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サムライフローマ  作者: いぬっころ
第一章 気がつけばローマ
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23t13

 後悔は一瞬だけの事だった。

 言葉に出してしまえば、なんて事は無い。

 目の前で人が殺される所なんて、私は見たくない。

 まして、知った顔が殺されそうだとなれば、私が黙っていられる訳が無かった。

 闘技場にいる全ての人が呆けた顔で私を見ている。

 ちょっと怖いけれど、弱音を吐いている余裕は無い。

 呆然とした様子のユリアの手をゆっくり解いて、私は闘技場内が良く見渡せる位置に移動する。

 堂々としなくてはならない。

 ウェスタの巫女が自信なさげな情けない態度で人前に出てはならない。


「大将戦の中止を要求します」


 精いっぱいの虚勢を張って、堂々と要求する。

 こんな子供だましの考えが通用するのか、わからない。

 それでも私には、これしか思いつかなかった。


「あなたは何を言っているのですか?大将戦ならば先ほど決着がつきました。敗者の処刑を邪魔したアキレウスを捕え、二人とも処刑しなければならない。私にはこの剣闘を主催した者としての責任がある。あのような無法を断じて許容できない」


 サウロスが冷静な調子で答えた。

 しかしサウロスの表情には、明確な怒りが浮かんでいる。


「どこに敗者がいると言うのですか」

「は?」

「いつ決着がついたのです?」

「そんなもの、ペンテシレイアが武器を手放した瞬間に決まっている」

「では、誰が勝者なのですか?」

「アキレウスに決まっている!あなたはさっきから何を言っているのだ!?」


 サウロスには、私がふざけている様に見えるのかもしれなかった。

 私の言葉を聞くたびに、恐ろしい形相へと変わっていく。

 それも当然の事かも知れない。

 大成功で終わるはずだった剣闘大会が、最後の最後でつまらないケチがついたのだから。

 つまらないケチをつけている自覚はあった。

 だが、今はつまらなかろうが、なんだろうが私の話を聞いてもらう。

 二人が処刑される所なんて私は見たくないのだ。


「では、その宣言を聞いた者がここに一人でもいるのですか?」

「なに?」

「アキレウスが勝者である。と、宣言を聞いた者がこの場に一人でもいるのですか?私は聞いた覚えがないのですが」


 私はそこで状況が飲み込めず混乱している観客たちを見まわした。

 誰もが声をあげない。ただ呆然としている者の方が多いに違いない。だが中には冷静に思い返している者もいるようだった。


「誰も聞いていないとは不思議な事です。引き分けだった前哨戦は除外するとしても、それ以降の剣闘は全てどちらが勝者なのか、明確な宣言がありました。それなのにどうして大将戦だけはそれが無かったのでしょう?」


 サウロスすらも言葉を失っている。

 進行役の男は青ざめた顔をして立ち尽くしていた。自らがきちんと仕事をしなかった事を、彼ははっきりと覚えているのだろう。

 進行役の人には、本当に申し訳ないのだけれど、私は僅かな自信を得て、言葉を続けた。


「宣言がなくては剣闘に決着がついたとは、言えないのではありませんか?そうであれば、剣闘はまだ終わっていなかった。という事になる。勝者が誰で、敗者が誰かなんて事は、誰も知らない。それなのに処刑人を差し向けて剣闘を途中でやめさせてしまった。これでは公正な剣闘、とは言えないのではありませんか?」


 勝者が誰なのか宣言されていない。などとは、子供だましの戯言でしかない。

 ペンテシレイアが武器を手放した瞬間に、私ですら勝負がついた。と思ったのだから、ここにいる観客全員がそう思った事だろう。

 ただ難癖をつけているだけだ。と言われたら否定すらできない。当然の事だが、褒められた行動ではない。

 だが、ウェスタの巫女がそれを言えば、どうだろう。


「ペンテシレイアは武器を手放した!降参するという合図だ。敗者が誰かなんて事はわかりきっている!」

「それをあなたの神に誓って言えますか?私は言えます。先ほどの大将戦が決着した、という宣言を耳にしていない。と女神ウェスタに誓いましょう」


 とどめの台詞のつもりでそう言った。

 言ってしまった。

 もう手遅れだったとは思うけれど、女神ウェスタの名前を出してしまった以上はウェスタの巫女としての責任が間違いなく発生する。

 私はもう言い訳のしようも無い、退けない所まで来た。

 そして、サウロスと観客たちが、これで納得してくれなければ、私は権力者たちに、いつでも使える都合の良い口実を一つ与えてしまう事になる。

 どうか、これで終わってください。


「しかし、ここにいる観客たちは納得しない!私は主催者として、観客の要求に応える責任がある!皆はどう思う!?」


 サウロスは諦めない。

 サウロスは観客たちに意見を求めた。

 だがそれは、自分は観客の要望に応えたいだけだ、と言う意思表示に違いなかった。

 彼の言う事も、もっともではある。そもそもこの剣闘大会は、サウロスが人気取りのために開催したらしいのだから、観客たちの意見を優先したいに違いないし、本心では神に宣誓してまでウェスタの巫女と対立したくないと思っているのだろう。

 二人を処刑するのか否かは、サウロスの判断ではなく、観客の判断にゆだねられる事になった。

 観客たちはざわめいている。

 しかしまだ、真剣に判断する為に考えている者は少数のように思われた。

 観客に何かを訴えかけるならば、今以上の機会は無い。そして次の機会もおそらくはないだろう。

 今を逃せば、処刑をやめさせるのは難しい事になる。

 でも、どうしよう。

 私が思いつく処刑をやめさせる為の考えは、さっきのやりとりで、すっかりお終いだった。

 どれだけ頭を巡らせても、なにか足しになる様な事は思いつかない。

 なにか考えなしの事を言って観客たちからの印象を悪くするのも良い方法とは思えない。

 このまま観客たちが答えを出すのを待つしかないのか、と思うと情けない気持ちでいっぱいになった。


「皆さん聞いて下さい」


 聞きなれた良く通る声がした。

 知らない間にユリアが私の隣に立っている。


「先ほど大将戦に出場したアキレウスは、ラテン語もギリシア語も理解してはいません。身振り手振りを使い、どうにか簡単な意思疎通ができる。程度の状態なのです」

「ユリアぁ」

「後でね」


 思わず情けない声が出た。

 自信溢れるユリアの喋り方は、とても頼もしい。


「クィントゥス剣闘士養成所所長のクィントゥス様はどちらにいらっしゃいますか?」


 ユリアは朗々と問いかけた。

 見た事は無いけれど、まるで演説台に立つカエサルみたいだ。と思った。


「ここにおります!」


 クィントゥス側の待機所から声が上がる。

 一人の老人が跪いて答えた。彼がクィントゥスなのだろう。


「クィントゥス様に尋ねます。今日まで、アキレウスとどのような会話をしましたか?」

「彼は我々の言葉を話す事はできない様子でした。ですので、身振り手振りを交えなんとか意思疎通を計り、彼に剣闘士としてこの剣闘大会で戦って貰えるよう、金銭を対価に契約を結びました」

「では、契約を交わす際に、彼に剣闘について説明を行いましたか?」

「いいえ、身振り手振りの意思疎通には限界があります。そこまで説明する必要があるとは思わず、行っておりません」

「ありがとうございます。お聞きの通り、アキレウスはローマ市民では無く、外国人である事は明らかです。また、クィントゥス様の奴隷でもない。であれば、彼にはローマ市民法も奴隷に関する万民法も適用されない。彼を明確に裁く事ができるのは外事法務官のみかと思われます。当然私も、ここにいるティベリアもその権利を持ち合わせておりません。この場に外事法務官がいらっしゃいますか?」


 居る筈がない。

 法務官はローマに八人しかいない。それも外国人関係の担当の外事法務官はその内の二人だけだ。

 誰も名乗り出る者は無かった。


「クィントゥス様とアキレウスが交わした契約が、正しいものであるのか、この場にいる誰にもわからない。であれば、アキレウスが出場した大将戦は、そもそもが正当な剣闘ではなかった可能性があります。であれば、如何に剣闘大会の最中の事であっても、アキレウスを処刑する。と言うのはローマ法、法律家、法務官をないがしろにする行為に他なりません。繰り返しますが、アキレウスは言葉がわかりません。両者が正しく契約を交わしたと思っていても、それぞれに誤解があった可能性はかなり高いでしょう。それを確かめる一番確実な方法は、アキレウス本人に話を聞く事ですが、私には、それが可能だとは思えません」


 誰もがユリアの言葉を聞いていた。

 ユリアの言う事は、法律に疎い私にすら理屈にかなっているように聞こえる。

 観客たちはどう感じているのだろう。


「誇り高い我々ローマ人が、言葉のわからない外国人を都合よく利用し、さらには処刑したともなれば、ローマという我々の国が、長い年月をかけ、少しずつ積み上げてきた外国からの信頼を失墜させる事に他ならない。ひいてはローマによる平和(パクス・ロマーナ)に自ら楔を打ち込む事にも繋がりましょう!たとえ私たちがここに居合わせた観客全員に疎まれようとも、そのような暴挙は国母であるウェスタの巫女として断固として認められません!」


 ユリアは凛とした佇まいのまま叫んだ。

 直後、闘技場は歓声に包まれる。

 観客たちは手を打ち鳴らし、声をあげてユリアの言葉に賛同している。


「皆の考えは良くわかった!」


 サウロスは声をあげた。進行役も正気を取り戻し、観客たちを鎮めようと手を掲げて叫んでいる。

 観客たちは徐々に冷静さを取り戻し、やがて静かになる。

 それをしっかりと待ってから、サウロスが落ち着いた調子で話を始めた。


「ウェスタの巫女たち、あなた方の深くローマを愛する気持ちに気付かず、私は愚かな選択をしてしまう所であった。感謝いたします。しかしこのまま剣闘大会を中止にしてしまっては、私の主催者としての面目が保てません」


 サウロスはそう言ってぐるりと観客席を見まわしてから言う。


「私は、私の神に誓って宣言しよう!私は万難を排し、この剣闘をもう一度開催する!その時は今回の様な失敗を私は犯さない!皆には今しばらく待っていて欲しい!」


 邪気のない笑顔で叫ぶサウロスが観客に呼びかけた。

 観客はその呼びかけに歓声で応える。


「では!早速で申し訳ないが、追悼剣闘大会の終了を宣言する!私はこれから急いで金を稼がなくてはならんのでな!」


 しわだらけにした茶目っ気のある笑顔で、サウロスが言った。

 この時、円形闘技場は今日初めて爆笑の渦に飲み込まれた。

五月二十二日、加筆修正

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