21t11
前哨戦と銘うたれた最初の一戦は、両者がめまぐるしく動く戦いとなった。
両者の武器は互いにグラディウス一本のみ。防具も盾も無い。彼らが身につけているのは、簡素な腰布とサンダルだけ。
そんな恰好で、お互いに切りかかりあって、かわしたり、組み合ったりしながら戦い続けている。
デオドロスが切りかかると、ケルティルは地面を転がるようにしてかわす。
ケルティルが切りかかれば、デオドロスは大きく後ろ向きに宙返りしながらかわす。
とにかく動きが軽やかで、見ていて飽きる事は無いけれど、いつかあの鈍く光るグラディウスがどちらかの剣闘士に当たってしまうのだろう、と私は恐々としながら観戦していた。
「まあ、最初はそうよねぇ」
ユリアのつぶやきが聞こえた。僅かに不満げな声だった。
大勢の観客たちは剣闘士たちの動きに合わせてざわめいたり、剣闘士たちに声援を送ったりと盛り上がっているが、それらはユリアの小さなつぶやきが聞きとれる程度のものだった。
「どうしたの?ユリア楽しくないの?」
「楽しくないって事は無いけど。これは剣闘じゃない」
「戦ってるけど?」
「前哨戦って言ったでしょ?これは曲芸みたいな物で、観客を盛り上げるためにやる前座よ。二人とも怪我なんか絶対にしないから、ティベリアも安心して見ていいわよ。もったいないわ、ケルティルもデオドロスも良い剣闘士なのに、今回は前座役か。と言う事は次からはかなりアツイ事になりそうね」
ユリアは一旦落ち着いた様子になって、息をついた。
「ユリア様。お待たせしてしまい申し訳ありません」
低い男性の声がすぐそばから聞こえてきて、思わず肩が跳ねた。
声のした方を振り向けば、剣闘士にも劣らない立派な体格の男性が特等席近くの階段で跪いている。
「遅かったわね、プリニウス。面白い話でも拾ってこれたのかしら」
「はい、とびきりの物をなんとか得る事が出来ました」
「そうだと思ったわ。あなた、特に面白い話が無い時は時間をきちんと守るものね」
「はははっ、戦果で失態を誤魔化すのは軍人の癖でありますな」
「ティベリア、この人はプリニウス。情報通の元軍人さんよ」
「お初にお目にかかります。七年前まではライン川の畔で国境守備隊の一員として働いておりました」
二人の間の雰囲気はとても気安い。それこそ長い付き合いの友人同士のようだった。年若のウェスタの巫女と、そろそろ老年と呼ばれても不足なさそうな元軍人が、一体どのようにして知り合ったと言うのだろう。
「で、とびきりの面白い話って何よ?」
「報告は、結果を先に、端的に。と軍では教育されます。本日の大将戦にスパルティコは出ません」
「どうして!?ペンテシレイアとまともに勝負ができる剣闘士なんてスパルティコ以外に居ないでしょう!?」
「落ち着いて下さい。訳があるのです」
「どこが端的な訳?」
「スパルティコは副将戦に出場するようです」
「はぁ?副将戦の勝ちは一勝分よ?一番強い剣闘士を大将戦から外すなんて正気じゃないわ」
「ここからが面白い話の本番です。どうやらクィントゥス側は、必勝の切り札を手に入れたようなのです」
「必勝の切り札?はっ、アキレウスでも連れてきた?そんなわけ」
「なんと!ご存じだったので?」
「どういう事?」
「あ、たまたまですか」
「何の冗談?」
「あちらをご覧ください」
二人の楽しげな様子を微笑ましい気持ちで窺っていると、プリニウスさんはクィントゥス剣闘士養成所の剣闘士たちがまとまって待機している一角を見るように促した。
「ん?見覚えのない剣闘士が居るわね。格好も変だわ」
「ええ、あの者こそクィントゥス側の切り札。アキレウスと言う剣闘士です」
「知らない剣闘士ね。ただ、名前が思わせぶりなだけ?」
「いえ、私はユリア様からの手紙を頂いてから両養成所を張っていたのですが、昨晩からクィントゥス側の動きが妙だったのです」
「妙?」
「はい。所長のクィントゥスが昨晩、対戦相手のガイウスと、主催者のサウロスの元を訪れて何か密談をしたようなのです。話の内容までは流石に分からないですから、そのままクィントゥス側に張り付いて様子を見ていたら、今朝、アキレウスとスパルティコが模擬剣闘を行っている所を目撃しました。結果はなんとスパルティコの敗北。アキレウスの見事な腕前を見た他の剣闘士たちは、彼の名前を連呼する大騒ぎ。私のつてを辿ってアキレウスの事を聞いて回りましたが、一切情報が出てこない。これは時間通りに闘技場入りするしかないと諦めて闘技場にきてみると、対戦が一組増えている」
「クィントゥスが隠し玉を用意していたのかしら?」
「それは分かりません、もしそうなら事前に何かしらの情報が漏れそうなものですが。今日の大将戦はアキレウス対ペンテシレイア。これは盛り上がりそうです」
「流石プリニウス。良い仕事ね」
「お褒め頂き感謝の極み」
私は二人の会話をほとんど聞いていなかった。聞いてはいたのだけれど、ほとんど頭に入ってこなかった。
クィントゥス剣闘士養成所の剣闘士たちに交じって彼がいる。
彼は真剣なまなざしで剣闘試合を眺めていた。
日の光を浴びて一層艶やかに輝く黒髪。不思議な灰色の服と、黒い二本のグラディウス。
二人がアキレウスと呼ぶ彼は、どう見てもあの時の彼に間違いない。
どうして彼があんな所にいるの?
五月二十二日、加筆修正