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「おなかがすいた」
意識が覚醒して真っ先に感じたのは、空腹感。次に喉の渇き。
体を起こして、背伸びをして、室内の明るさに驚いた。
この明るさは、昼前であることは期待できない明るさだと気が付いて、少し残念に思う。
ローは、もう帰ってしまっただろうか。
そう思ってから、初めて、何かに急かされているような気分に陥っていたことに気が付いた。
ローは、すごい人だ。自分一人で行動できてしまう。
私がもたもたしていたら、また、一人でどこかに行ってしまうのではないか、と思っていた部分があったのだろう。
現実を見ろ。ティベリア・リイヌム。
ローがウェスタ神殿に通ってくるようになってから、彼はどのように行動していた?
彼は、朝になればテルティウスおじいさんについてきて、薪運びを手伝い、その合間の時間でラテン語を学ぶ。
手伝いが終われば、テルティウスおじいさんと共に帰宅し、必ず次の日も同じように神殿にやってきたではないか。
ローは自分で考え、自分で決めて行動できる。
これまでの行動を見れば、ローがテルティウスおじいさんの下で生活することを、自分の意志で決めたのだと、わかるだろう。
そうだ。
ローはもう、食べ物にも、住む所にも困らない。正式にローマ市民であると認められれば、それはローの持つ権利として保証される。
あとは言葉さえ満足に理解できれば、ローマの生活で困るようなことは、ほとんど無くなってしまうことだろう。
そうなれば、彼はなんの問題もなく、このローマで生きてゆくことができる。
でも、ほんとうにそうだろうか?
また、自分の都合の良いように考えてはいないだろうか。
「っ」
不意に喉に痛みが走った。
眠っている間に、ずいぶんと喉が渇いていたらしい。
ちくちくと刺すような痛みを癒すため、考え事はいったん忘れることにして、何か飲むものと食べる物を探すために、食堂に向かう。
竈の火は既に落とされていて、いつでもある程度の量は確保されているパンと、果実酒が少しばかり残っているだけの様子を見る限り、昼食時は既に過ぎているらしかった。
喉の痛みが気になって、まずは飲み物をと思って果実酒の入った酒壺の蓋を開ける。
たっぷりの果実酒が入った酒壺から、独特の香りが漂ってきて、思わずくらりときた。
寝起きに果実酒。というのは、個人的にあまり好ましくない。
酒精自体があまり得意ではない私にとって、果実酒は堅いパンを戻すための物であり。常飲したいものではない。
欲を言うと、お茶。もしくは水が飲みたかった。
しかし、自分一人のためにお湯を沸かすのも薪がもったいないし、今から水道まで水を汲みに行くのも面倒だった。
「仕方ないか」
そう独り言をもらし、自分用の杯に酒壺から果実酒を注いで、少しずつ口に含んで飲み込む。
喉が潤いを取り戻して、喉の痛みが和らぐのを感じた。
「ん」
まあ、こんなところだろう。
今無い物を求めるよりも、ずっと手間が少なくて良い。
時間が経過して堅くなってしまったパンだって、果実酒で柔らかく戻せば、それなりに食べられるようになる。
美味しいとは言えないかもしれないが、お腹は満たされる。
「あ」
そうか。
同じこと、なのかもしれない。
私は、本当はお茶が飲みたかったけれど、今は果実酒でもいいかと妥協した。
喉の渇きをどうにかするために。
じゃあ、ローは?
ローはどうして、神殿に通う生活を続けているのだろう。
生きてゆくため?
それはそうだろうけれども、それが全てだとは思えなかった。生きてゆくことだけが目的の人が、どれほど居るのだろう。
ローはテヴェレ川に流れ着いた。どうして?
ローは目を覚ましてから、すぐに一人で行動した。どうして?
彼は剣闘大会に出場した。どうして?
彼は、私についてきてくれた。どうして?
どうして?
私は、彼が何をしたくて行動したのか、何も知らない。
ローには何か目的があって、そのために、いろいろと妥協している結果が、今なのではないだろうか。
それは、何よりも優先したい目的で、ある程度言葉が話せるようになれば、すぐにでも、飛び出して行ってしまうのではないだろうか。
ローにはローの都合がある。それは当たり前のことだ。
自分の都合を優先してばかりいる私が、責めて良いことじゃない。
そのことに気が付いて、私はなんだか落ち着かない気分になった。
食堂を飛び出して、自分の部屋に戻る。
居てもたってもいられなくて、トゥニカを乱暴に脱ぎ捨て、普段なら気乗りしないキトンをまとう。
家から出る。
敷地内をさっと見れば、ローはもう帰ったようだったから、安心してティベリーナ島に向かって歩き出す。
今はなんだか、ローに会いたくなかった。
慌てた様子でリクトルが二人、詰所から飛び出してきて私のすぐ後ろに付く。
慌ててどうしたのか、と名前も知らないリクトルの人に尋ねられて、声をかけ忘れたことに気が付く。
いい加減に返事をしながら、私は努めて無心で歩き続けた。




