大規模な軍事侵攻を開始したのである。日本は南からアメリカ合衆国、北からソ連という二つの大国に挟まれる形となった。連合国側による厳しい攻勢を強いられた日本に、もはや継戦能力は残されていなかった。
8月14日、日本政府は連合国に対しポツダム宣言を受諾し、降伏を受け入れる意思を中立国・スイスを介して通達した。翌日正午、日本国民は歴史的な放送を耳にすることになる。
『朕深く世界の大勢と 帝国の現状とに鑑み 非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し ここに忠良なる汝臣民に告ぐ
朕は帝国政府をして 米英支蘇四国に対し その共同宣言を受諾する旨通告せしめたりーーーーーーーーーーーーー
然れども朕は時運の赴く所 堪え難きを堪え 忍び難きを忍び もって万世の為に太平を開かんと欲す
朕はここに国体を護持し得て 忠良なる汝臣民の赤誠に信倚し 常に汝臣民と共に在り
もしそれ情の激する所 濫りに事端を滋くし 或いは同胞排擠 互いに時局を乱り 為に大道を誤り 信義を世界に失うが如きは 朕最も之を戒む
宜しく 挙国一家 子孫相伝え かたく神州の不滅を信じ 任重くして道遠きを念い 総力を将来の建設に傾け 道義を篤くし 志操を堅くし 誓って国体の精華を発揚し世界の進運に後れざらんことを期すべし
汝臣民それ克く朕が意を体せよ
御名御璽
昭和二十年八月十四日
内閣総理大臣男爵 鈴木貫太郎』
ラジオの雑音が消えたあとも、街にはただ不気味な静寂だけが残された。焦土と化した街並みの中で人々は立ち尽くし、涙を流す者、ただ呆然と空を見上げる者、終わりの安堵に震える者が様々な感情が渦巻いていた。この放送により、日本は第二次世界大戦の敗北を受け入れ、長く続いた戦争は終わりを迎えた。だがそれは、平和の始まりであると同時に、新たな時代の混迷の幕開けでもあった。
玉音放送が響き渡った後も、すべての場所で戦闘が止まったわけではなかった。
「降伏など認めん! これは敵の謀略だ!」
「我が方には未だ決戦の戦力が残されている! 陸軍は断固として戦うべきだ!」
大本営をはじめとする軍の中枢、そして各地の前線部隊では、なおも徹底抗戦を叫ぶ青年将校たちの怒号が飛び交っていた。一部の将兵は玉音放送のテープを奪取しようと皇居へ侵入を図り、宮城事件の混乱の余波は未だ冷めていなかった。さらに不穏な報告は、北の空から届いていた。
ソ連軍が中立条約を反故にして満州・樺太へとなだれ込み、怒涛の勢いで南下を続けているのだ。
「ソ連軍が千島列島に迫りつつあります! このままでは本土へ侵攻してくるぞ!」
「防衛戦を行わせてください! 奴らを本土に一歩たりとも踏み込ませてはなりません!」
陸軍幹部たちが鈴木貫太郎首相や軍令部に対して詰め寄る。しかし、ここで反撃に出れば、ポツダム宣言受諾という日本の決定そのものが破棄され、連合国軍による凄惨な本土焦土化が再開されることは明白だった。8月16日、大本営および政府から全軍に向けて電令が下された。
『大日本帝国軍全軍に対し、自衛戦闘以外のいかなる戦闘・攻撃行動もこれを固く許可しない』
「自衛戦闘以外の戦闘禁止」それは、相手から直接的な攻撃を受けない限り、こちらからいかなる反撃も発砲も認めないという激しい制約を意味していた。
「・・・これでは、北から降りてくるソ連の軍勢を指をくわえて見ているしかなくなるではないか!」
将校たちは無念のあまり拳を握り締め、血の涙を流した。だが、この厳命こそが、日本が降伏の約定を守り抜くための唯一の道であった。同時にこの命が、北から押し寄せる赤き波を食い止める術を奪い、のちの国家の運命を決定づける巨大な伏線となるとは、まだ誰も知る由がなかった。
1945年8月17日
ポツダム宣言受諾から2日、終戦という未曾有の最中、鈴木貫太郎内閣はその重責を終えて満身創痍のまま総辞職を表明した。敗戦の混乱、陸海軍の武装解除、そしてこれから怒涛のように押し寄せてくるであろう連合国軍の進駐。国家が崩壊の淵に立たされる中、この未曾有の国難を切り抜けるための新首相選びは難航を極めた。軍部を抑え込み、国民を統合し、かつ連合国と対峙できる人物はただ一人しかいなかった。
皇族であり、陸軍大将の称号を持つ男、東宮俊彦である。
「東宮閣下、何とぞ・・・何とぞこの焦土と化した日本をお救いいただきとうございます」
宮中において大命を降下された東宮俊彦は、深々と一礼し、重苦しい表情でその大命を拝受した。
「国体を護持し、国民の一粒の血もこれ以上流させぬこと。それが我が命に代えても果たさねばならぬ務めである」
同日、東宮俊彦内閣が正式に発足した。皇族が自ら首相の座に就くという異例の事態は、全軍に対する強力な制動力となり、不穏な動きを見せていた徹底抗戦派の息の根を止めることとなった。だが、東宮首相の前に立ちはだかる現実はあまりにも過酷だった。窓の外を見やれば東京は一面の焼け野原となり、煙が未だうっすらと棚引いている。南の太平洋からは、勝利の歓喜に沸くマッカーサー率いる米軍が圧倒的な艦隊を従えて進撃してくる。
そして北のシベリアからは、冷酷な野望を秘めたソ連軍が、防衛能力を失った日本の北方領土へと確実にその手を伸ばしつつあった。
米とソ連。世界の覇権を握らんとする二大国が、無防備となった日本列島を挟み込み、今まさにその爪を立てようとしている。
「日本は、一つであり続けられるだろうか・・・」
焦土に立つ東宮俊彦のつぶやきは、風にかき消された。二大国が日本列島を覆い尽くそうとする中、分断への歯車は静かに動き始めていた。
次回も楽しみによろしくお願いします!




