責任ある取り立て
時:1932年(昭和七年)、夏
場所:ワシントンD.C. ホワイトハウス・オーバルオフィス
「……警備の責任者は、即刻軍法会議にかけろ!!」
ハーバート・フーヴァー大統領は、こめかみを強く揉みながら、海軍長官のアダムズに吐き捨てた。
「我が国の威信は丸潰れだ。東郷はあの爆弾騒ぎを『余興』と呼び、投資家の前で我々をピエロにした。おかげで、我々が覚書で流入を制限したはずの『NCPC債』の価格上昇度は過去最高ペースだそうだ。
……一体誰が、あんな素人テロリストを会場に入れたのだ」
「海軍内部では、『我々(国務省や財務省)の差し金だ』という陰謀論すら飛び交っております」
スティムソン国務長官は、苦々しい顔で報告した。
「『文官どもが海軍の顔に泥を塗るために仕組んだのだ』と。キング大佐……いや、一部の強硬派軍人などは、あわやワシントン市内で国務省の役人を殴り倒しかねない殺気を放っています」
「馬鹿な……我々がそんな真似をするはずがないだろう!」
「ええ。ですが、事実として海軍と我々の関係は冷え切り、議会も海軍予算の追加削減を叫び始めています。
おまけに、東郷がBISでドルを売ってポンドを買い支え続けていることで、国際市場では『ドル売り』の圧力が強まっている。……大統領、我々の政府は今、内側からも外側からも崩壊しかけています」
フーヴァーは、深く暗い絶望の溜息をついた。
責任ある不支出によってイギリスの船台を失い、責任ある不警備によってウォール街の笑いまで失った。アメリカの誇りは、すでにズタズタだった。
(……ドル防衛のためには、金がいる。今、金準備を確保しなければFRBが崩壊する)
⸻
時:同日
場所:イギリス・ロンドン、特命使節滞在先(高級ホテル)
一方、その頃。
『対英金融安定交渉の特命使節』という名目で、実質的にワシントンから追放されていたアンドリュー・メロン財務長官は、ホテルのスイートルームで苛立ちに身を任せていた。
「……チェンバレンも、ノーマンも! どいつもこいつも私を愚弄しおって!!」
メロンは、クリスタルグラスに注がれた高級ウイスキーを一気に煽った。
ロンドンでの交渉は、屈辱の連続だった。
イギリス政府は、アメリカがアルゼンチン市場を強奪したことを根に持ち、メロンを完全に「冷遇」した。英国特有の致死量の皮肉を浴びせられ、交渉は一歩も進んでいない。
そこへ本国から届いた新聞と電報が、彼のプライドにトドメを刺した。
「……なんだこれは。東郷が爆弾テロを靴の先で片付け、ウォール街で合衆国海軍を嘲笑っているだと?海軍の馬鹿どもめ。素人に毛の生えたような暴漢一人止められず、世界中の笑いものになりおって」
メロンは、高級な葉巻を苛立たしげに噛みちぎった。
このままでは、フーヴァー政権は次の選挙を待たずに崩壊する。強気な共和党の支持者たちに「アメリカはまだ強い」という明確な証拠――すなわち「勝利」を届けなければならない。
「その上東郷のドル売りのせいで、ドルの流出懸念が高まっている!?
……このままでは、ワシントンに戻っても私の居場所はない。無能な財務長官として歴史に名が残ってしまう!」
メロンの頭脳が、猛烈な勢いで回転し始めた。
(どうすればいい。どうすれば、ドルの信用を回復し、私自身の名誉を挽回できる?)
(ドルが売られているなら、ドルの価値を物理的に裏付ける『絶対的な担保』を金庫に積めばいい。すなわち、金塊だ)
(だが、FRBの金準備には余裕がない。ならば、外から持ってくるしかない。……どこから?)
メロンの脳裏に、一つの国家の名前が閃いた。
(……フランスだ)
メロンは目を輝かせた。
(いまだに、フーヴァー大統領はほとぼりを冷ました後、欧州経済を救うために『戦債の支払い猶予』を出すつもりでいる。
だがイギリスはともかく、フランスに猶予を与えてやる義理は一セントもないはずだ!)
フランスは、世界の金準備の3割近くを溜め込んでいる「金の怪物」だ。
しかも彼らは、1929年に利己的にアメリカから金を引き揚げ、日本の金でオーストリア(CA銀行)で高利貸しをやって自爆した『放火魔』である。
(日本がドルを売ってポンドを買うなら、我々はフランスから『ドル建ての戦債』を金塊で強制回収し、ドルを強くする!
フランスには金がある。そして我々には戦債の請求権がある。
……奴らから大戦の戦債、『メロン=ベランジェ協定に基づく約16億ドル』の担保として、金塊を吐き出させればいいのだ!)
メロンは、すぐさまワシントンへ向けて暗号電報を打たせた。
『大統領へ。ポンド防衛は日本の資金により当面安定。
ついては、ドルの信認回復および国内世論の沈静化のため、仏国に対し米仏戦債の即時履行保証(金準備のNY連銀への預託)を要求することを具申する。
フランスには支払い能力あり。これを断行すれば、ドルの防衛線は盤石となり、国民も喝采を送るであろう』
この時、メロンの頭の中には「帳簿の数字の回復」しかなかった。
「……東郷。資本主義の力というものを見せてやる」
メロンは、ロンドンの夜霧を見下ろしながら、勝利を確信して一人ほくそ笑んだ。
⸻
場所:フランス・パリ、フランス銀行総裁室
「……狂っている! アメリカ人は完全に狂っている!!」
新フランス銀行総裁クレマン・モレは、手の中の要求書を握り潰さんばかりにして絶叫した。
目の前のソファには、アメリカ合衆国財務長官アンドリュー・メロンが、冷徹な顔で座っている。
「狂っているとは心外だな、モレ総裁」
メロンは、葉巻の煙をゆっくりと吐き出した。
「我々は『今すぐ戦債16億ドルを全額払え』と無茶を言っているのではない。ただ、『アメリカに対する支払い能力の証明』として、貴国の保有する金準備の一部を、ニューヨーク連邦準備銀行、またはBISに『イヤーマーキング』しろと言っているだけだ」
「それが恐喝だと言うのだ!」
モレは机を叩いた。
「我が国が苦労して蓄えた金準備は、フランの信用の生命線だ! それをアメリカ名義で封鎖しろだと!? そのような屈辱的な要求、フランス国民が許すはずがない!」
「ならば、デフォルト(債務不履行)を宣言したまえ」
メロンは、まるで不良債権の処理をするように冷たく言い放った。
「貴国が1929年に我が国から金を引き揚げた結果、ドル防衛がどれほど危うくなったか。
……貴国には『金』がある。あるなら、債務の担保として差し出すのが資本主義のルールだ。
それを拒むなら、我々は貴国を『支払いの意志なき悪質な債務者』として国際金融市場から締め出す。
……日本の『東郷少将』のやり方に倣えば、そうなるがね」
モレの顔面から血の気が引いた。
アメリカは、東郷のやり方を彼ら流に学習し、それをそのままフランスに向けてきたのだ。
だがもし払えば、フランスはアメリカの『属国(取り立ての対象)』だと世界に認めることになるのだ。
そこへ、青ざめた海軍大臣のレーグが部屋に飛び込んできた。
「……モレ総裁! 大変だ! ブルターニュ半島のブレスト沖に、アメリカの大西洋艦隊が現れた!
空母と戦艦を含む、水上打撃部隊だ!!」
「なっ……! ア、アメリカ海軍だと!?」
モレが腰を抜かしかけた。
「ご安心を、レーグ大臣」
メロンは、微かに口角を上げて立ち上がった。
「我が海軍の艦隊は、決して貴国を攻撃するために来たのではありません。
……あれは、『戦債履行に伴う金塊輸送の安全を確保』し、合衆国政府の資産を護衛するために、親善寄港のついでに見守りをしているだけです」
(……この、ヤンキーの悪党どもめ……!!)
レーグは、軍人としての屈辱に震えた。
(独立戦争の時、我々が流した血とラファイエット将軍の恩義を……貴様らは、金塊の取り立てと戦艦の恫喝で返すと言うのか!!)
「感情で借金が減るなら、ウォール街は慈善団体になっていますよ」
メロンは、帽子を被り直した。
「……では、良いお返事をお待ちしております。港の『警備員』たちを、あまり長く待たせないでいただきたい」
⸻
場所:フランス・ブレスト沖合、大西洋
鉛色の空の下、夏とは思えぬほど冷たい波が押し寄せるフランス沿岸に、アメリカ海軍の威容を誇る巨大な影が二つ浮かんでいた。
3万3,000トン級の巨大空母『サラトガ』と、16インチ砲8門を擁するビッグ・セブンの一角、戦艦『コロラド』を中心とする水上打撃任務部隊である。
「……クソったれが。まるでマフィアの借金取りじゃないか」
空母『サラトガ』の艦橋で、副長のリッチモンド・ターナー中佐は、苛立たしげに双眼鏡を降ろした。
彼の視線の先、ブレストの港には、アメリカ政府の命令で「金塊」を積み込むための輸送船が横付けされている。そして港の周辺には、数万のフランス人の姿が見えた。
「我々アメリカ海軍は、誇り高き『国家の盾』だ。
それがなぜ、強盗のように金庫をこじ開けるような真似をさせられているのだ!」
ターナーの怒声に、艦橋の通信機から、戦艦『コロラド』の副長、トーマス・キンケイド中佐の冷静な声が響いた。
『……落ち着け、ターナー。ワシントンの命令だ。フランスが金を出し渋れば、ドルの信用が崩壊して我々の給料も出なくなる。これも“愛国的な任務”さ』
「ふざけるな、トム!」
ターナーは、通信機のマイクを握りしめた。
「ドルの信用を崩壊させたのはフランスじゃない! あの極東の……我々の同期だった、あの東郷一成の仕業だろうが!」
東郷一成。
1908年のアナポリスにおいて、ターナーとキンケイドは、その東洋人の小柄な青年をよく知っていた。
当時のアメリカ社会に渦巻いていたレイシズムの只中で、東郷は士官候補生たちから、陰に陽に激しい迫害を受けた。
だが、東郷は決して泣き言を言わなかった。喧嘩を売られれば完膚なきまでに叩き伏せ、学業では冷徹なまでに完璧な成績を叩き出し続けた。
『……ああ。覚えているよ』
通信機の向こうで、キンケイドの声が微かに沈んだ。
『我々は彼を影で“生意気な猿”と呼び、卒業と同時に「国籍条項」というヘイジング(合法的なイジメ)で、アメリカ海軍から追放した。
……あの時、彼は笑っていたな。怒るでもなく、悲しむでもなく。“大変良い勉強になりました”と言って、静かに荷物をまとめて、我々のグレート・ホワイト・フリートから去っていった』
ターナーは、拳で壁を殴りつけた。
「大砲の撃ち方じゃない。アメリカ人の強欲さや政治とカネの弱点、そして『ルールの抜け穴』のすべてを、アナポリスで骨の髄まで学習して帰りやがった!
そして今、奴は日本の提督となって、我々アメリカ海軍に『大西洋で泥棒の真似事をさせる』という最高の屈辱を味わわせている!」
ターナーの言う通りだった。
彼らアメリカ海軍は本来なら、太平洋で急拡大する日本艦隊の脅威に備えるための演習を行わなければならない時期だった。
だが今、その貴重な艦隊の燃料と時間が、この「フランスからの金塊カツアゲ」に浪費されている。
『……ターナー。我々は今、東郷の“復讐”を受けているのかもしれないな』
キンケイドが、ぽつりと言った。
『我々が彼を“アメリカのルール”で追い出したからこそ。彼は“資本主義のルール”を使って、我々の喉首を締め上げにきた。
ターナー。金塊はニューヨークへ運べる。
だが、この港で我々を見ているフランス人の目は、太平洋までついてくるぞ』
「……黙れ! 終わった話だ!」
ターナーの目に、狂犬のような好戦的な光が宿った。
「カネの計算では、ワシントンの豚どもは東郷に手も足も出ないだろう。
だがな、トム。戦争の最後に勝敗を決めるのは、金塊でもスクリップでもない。……『鉄』と『暴力』だ。
奴がどれだけ汚いカネで世界を縛ろうとも、最後に太平洋で俺の『サラトガ』と、俺が指揮する海兵隊が、日本の艦隊と島々を物理的にすり潰してやる。
……アナポリスの裏切り者に、本物の戦争というものを教えてやる!」
『……そうだな。その時が来るまで、我々は大人しく、借金取りの用心棒を務めるとしよう』
夏でも冷たい大西洋の風が、星条旗を激しく揺らしていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや感想、ページ下の【★★★★★】で評価をいただけますと、執筆の大きな励みになります。




