第二話 山と寝過ごし
次の日の朝、僕は7時に目覚めた。服を着替えて昨日予定した山に行こうと、一階へ降りていった。
出入り口へ向かうと、なにやら数人が扉の前で会話をしていた。
「ここがうわさのおばけホテル?」
「そうらしいよ。でも、まだ噂はそれほど広まってないから、お客さんの入りは悪くないみたいだけどね」
「俺らが来たのもそれを見るためだろ。「例」の怪奇現象とかいうモンを」
「あー、いま「例」と「霊」をかけたでしょ。もう、すきあらば駄洒落なんだから」
「ちょ、恥ずかしいから、そういうの分かってもスルーしろよ……」
『あはははは……』
おばけホテル、だって? そんなこと初耳だ。
けれども、ホテルの人はもちろん、客も誰もそんなこと言ってなかったはずだ。第一、その怪奇現象とやらも滞在中に起きたとは聞いていない。
建物が古めなことにつけて、誰かが適当に流したデマだろう。
僕は呆れながらその男女四人組の傍を通った。
熱海の山はこれまた素晴らしかった。碧々(あおあお)とした木々がそこら中に植わっていて、気温は高いはずなのに、浜風のためか、どこか凛としていて涼しい。葉を透って黄緑がかった太陽の光がとても気持ちいい。
「ああ、こんなの、田舎の山じゃ味わえないなぁ」
僕は草野は得た地べたに仰向けになった。汚れるのは嫌いだが、下には草が生えているし、それに横になってみたかった。旅の物語などでは定番の、涼しい風に吹かれ周りを緑に囲まれて草枕、憧れていた。地元の鬱蒼とした森でやると、どこか息の詰まる思いがする。爽やかというよりもどんよりとしていて、そのうえ光が遮られて暗い。なかなかイメージ通りの感覚は得られなかった。こういうのはここの土地柄なのかもしれない。
しみじみ感慨にふけっていると、不意に顔に湿り気を感じた。
「この感覚、間違いない」
子どものころからの感覚を信じて僕は立ち上がった。
海辺と高い山は天気が変わりやすい。
急いでホテルへと帰っていった。道中の山道は静かで、どこかしんみりとしていた。足場は少し濡れていて、注意を怠ると足をくじきそうになる。僕は一歩一歩を足の裏でしっかり踏みつつ、急ぐ。山を降りて舗道に出るころには、霧のような雨粒が額にぶつかっていた。
「思った通りだ」
足元が安定すると僕はスピードを上げた。ホテルまで距離はいくらかある。しかし、大きな道をそのまま進めばよいので、道筋が複雑でないのが救いだ。
僕は一気に駆け抜ける。海岸線に沿って通っているこの道は緩やかなカーブが続く。見通しが良く、ホテルまで信号が五つあるのが見えた。そして、幸いにもそれらを通るときはどれも青信号で、立ち止まることなく突っ走れた。
だが、雨の粒は少しずつ大きくなっていく。おおよそ信号を一つ越えるごとに、地面を打つ音は少しずつ強くなっていった。
ホテルの前まで来ると、急いでその屋根の下に隠れた。中に入る前に、まず僕は服の濡れ具合を確かめた。
自分の胸元辺りをつまんで軽く引っ張ってみる。すると、服はパタッと、はためく様な音を立てた。
(どうやら、それほど濡れてはいないみたいだ)
確認し終えると、僕は重みのある透明なガラスの扉を押して、中へと入った。
ホテルに入るなり、さっさと自分の部屋に戻る。窓の外は景色が見えないほどの土砂降りだった。
どこか酷く降る予感がした。子どもの頃、僕の発令した大雨警報はよく当たった。友達からは、おまえ気象予報士になれよ、という冗談を何度も言われたものだ。
「これじゃ、今日はどこにも行けないな……」
僕は少し残念そうに言った。
だが、別段雨が嫌というわけでもなかった。今日まで毎日ずっと熱海を観光していて、正直疲れていた。休憩日としてはちょうど良いタイミングだった。
それに、僕は雨の日のひんやりした感じが好きだ。僕を落ち着けてくれる。
こんな日はテレビでも見るのが一番、と机にあったリモコンを取りテレビをつけた。
朝の9時、どこもニュースをやっている。
「ニュースといったら1ch、掲示板は2ch!」
しゃれ好きな親父がよく言っていた言葉だ。
親父は絶対に1chのニュースしか見なかった。その影響を受けて、僕も数あるチャンネルの中から1chのニュースを見ることにしていた。
真面目で固いから信用できる、とも言っていた。僕が幼かったころはそのやけに固いところにまったく面白みを感じられなくて嫌だったが、この歳になってみると、なるほど、淡々としていて、なんというか安心する。固いというのが分かっているから、さらりと聞ける。
たぶん僕の中でもすでに「ニュースは1ch」なのだろう(掲示板はどうだか知らないが)。
ニュースはいつものように事件、事故、でき事について伝える。僕はごろ寝して適当にそれらを聞いている。
(僕がこうしてのんびり過ごしている間にも、世間はいろいろとせわしなく動いているんだなあ)
画面の向こうの、さらにその向こうの中継先の映像に、非日常的な小さな衝撃を感じながら、あくびを何度かしつつ見ていた。
僕はそこまで気を張って見てはいなかった。無音の状態はどうしても耐えられないから、ラジオのように、いとまなく流れる音が欲しかった。
そして、僕がニュースを見るのは、世間で起きている事を知るというのももちろんあるが、そのほかにどうしようもない退屈をどこか追いやるためでもあった。ニュースではショッキングなことや大きな問題をいくつも取り上げている。僕とは隔たりのあるそこで、実感しにくい事件が流れているのを見るのは、言ってしまえばテレビドラマを見ているような、フィクションぽさをどこか感じさせる。
だから、自分にも多少の影響があるかもと現実味を感じながら、とんでもない展開になった、とどこか距離を置いて見ることができる。すこし不思議なその感覚がなんだかクセになる。そうして、ニュースを見続ける。
トピックが終わって、為替と株、天気予報と続いた。
為替と株はよくわからない数値が並んでいる。今どき使わない「銭」単位で表示されているのには、つどつど疑問に思う。
また、天気予報は全国的に晴れの予報だった。だとすると、いま降っているこの雨は一時的なものなのだろう。しかし、窓の外を見てみると、灰色の雲は空いっぱいに切れ間なく続いている。僕には一日中この雨が続くように思えた。
「それではまた明日、お目にかかります」
アナウンサーがシメの言葉を言って「終わり」の文字が右下に出る。ちらりと時計を見ると10時を過ぎていた。
「本当にいい暇つぶしだわな」
少しだらけて言うと、そのまま眠りに入ってしまった。
天然のクーラー、少し明るい電灯、そして畳。昼寝するにはパーフェクトな環境だった。
……zzz
……
「…ハッ、いま、何時だ!?」
我に返って、横になったまま時計のほうを思い切り振り返る(首が痛い)。掛け時計は両の手をグリコマークのように開いていた。
2時、50分……か? ……つまり、3時!
「寝過ごした!」
ガバッと起きると、太陽は昼と夕方の間ぐらいの微妙な輝きを放っていた。空も青と黄色の間のような色をしている。
「いつの間に晴れたんだ? まったく気がつかなかった。昼ぐらいだったらどこか行けたかもしれなかったのに……。もう、夕方じゃないか」
僕は本当に残念だった。
仕方なく、僕はまたテレビを見ようと思った。
リモコンを持ち上げたそのとき、
コン、コン……
ノックの音が聞こえた。
「誰だろう?」
入り口のほうへ行くと扉が開いた。
「はいはーい、ちょっと失礼しまーす」
「すみませーん……」
軽い返事をしていきなり部屋へ入ってきた
「ちょっと、なんだよ、あんたら!?」
いきなりドカドカと部屋に入ってくる二人に僕はそう言った。
「いやー、このホテル、出るんだよー」
「ネットで少しばかりウワサなんですよね」
なんだ? 出るって? ウワサって?
僕は突然でパニックだったが、こいつらの顔を眺めて思い出した。
(そうだ、こいつら、朝そとに出る時にここを「お化けホテル」とか言ってた四人組のメンバーの内の二人じゃないか。こいつら、人のせっかくの憩いの時間を邪魔するのか!? ふざけるな!)
僕は腹のそこから怒りがこみ上げてきた。
すると一人がこちらを向き、言った。
「ここに来てから見ました? お化け?」
僕の何かが切れた。
「帰ってくれ!」
僕は二人を押し出した。
「二度と来ないでくれ! 不愉快だ!」
僕が大声でそういうと、二人は目を丸くしてすごすごと階段を下りて行った。
(なんであんなやつらがオレと同じとこに泊まるんだ! クソ!)
そして、僕は部屋へ戻るとすぐに横になった。
(信じられない、他人の部屋に、勝手に、ずんずん上がっていくなんて、礼儀もクソもない、まったく、世も末だ!)
僕は天井の電灯を見て心内にひとり文句を言っていると、怒り疲れたのか、いつしか再び眠りについてしまった。
僕は激しく頭を洗う、怒りに任せて。
結局、二度目の昼寝から起きたときはもう7時半だった。
一眠り終えた後でも気分はモヤモヤしていたので、早めに風呂へ入ってサッパリすることにした。
「クソ、クソ、クソ、シャンプーまだ洗い落とせてないのかよ!」
髪にベタベタとした感覚、気分が悪いときは本当にイライラする。
「いったい、なんなんだよ!」
僕は激怒していた。
そんなことをしていても、さらに不愉快になるだけで、せっかくのキラキラした熱海への旅が台無しになるというのを僕のどこかが知っていたのにも関わらず。
怒って、楽しんで、笑って、寝て、生活するだけなら、わざわざどこかへ行かなくてもできる。
僕の熱海は何かと出会うための旅なんだ。
そんな、そこらへんに転がった小石みたいにありふれた、そんなものが欲しいんじゃないんだよ。
「僕は、俺は、生きたいんだ!」
その刹那、頭に痛みが走った。
「いてっ、」
瞬間的なものだった。刹那的にそれは痺れに変わり、消えていく……。
……
僕はその痛みのおかげで落ち着けたのか、ゆったりと頭を流していた。
「……頭はもうこれくらいでいいか、湯船につかってサクッと上がるか」
完全に興奮を抑えたのではなかったので、全くの平静という訳では無かった。しかし、淡々と風呂を済ませることでも少しずつ頭が冷えていった。
「また、明日だ。そうだ、明日だ。今日は疲れたからぐっすり眠れそうだ」
二度も昼寝をしたのはどこへやら、その時の僕は寝る気満々だった。
スリッパを履いて大浴場から出る。歩くたびにスリッパと床のタイルのすり合う音が誰もいない廊下に響く。僕は疲れていた。廊下を突き当りまで行くと、階段とエレベーターがある。僕は迷わずエレベーターのボタンを押した。
しばらくしてエレベーターが到着した。左右に割れるようにして開く。先に乗っている人がいたら降ろそうと思って僕は邪魔にならないよう寄ったが、中には誰も乗っていなかった。僕はエレベーターに乗って「閉」のボタンを押すと、誰もいないことに安心して力を抜いた。
ガクッ、ガウン
「うわっ、と!」
僕は油断していた。発進時の震動を忘れてリラックスしていたため、箱が動き出した時によろけた。もう少しで転ぶところだった。
僕は胸をなでおろすと同時に、思わず小さく笑ってしまった。その笑いで、すこし気持ちが楽になったような気がした。目的の五階で止まると、僕は自分の部屋へと歩いていった。




