第67話 その先にあるもの。
その言葉に反応することは出来なかった。
その言葉に反応するということは、それは自分の命が危険になる可能性を示している。そんなことを出来るだけの心と強さを持っている者はいない。
だが、そこに自己犠牲だけでなく自分の好きな人を守るという別の名目があれば話は大きく変わり、堂島の提案に遅れて手を挙げたのが一人――それは祈の幼馴染の錦戸亮太であった。
錦戸は震える手を抑えて、その手を挙げた。
この強がりが今の錦戸に出来る最大の強がりであり、自分が強い人間だとアピールする最大のチャンスであった。
だが、その決断は祈にとっては良いものではなかった。自分と横並びに友達として一緒に切磋琢磨してきたもう一人の幼馴染が、自分を置いて先に行ってしまった。
それは祈にとってはとても辛いものであったが、祈は自分の弱さに向き合うことが出来ず、そしてそれを克服することが出来なかった。
その結果‥‥祈は黙ってその提案を見過ごすことしか出来なかった。
「本当にいいのか?外に待っているのは‥‥命の危機だぞ?それでもいいのか?」
その堂島の問いかけに錦戸は迷うことなくはっきりとした声で――
「大丈夫です。覚悟は決まっています!!」
と伝えた。
そうして、堂島、錦戸、そして錦戸の友達の大道尚弘と何人かの男を連れて、外へと向かうのであった。
◇
祈は皆が出て行ったあと、自分の弱さに打ちのめされるように、その場に取り残されていた。誰もいない部屋の中で、ただ一人で膝を抱え込むように丸めて、その身を小さく震わせている。
う"っ‥‥う"うっ‥‥怖いよ。誰か‥‥助けて‥‥
か細く漏れたその声に応える者はいない。この場にいるのは祈ただ一人であり、仮に誰かがここにいたとしても、この状況で祈を救える者など存在しなかった。
何故なら、この場にいた誰もが祈と同じように、この異常な事態に恐怖し、ただ時間が過ぎるのを待つことしか出来ていなかったからだ。
それを恥として受け入れるのか、それとも当然のこととして受け入れるのか。その違いは、あまりにも大きい。
必死に前を向こうとする者と、ただ隠れながら早く終わることだけを願う者とでは、その意識も覚悟もまるで別物だった。
そして祈は――本来であれば、前者であるはずの人間だったが今の祈は、その場に蹲り、何も出来ずに震えているだけの存在に過ぎないでいた。
こんな事態なんだ‥‥誰も‥‥私を救ってはくれない。なら、自分で、今の自分で、出来ることを見つけて、必死にやるしかない。
そう言い聞かせるように呟き、祈は溢れる涙を乱暴に拭いながら、ゆっくりと立ち上がったが、体の震えは消えていない。それでも足に力を込め、前を向いて歩きだした、
そして――自分に出来る役割を果たすため、その体を動かし、祈は役所の戸締りを一つ一つ確実に、全力で行っていった。
震えは残ったままだったが、それでも手を止めることはなかった。鍵をかけるたびに、まるで自分の中の恐怖を押し込めるかのように、祈は次の扉へと向かっていく。
そうして全ての扉の鍵を閉め終えた祈は、静かに息を吐くと、自分と同じように不安に押し潰されそうになっている人たちの元へと歩み寄り、声を掛け始めた。
「大丈夫です。」
「私も同じように体が震えています。」
「もうじきこんな苦しい日々も終わります。」
その言葉は、誰かを安心させるためであると同時に、自分自身に言い聞かせるためのものでもあった。それでも祈は、言葉を止めることなく、一人、また一人と声を掛け続ける。
必死に自分の弱さを紛らわすように紡がれたその言葉は、少しずつではあるが確実に、この場にいる者たちの心に届いていった。
やがて、ここにいる全員の顔色が、ほんの僅かではあるが和らいでいく。それは外に出ていた者たちが無事に戻ってきたという朗報も影響しているのだろう。
だが、それだけではない。
祈が紡いだ小さな言葉の積み重ねが、確かにこの場にいる全員の心を支え、そして救っていた。




