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違うのだ。
剣道を下に見ているとか、剣術の方が上だと思っているとか、そんな事は一切考えていない。
必然、剣道と剣術という似て非なる道を進んでいるからと言って、真面目に稽古を重ねている相手をバカにするつもりも全くない。
確かに俺は剣術の稽古をするために剣道をやっている、片手間だと言われたならば否定する事はできない。
俺の芯の部分には剣術だけがあって、剣術を修める方法の一つとして剣道を利用している自覚もある。
でもそれは真剣に剣術の稽古をしているだけなのだ。
剣道の事も、剣術とは違う物だとはっきり自覚して、尊重し向き合っているつもりである。
手を抜いたり、半端な考えで竹刀を握っている訳ではない。
しかし、そんな事を口にしたとして、何の意味もないのだと、理解もしている。
俺の行いが、進藤や他の剣道を真剣に修めようと努力している人間全員を不快にさせるという事実は変わりようがないことであって、俺が俺なりに真剣な考えのもと、剣道に向き合っていたという事も一つの事実として揺るがない。
例えば俺が謝罪じみた、もしくは言い訳じみた言葉を吐いたとしても、それは空虚な言葉だけのものにしかならないに違いない。
俺は、進藤の言葉にどう答えるべきなのか、答えを出す事が出来ずにいた。
想いはあれど、発すべき言葉は見つからず。何かを言うべきなのだと思いはするが、その決心もつかない。
「とまあ、オレはそんなみっともない事をずっと考えていた。ただの負け惜しみだな」
進藤は、へにゃっと照れたような笑顔になって深く息を吐く。
「は?」
「あ?」
あまりにも毒気の無い笑顔を見せられて、思わず飛び出た俺の声に、進藤も同じような声で答えた。
「新庄ん家は道場だったんだな」
特に意味のない声だった事に気がついたらしい進藤は、気を取り直したのか、姿勢を崩して天井を見ながら言う。
「あ?ああ」
進藤は、俺に文句を言いに来たのではないのか。
真剣な思いの発露を受けて、沈黙で答えるのはあまりにも不誠実なのではないか。
何か、答えなければ、しかしどんな言葉を。
そんな、意味があるのか、意味がないのかわからない葛藤は、全て俺の思いすごしだったのだろうか?
頭の整理が追いつかない。
進藤は俺の様子など気にもせずに、さながら世間話の様な気軽さで言葉を放つ。
「勝太郎さんに色々と聞いたけど、本当は剣術の道場なんだって?」
「剣術の方の門下は、ほとんど居ないけど」
「小さい頃から剣術に首ったけだって?」
進藤が何を言おうとしているのか、俺にはまるでわからなかった。
言葉の意味は当たり前に理解できるが、その真意がわからない。
「それも父さんが?」
「いや、それは倉内さんが言ってた。勝太郎さんは、お前が木刀を持ったまま布団に入った事があるって言っていたけど、本当か?」
「まあ、本当だが」
「筋金入りだな」
だから、俺は考える事をやめた。
進藤が何を考えて言葉を発しているのかは、俺には理解のしようがないのだ。
「悪いか?」
「まさか、気持ちはわかる。オレも竹刀を抱えて寝た事がある」
「気を使わなくても良いぞ」
「本当だ。こんな嘘つくかよ」
ここに剣道バカがいた。
控えめに言って、竹刀を抱えて寝ても、何か剣道の上達に繋がる様な経験は得られない。
木刀を抱えて寝ても、良い経験にはならないのと同じように、全くとは言わないが、ほとんど無駄な行いである。
だが、竹刀を抱えて寝たい。という思いは俺にはよくわかるのだ。
剣術は、どんな経験が上達に繋がるかわからない所がある。これは剣術に限らず、スポーツなど、何か一つを極めようとする者なら、経験した事があるのではないかと思う。
陸上選手が人体の構造を理解する為に、医学や工学を勉強し、結果として一つ上のステージに上がる。なんて例はざらに有る。
俺も食事中に、フォークがなぜこんなにも簡単に硬いステーキに刺さるのか。という一見極めてどうでもよい様な疑問から、突き技で今まで意識していなかった所まで気を回せるようになった経験がある。
どんな事が上達に繋がるかわからないのなら、どんな事でも試しに経験してみるしかない。
そして、それを行うには、何よりも熱意が必要なのだ。
他人にバカなのではないかと思われても、言われても、気にせず自分の納得できる所まで突き詰める。そういう一途な熱意が。
「いいなぁ、立派な道場があって」
「そ、そうか?」
「ああ、うらやましい。毎日好きな時に稽古して、一日中剣道の事を考えて過ごして。あ、お前の場合は剣術か」
進藤は言葉を途中で止めて、大きく息を吸った。
「なあ、新庄。一本稽古つけてくれよ」
ゆっくりと息を吐いてから、俺の目を真っ直ぐ見て、進藤は言った。
気軽な、世間話の様な雰囲気が失せている。
「俺が教えられる事があるとは思えないんだが?」
進藤の剣道の腕前は、すでに俺を凌いでいると、俺は感じている。
誰かから教わる時期は、とうに過ぎていると確信してもいた。
進藤が確かな熱意をもって剣道に打ち込んでいる事は、話を聞けばすぐにわかった。
そしてどうやら、進藤が伸び悩んでいると感じているらしい事も、何となく察する事ができた。
進藤の突飛な行動には、少しだけ心当たりがある。
何かを極めようと道を進めば、多かれ少なかれ必ず壁にぶち当たるものだ。
そこで立ち止まる事を許容できないのであれば、選択肢は二つしかない。
乗り越えるか、ぶち壊すか。
壁は、壁だ。壁以外の何物にもならない。
自分ではどうにもできない壁を、どうにかしようと思うのならば、自分が変化する事以外に解決策はない。
壁を乗り越えるにしろ、壁をぶち壊すにしろ、今までの自分とは別の何かが必要なのだ。
今まで気がつかなかった事や、見落としていた事を発見するには、全く別の方向からアプローチをかける必要がある。
それは竹刀を抱いて寝る事だったり、自分の気にくわない相手をぶちのめすために稽古に励む事だったり、思いついて誰かと会い、言葉を交わしたりすることかもしれない。
何が正解なのかは、誰も知らない。
他人から見たら、気がふれたのではないかと心配されるような事だって、時には行わなければならないかもしれない。
それは、わかる。俺にも似たような経験があるのだから。
「察しが悪いな。剣術ならあるだろ」
進藤は、俺が剣術の上達に剣道を利用するのと同じように、剣道の上達のために剣術を利用しようと思ったのだろう。
その発想は、特別不思議だとは思わない。いかにも成果が期待できそうな考えである。
俺の気持ちとしては、真剣に剣道に打ち込んでいる進藤に対して、稽古の一本や二本つけても構わない。
しかしここは道場で、俺はまがりなりにも師範代として稽古をつける立場にいたりする。
道場を名乗るからには、月謝を頂いている。
何ともいやらしい考えで恐縮だが、俺の指導はタダではないのだ。
人に教える立場の人間として、門下生の真剣さと、進藤の真剣さに優劣をつける事はできない。そう考えれば、必然タダで稽古をつけてやる訳にもいかない。
俺が個人的に進藤に稽古をつけても良い。と考えていても、それは進藤を特別扱いして良い理由にはならない。
感情と立場の間で苦悩していると、客間の用意を終えたらしい父さんが、居間の扉が開いて入ってきた。
「良一郎。一本ぐらい良いじゃないか」
柔らかく微笑みながら、俺に向かって何かを放る。
「え?なに?ちょ!」
「終わったら返しに来るように。父さんは部屋で休んでるから」
反射的に受け取ってから、気がつく。
これは鍵束だ。
父さんは、優しげな表情で進藤をちらと見てから、さっと居間から出て行ってしまう。
「勝太郎さんの許可が出た。決まりだな」
不敵に笑う進藤は嬉しそうに言っているが、俺はそれに言葉を返す余裕をすっかり無くしてしまった。
進藤は、俺が思わず受取ってしまったこの鍵束が、道場か何かの鍵に違いないとでも考えているのだろうが、この鍵束はそんな穏便な物ではない。そもそも道場には鍵をかける場所なんてないのだ。
「待って!父さんこの鍵どういう意味!?」
この鍵束は、真剣をしまってある蔵の鍵をまとめた物だ。
稽古で真剣は基本的に使わない。稽古で使う物品は道場の方に専用の物置部屋がある。
仮に、進藤に稽古をつける事にしたとしても、この鍵束は必要ないものに違いなかった。
「父さん!」
俺は進藤を居間に残して、父さんの後を追いかける。
父さんは僅かに軋む廊下を、俺の声を気にもせず歩き続ける。
「父さん!これはどういう意味?」
「良一郎」
振りかえらず、立ち止まらずに返事をした父さんの声には、普段の柔らかさがなかった。
こんな声を聞くのは随分と久しぶりな気がする。
「進藤君に刀を持たせてあげなさい。彼にはそれが良い経験になる」
そうだ、この声は剣術の稽古をつけてくれる時の、剣術家としての父さんの声だ。
「良一郎も、良い経験になるだろう。幸いな事に本身は二振りある。遠慮なく使いなさい」




