57t27
この気持ちは何だろう。
自分のやりたいことをしているはずなのに、気分が良くない。
ローにとっても良いことをしているはずで、それは私にとっても願ってもないことで。
今までは、こんな気持ちになったことはないのに。
「やめたくなった?」
声をかけられて、すごく驚いた。
クラウディア様のお話が済んで、それぞれが自分の勤めに戻ったと思っていた。
私は何も考えずに、自分の部屋にふらふらと戻ってきていて、後ろからついてきていたらしいユリアにも気が付かなかった。
「ユリア、いつからいたの?」
「なに?小さすぎて見えなかった?それはごめんなさいね!」
ユリアは半分怒りながら、私の蔓編みの寝具に勢いよく座った。体相応の小さい足が反動で跳ね上がる。
ぎゅむと、聞きなれた音がやけに響いた。
「で?なによ」
「それは私のセリフだと思うのだけれど」
「どうせ、つまんないこと考えてるんでしょう?」
ああ、そうか。ユリアに体のことを冗談半分で言わせてしまうなんて、私はそんなにひどい顔をしていたのか。
ユリアにまで心配させてしまうなんて。
「まあ、いいから言ってみなさい。私に言えないならクラウディア様でもいいわ」
呼んでこようか。と立ち上がる素振りを見せるユリアを、私は慌てて制止する。
でも、話す覚悟はなかなか決まらなかった。
だって、つまらない話だ。私が勝手に気に病んでいるだけの事。
ユリアには、もう十分に力を貸してもらっている。そんな素振りはかけらも見せないけれど、疲れてもいるはずだし。
「さあ、言え。それともユピテル神顔負けの雷を落として、お尻に火を灯してあげようか?まあ、どっちにしろ言うのは決定だから早くゲロった方が賢いわよ」
笑顔でユリアは言う。怖い笑顔でユリアは言った
ユリアの笑顔は、とても怖い。怖いから仕方がない。
私にそう思わせるために、わざとやってくれているのだと気が付いた。
「うん」
だから、ユリアの優しい気遣いに甘えさせてもらうことにして、自分の中でも今一つ理解しきれていないことを、思いつくがまま吐き出してしまうことにした。
ローが、どういう目的でローマにいるのか。
私の行いは、迷惑になっていないか。
口をついて出た言葉は、自分の事ながらまとまっておらず、要領を得ない長々としたものになってしまったけれども、要約してしまえば、たったそれだけの事だと気が付く。
「ああ、やっぱり時間の無駄だったわ」
「ユリアが聞くから答えたのに、ひどい」
「なんで今更そんなことを気にするの?ローの目的なんて聞けばわかるでしょう。相手が迷惑に思うかどうかなんて、あんた今まで気にしたことあったの?」
ユリアの言葉を、まるっきり信じるのであれば、私という人間は、相手の迷惑を鑑みない、きわめて自分勝手に好意を押し付ける人。ということになってしまうのだが。
「一応、相手に迷惑かどうか、は考えてる、よ?」
なんだか馬鹿にされているような気がして、反論した。
「そうなの?じゃあ、わかりやすく言葉を変えましょうか。相手の気持ちなんて、聞かなきゃわからないのだから、そんなことは考えるだけ無駄。だからあんたは、自分の行いが迷惑かどうかを聞いて確認するために、今まで通り言葉を教えればいいのよ」
ユリアの言っていることは、現実的で、確実だ。
でも、それは、ローの答えから逃げられないことを示してもいる。
答えを聞いてしまえば、言い逃れはできない。
迷惑だと言われてしまえば、私は、自分のしたいことを続けることができるだろうか。
考えても仕方がないことだと理解はしている。でも、答えが出てしまうことを恐れている自分が、確かにいるのだ。
「そうだ、忘れてた。ちょっと待ってなさい」
私の反応が鈍いことを察したユリアは、私の部屋から出ていったかと思えば、すぐに戻ってきて私に金貨を三枚握らせた。
「これは?」
「あの剣闘の報酬。ローのよ?預かっていたのだけれど、忘れていたわ。あんたが良いと思う時に渡してあげなさい。確かに渡したからね」
用は済んだと言わんばかりのユリアは、風のように去って行ってしまった。
ユリアは、今度は戻ってこなかった。
私の手の内には、三枚の冷たい金貨が預けられた。
これはローが働いた結果の報酬で、本来であれば即座に支払われるべきだったものだ。
金貨三枚。
ローが、命の危険すらある剣闘を行った、と思えば、たった三枚の金貨でしかない。
けれども、銀貨にすれば七十五枚。青銅貨にすれば三百枚。銅貨にすれば千二百枚。
一食分のパンが銅貨二枚。スープや果実酒などを合わせても、銅貨が十枚あれば、一日分の食費として不足はない。
全て食べ物代にしてしまえば、四か月は食べ物に困らない。節制に努めれば半年分ぐらいにはなるかもしれない。そう思えば大金に違いない。
これはローが受け取るべき報酬だ。私が長々と預かっていて良いものではない。
だというのに、私の足が神殿の近くに、まだ居るかもしれないローを探すために動き出すことはなかった。
無意識に握りこんでいた手のひらを開くと、私の熱が移ってぬるくなってしまった金貨が、ひどく気持ちが悪い物のように感じた。
そしてそれを、人目をはばかるように箪笥の奥底にしまい込んだ自分は、もっと、ずっと気持ちが悪かった。
十月十四日、誤記入修正