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サムライフローマ  作者: いぬっころ
第一章 気がつけばローマ
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 反省しよう。

 友人の言葉が常に真実であるとは限らない。

 なにせこのユリアと言う友人は、人懐っこくて、冗談を好み、人を笑顔にするのが大好きな人なのだ。

 彼女が嘘つきと言う訳ではない。少し考えればすぐに冗談と分かるものを、本当の事に違いないとあっさり信じてしまう私が良くないのだ。

 現にユリアは、彼女は悪くないと言うのにしきりに謝罪してくれている。


「気にしないでいいの、私の考えが足らなかっただけ。それより日の出だわ、あまりゆっくりしていると火が消えてしまいそう」

「そう、そうね。火が消えたら一大事だもの。うん、わかった」

「もう眠いでしょう?ゆっくり休んで」

「うん、わかった」


 ユリアは自室に戻る為にゆっくりと歩き出したが、途中何度かこちらに視線を向けた。

 きっと自分の冗談が、長い間私に苦労を強要したのではないかと心配しているのだろう。

 冗談を言いもするが、性根は繊細で人の気持ちを大切に思っている所がある。だからユリアは誰からも嫌われない。


「そうだ、ティベリア。明日は私がキトン着つけてあげるから、部屋で待っていて」


 ユリアは歩きながら思いついたように言う。


「明日は一日休みだけど?」


 キトンとパルラはウェスタの巫女の正装だから、わざわざ休日に着る必要はない。

 着てはいけない。という決まりは無いが、巫女としての勤めがお休みの日は、トゥニカを着て過ごすのが一番気楽だ。それはユリアも承知しているはずだった。


「忘れたの?明日もお勤めよ」


 そう言われて気がつく。


「そっか、剣闘観戦だ」

「そうよ、楽しみね!お休み!」


 ユリアは今から楽しみでたまらないといった様子で足取りも軽やかに去っていった。

 ぱちり、と薪の爆ぜる小さな音が静かな神殿に響く。


「いけない、薪を足さないと」


 その音が暗く沈みかけた感情を一旦押しのけて、私に勤めの事を思い出させた。

 女神ウェスタはローマの全ての(かまど)と家庭を守護する。

 ローマにおいて最も大きな円形神殿には、立派な竃だけが設置されていて、その中の火はどんな時でも絶やされる事はない。

 竃の火は女神ウェスタ自身であると信じられていて、この聖火を絶やさない為に私たちウェスタの巫女がいる。

 だから、私たちが行うべき最も大切な勤めとは、竃の聖火が絶えないように常に見ている事と、薪を継ぎ足す事なのである。

 薪は何時もテルティウスお爺さんが扱いやすく割ってくれた物が用意されている。テルティウスお爺さんはもう六十歳近くの老人であるけれど、まるで石像の様な逞しい体つきをしている。

 そろそろ起きてきて薪を割り始め、お昼前には明日の昼まで足りるように薪を運んで来てくれる事になっている。

 神殿内の薪置き場で残り具合を確認すると、充分な量が残っていた。火の勢いが弱まっているから、できるだけ細くて早く火が移る薪を三本竃に放りこんで、長持ちする太めの薪を二本その上に組む。

 細い薪にきちんと火が移ったのを確認すれば、後はしばらく大丈夫。

 しかし薪が燃え尽きるまでのんきに構えている事はできない。

 ウェスタの巫女にはもう一つ重要な勤めがある。

 モラ・サルサと言う供物用の麦粉を作る事。これは小麦を臼で荒く挽いて、適切な量の塩を混ぜた物。ローマの神事では必ずと言って良い位に使用する物で、時期によっては巫女総出で小麦を挽く。なぜならこのモラ・サルサを作って良い、と認められているのはウェスタの巫女だけなのだ。

 普通一度の神事で大量に使用する事は無いけれど、ローマには数えるのも億劫になる程の神殿があり、それぞれ異なる神を奉じている。ローマは年中神事まみれなのだ、モラ・サルサの蓄えが減らない日は無い。そのために普段から竃番の合間にモラ・サルサを作り置きする事が奨励されていたりする。

 特に女神ウェスタを祭るウェスタリアの準備期間は壮絶な事となる。八日間にわたって行われるこの神事は期間中ずっとモラ・サルサを聖火に投げ込み続ける。

 想像を絶する量のモラ・サルサを消費する為、準備期間に巫女全員が交代で休憩しながらずっと小麦を挽き続ける。当然休みなど寝るとき以外は無い。

 それこそ仲違いしてしまった巫女同士が、ウェスタリアが過ぎれば親友になれる。くらいには壮絶なのだ。人見知りをしてしまう新人巫女も一発で打ち解ける事が出来る。

 まあ、それは特別忙しい時期の話であって、普段は竃の様子を見ながらモラ・サルサを作ったり、痛んだ服なんかを繕ったり、神事に使う祭器の手入れをしたりする。

 休日であれば自由に過ごしている事の方がずっと多い。


「セルウィア!起きなさい!今日は祭器の説明をすると言っていたはずですよ!」


 参拝者がきても邪魔にならないように、端の方でモラ・サルサを作るための挽き臼の用意をしていると、声が聞こえてきた。あの声は現在の神官長であるクラウディア様のものだ。

 巫女たちの家と呼ばれる私たちの住まいとウェスタ神殿は、目と鼻の先にあるから大きな声を出すと声が届く。

 私も修行時代は、よくあんな風に叩き起されていたなぁ。と懐かしい気分になって、ゆっくりと小麦を挽き始める。

 ウェスタの巫女は十年に一度、推薦された二十人の少女の内から六人が選ばれる。巫女に選出された少女たちは十年間をかけて最年長の先輩巫女たちについて修行し、その後一人立ちして十年間勤め、さらにその後は新人巫女を十年かけて指導する。

 私も後五年勤めれば、新人巫女を教育する立場になる。

 どんな子に教える事になるのだろう。陽気な子?人見知りする子?私みたいに覚えの良くない子かもしれない。

 でも大丈夫。十年も修行すれば、どんな子でもちゃんと勤めを果たせる様になる。それは私が一番よくわかっている。最初は上手にできないのが当たり前なのだから、私がそうしてもらったように忍耐強く、丁寧に教えてあげれば良いだけだ。

 一回分の小麦が挽けて、決まった分量の塩を混ぜる。一度にまとめてたくさん作ろうとしてはいけない。誰しも一度は試して、先輩に怒られるのだが、きちんと手順を守って作る事に意味がある。

 そうして、まだ見ぬ可愛い新人巫女の事を夢想しながら、黙々と薪を足し、モラ・サルサを作り続ける。


 テルティウスお爺さんが薪を持ってきてくれたので、もうお昼過ぎなのだと気がついた。

 テルティウスお爺さんは寡黙な人で口数は少ないけれど、とても礼儀正しい人で神殿に入る前には一礼を欠かさない。

 薪を抱えて何度も神殿と薪の置いてある場所とを行き来するのだが、腰を労わっている様子が最近は増えてきたように思う。どれほど壮健に見えてもやはり体の衰えがあるのかもしれないと、少し心配になった。

 そろそろ、交代の時間だと気がついて、急いで挽き臼を片付ける。


「ティベリア、お疲れ様です。食事の用意ができていますから頂いて下さいね」

「ティベリア姉さま、お疲れ様です」

「はい、クラウディア様。セルウィアもお疲れ様。後はよろしくお願いしますね」

「ええ、もちろん。さあ、セルウィア。まず竃を確認して、どのような状態になっているか教えて下さい」

「はい!」


 挽き臼を片付け終わると、次の竃番であるクラウディア様とセルウィアがやってきた。

 まだ小さいセルウィアが真剣な表情で竃を覗き込んでいるのはとても愛らしい。


「火が小さくなっています。薪が必要です」

「ええ、そうです。薪はどのような薪が適切ですか?」

「火が簡単に移る細い薪です」

「ええ、そうですね。ではそれを持ってきてくださいね」

「はい!」


 歳を重ねて一層美しさを増しているクラウディア様と、将来は絶対に美人になると予想されるセルウィアが並んでいると、まるで本当の親子か、年の離れた姉妹のように見えてくる。


「手際が良いですね」

「厳しく教えていますから」


 そう言って苦笑するクラウディア様のまなざしは、言葉に反して優しさに満ちているように感じた。

 本当は厳しい事を言いたくは無いのだろう、と思う。だってセルウィアは本当に可愛らしいし、毎日努力をしている健気な子なのだ。

 でも、きちんと勤めを教えるのが年長の巫女の勤めで、セルウィアにとってもこれから必要になる事なのだ。

 本心では甘やかしたい程可愛いが、それは誰のためにもならないからできない。

 まるで父親か母親のよう。

 巫女同士の関係は、家族の関係によく似ている。と私は思う。

 年長の巫女が新人を厳しく指導すると同時に、我が子や妹にそうするように愛情をも注ぐ。

 巫女として勤めるために初潮を迎える前から親元から離されるから、若い頃特有のイラつきも同期の巫女や先輩巫女にぶつけるしかない。嬉しい事も悲しい事も共有できるのは巫女の仲間達しかいない。私も姉さま達に何度迷惑をかけた事かわからない。

 でも姉さま達はいつでもそれをきちんと受け止めてくれるのだ。

 同じ住居で三十年も寝食を共にするのだから、それも当然かもしれない。

 巫女を勤めている間は清純である事を求められるから、自分の子供を持てない事も関係があるかもしれない。

 女ばかりの環境で育ち、異性も恋も知らずに成人し、勤めを終えれば大年増である。

 子供に対する欲求は、もしかするとローマの女たちの中でも、ウェスタの巫女が一番強いのかもしれなかった。


 私は二人に竃番をまかせて、一人で少し遅い昼食を済ませる。

 基本的に一日を三組か四組で公平な時間割になるよう分割して竃番を担当する。

 今時期は日の出ている時間が長いので三交代。

 一人立ちした巫女六人と、年長の巫女六人にそれぞれ一人ずつ新人巫女がついているから、合わせて十二組。

 担当時間の不公平が無いように、順番を入れ替えながら竃番を決める。

 そうすると、実際に竃番をするのは三、四日に一回程度で、それ以外は自由に過ごして良い事になっている。

 しかし、明日の剣闘観戦のように、催し物に招待される事もあれば、元老院や最高神祇官から神事や裁判などに関する意見を求められる事もあり、休みが無くなる事もよくある。

 明日は朝から剣闘観戦のお勤めだから、寝坊は厳禁だ。

 もし寝過ごしてしまえば、護衛のリクトルの人達、二輪車を引く人にも迷惑をかける事になってしまう。

 私としては気楽に歩いて向かいたいのだが、ローマ法でウェスタの巫女は篤く保護される事に決まっているのでどうしようもない。

 それだけで気が重いのに、さらに剣闘観戦まで。

 私は剣闘があまり好きではない。

 痛そうだし、騒がしい。騒がしいのは別に嫌いではないのだけれど、闘技場内の騒がしさはなんだか恐ろしいと思ってしまう。

 剣闘観戦は割と良くある勤めなので、たとえ好ましく思っていなかったとしても、行かない。と言う訳にも行かず。

 明日はそんな事になるのだから、今日は日課の散歩を目一杯楽しむ事に決めた。

 ウェスタ神殿のすぐそばには、何時でも対応できるようにリクトルの人たちの詰め所がある。そこに一言声をかけて、昼過ぎの活気に満ちたローマの市街にくりだすのだ。

 今日はどんな発見があるだろう。

五月二十一日、加筆修正

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