016:「さんぽ」「かさ」「ゆどうふ」
昨日から、細く雨が降り続いている。
窓から見える銀色の線は、針葉樹の涙みたいに地上へと身を投げてゆく。ビル風に少し流されながら、雪になれないままで地上へと辿り着くのだろう。
この季節の雨はなんだか冷たくて、室内にいるのに体の芯まで冷やそうとしてくるから、いっそのこと外に出てやろうと思い、僕はカーテンを閉めて出掛ける準備をする。
散歩に出るなら、ズボンの下にタイツも履いて、マフラー、コート、手袋、それから傘も忘れずに。
ポケットにスマホと財布を突っ込んで、鍵を手にドアを開ける。
寒い、けど、こんな天気のお陰で外を通る人も車も見当たらない。
傘を差して歩くと、軽い雨音が傘を弾く。
今日は湯豆腐にしよう。こんなに寒い日には、昔に君が作ってくれた特製湯豆腐が懐かしくなるから。
そんなことを思いながら、スーパーへと足を向けた。
買い物をして店から出ると、ふと駐車場に見覚えのある傘が咲いた。
明るい鮮やかな緑の、雨蛙色の傘。
――あぁ、うん。
今日は何となく会う気がしたんだ。
こんなに寒いせいで、君が教えてくれた湯豆腐を思い出したりなんかしたから。
大きいお腹を庇うように、傘を差してゆっくりと助手席から降りると、旦那と一緒にスーパーに入ってゆく。
「あの時、君のことを留められていたなら」とはもう思わないし、幸せそうに歩く二人を見ても心は痛まない。
僕だって、あの頃から一歩くらい……三歩くらいは進んでるつもりなんだけど。あっという間に母親になってしまった彼女を見ると、僕だけが時間に取り残された気持ちになって少しだけ寂しくなる。
僕の傘が、見分けのつかない傘で良かった。
傘に隠れるようにしてゆっくりと立ち去る。
家に着き、ドアを閉めて、一息。
外の音を閉め出して、鍋の用意をする。
豆腐を切って、油揚げを切って、長ネギを切って。
水100ccに対して重曹1g。
弱火にかけて、ふつふつと沸騰してゆくのを眺める。部屋の中の湿度が上がり、鍋の音に負けた雨音が少しだけ遠ざかる。初めは透明だった水分が、段々白く濁ってゆく。薄いベールをゆっくりと幾重にも脱いでゆくように、少しずつ、少しずつ。
器に豆腐をとって口に含めば、噛む隙もなく解けて喉の奥へと滑り落ちる。
温かかった、昔の思い出を飲み込むように、するりと逃げてゆくのを何度も口へと運び。
あの頃よりも満たされない感情に、気付かない振りをして眠り。
ハッピーエンドが家出しました。




