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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第三章

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中国の塩に裏付けられて

 東郷一成は、アタッシュケースを提げて日本大使館を後にした。

 アメリカの新聞が報じる上海の写真は、まだ砲火の傷跡を残していたが、黄浦江には早くも日本本土からの輸送船団が入り込み、赤十字物資(と日本海軍の補給物資)を陸揚げし始めていた。


「……少将」

 随行していた副官の樋端久利雄が、半開きの口のまま興奮冷めやらぬ声で尋ねた。

「完璧な交渉でした。塩税を担保に押さえ、張作霖の監査権まで認めさせるとは。

 これで南京政府は、文字通り『塩漬け』ですね。我々の許可なしには、軍を動かすどころか、息をすることもできない」


「ああ、そうだ。だが樋端君」

 東郷は、用意させた車に乗り込みながら言った。

「塩漬けの肉は長持ちするが、味が単調で飽きる。

 ……それにあまり長く手元に置いておくと、強烈な臭い(反日感情)が移ってしまうからな」


「と、おっしゃいますと?」

「売るんだよ。今すぐ」

 東郷は、窓からワシントンの中国大使館の方角を眺めた。


「我々が先ほどサインさせた『塩税担保・張作霖保証付きの南京再建債』。

 これは、額面にして5,000万ドル。だが、張作霖という確実な保証人と、塩税という最強の担保がついたことで、その信用格付けは暴落後の『35』から、一気に『80』以上に跳ね上がるだろう」


「……あ」

 樋端は、計算の速い頭脳で瞬時に理解した。

「それを、ウォール街に『優良債券』としてパッケージ転売するのですね!」


「その通りだ」

 東郷はニヤリと笑った。


「アメリカの投資家たちは、今大恐慌で世界の投資先に飢えている。

 そこへ『日本海軍が整理し、張作霖が保証した、利回り確実な中国の優良国債』を持ち込めば、彼らは喜んで群がるだろう。

 モルガンあたりが主幹事になって、アメリカの市民に売りさばいてくれるさ」



場所:中国・上海、共同租界・外灘バンドの金融街


 黄浦江を望む重厚な石造りの銀行建築が立ち並ぶ外灘。その一角にあるイギリス系銀行の応接室で、南京政府から派遣された財政部の高官が、額に脂汗を浮かべながら書類を突き出していた。


「……ミスター。どうか、この『国民政府・復興建設公債』の引き受けをお願いしたい。利率は8%を保証します。さらに上海海関(税関)の収入を担保として……」


 だがイギリス人銀行家は冷ややかに、しかし丁寧な所作でその書類を押し返した。


「申し訳ありませんが、当行のポートフォリオに、貴政府の公債を組み込む余地はもう1ポンドも残されておりません。


 ……それに海関収入を担保と仰いますが。現在の貴国の生糸の対米輸出が、日本の経済圏に完全に弾き出されてゼロに近い状態であることは、我々も存じております。

 担保価値の実態が失われている以上、利率を10%に上げようと、リスクに見合いません」


 高官は、青ざめた顔で食い下がった。

「ならば、法幣(紙幣)の信用維持のためのつなぎ融資だけでも! 我々は今、蒋介石総統の下野後の国内統一に全力を挙げており、これが片付けば必ず中国は豊かに……!」


「ミスター」

 銀行家は、冷酷な目で遮った。


「貴政府の歳入は近代国家未満です。

 しかし、貴方がたが現在使っている戦費は近代国家並みです。

 市場での信用は軍閥国家並みです。

 ……なのに、野心だけは『統一国家級』をお持ちだ。我々金融機関にとって、これほど計算が立たないお客様はいません」


 銀行家は極めて英国紳士らしい、しかし猛毒を含んだ冷笑を浮かべた。


「勘違いしないでいただきたい。我々は中国の未来を疑っているのではありません。

 ……貴政府(南京)が、その未来まで生き残るかを疑っているだけです」


「なっ……!」


「ああ、もっとも」

 銀行家は、まるで思い出したかのように付け加えた。

「『奉天(張作霖元帥)の保証付き』なら、話は別ですがね。……どうぞ、お引き取りを」


 

 時:1932年(昭和七年)、春

場所:満州・奉天、大元帥府


 張作霖と息子の張学良は、奉天で発行された最新の新聞を広げ、腹を抱えて呼吸困難になるほど爆笑していた。

「ブァッハッハッハッ!!! おい学良、見たかこの記事と漫画を!」

 張作霖は、笑い涙を拭いながら紙面をバンバンと叩いた。


 新聞の第一面。

 そこには、上海事変を総括する痛烈な見出しが躍っていた。


『南京軍、米国製「発電機」に敗る!』


 そしてその下には、奉天の新聞画家が描いた風刺漫画が掲載されている。


 軍刀を振りかざし、青スジを立てて突撃する蔣介石。

 その目の前には、巨大な「家電三兄弟」が立ち塞がっている。


 一体目は、古い装甲巡洋艦を改造した巨大冷蔵庫。腹にデカデカと『太平洋熟成肉』と書かれている。

 二体目は、白塗りのマークVIIIリバティ発電機。長いコードが伸びて、野戦病院と赤十字倉庫に煌々と電気を送っている。

 三体目は……まだ存在しない「謎の巨大洗濯機」。その横には『次回予告』という立て札が立っている。


「ハッハッハ!! 蔣介石は大したものだ!」

 張作霖は、葉巻を咥えたまま、アメリカから届いた極上のコンビーフ缶を片手に笑い転げた。

「日本海軍の『冷蔵庫』にキレて喧嘩を売り、『発電機』にボコボコに踏み潰された!

 次はなんだ? 日本の『洗濯機』にでも宣戦布告する気か!?」


 奉天の爆笑は、そのまま中国全土、そして列強の外交官たちの冷笑へと直結していた。



場所:アメリカ・ニューヨーク、ウォール街


 東郷一成の真骨頂は、この「滑稽な敗戦国」の債券をウォール街でさばく手腕にあった。

 J.P.モルガン商会の会議室。

 東郷がテーブルに置いた『額面5,000万ドルの南京政府債』の再編パッケージ案を見たジャック・モルガンは、うっとりとため息をついた。


「……素晴らしい。これはもはや、中国のソブリン債(国債)ではない。

 『中国人が塩を消費する』という事実を裏付けにした、国際監査付きの収益債レベニュー・ボンドだ」


 モルガンは、投資家としての本能でその価値を理解した。

 政治的に不安定な南京政府への融資は危険だ。だが日本海軍と米英の銀行団が監査し、確実に塩税口座から利払いが行われるなら、話は全く別だ。


 同席していたメロン財務長官も冷ややかに、だが満足げに頷いた。

「……なるほどな。担保が堅いなら、財務省としてもこれを民間市場で流通させることに異論はない」


 メロンは宋美齢の感情論には冷淡だったが、「塩税担保」という確実なキャッシュフローには即座に反応した。

 だが東郷の狙いは、強欲な銀行家や財務官僚だけではなかった。

 彼はこの金融商品の名前に、絶妙な「化粧」を施していた。


『Yangtze Relief and Salt Revenue Bonds』

(長江救済・塩税収益債)


 そしてウォール街の証券会社を通じて全米の富裕層に配布されたパンフレットには、このようなキャッチコピーが踊っていた。


“Help China Stand — Backed by the Salt of China.”

(中国を立たせよう――中国の塩に裏付けられて)


 このポスターを見た瞬間、アメリカの教会ネットワーク、慈善団体、そして大学基金の担当者たちの目が輝いた。


「おお! これこそ、我々が求めていたものだ!」

 数ヶ月後。ある慈善系財団の未亡人は、証券ブローカーの手を握りしめて言った。


「マダム・ソォンの演説を聞いてから、中国の可哀想な難民のために何かしたいと思っていたの。

 この債券を買えば、長江の水害復興や衛生事業に資金が使われ、中国の人民を救えるのね?

 しかも塩税という確実な裏付けがあって、毎年利息も入るなんて……なんて素晴らしい商品かしら!」


 ブローカーは、満面の笑みで頷いた。

「その通りです、マダム! あなたの投資が、中国の赤ん坊を救うのです。しかも、元本は安全です!」


「まあ! 素晴らしいわ。これなら、日曜日の礼拝の時にも胸を張って言えるわね」


 彼らは、自分たちが額面の85%で買っている債券が「数ヶ月前に東郷一成が上海市場で空売りを仕掛け、底値で拾い上げた元・南京軍費公債のロンダリング品」であることなど、知る由もなかった。

 そして、その利払いが「貧しい中国の農民から過酷に取り立てられる塩税」であるという事実からは、都合よく目を背けていた。



 時:1932年(昭和七年)、春

場所:中国・上海、共同租界(フランス租界)の薄暗い書斎


 紫煙が立ち込める狭い部屋で、一人の男が猛烈な勢いで万年筆を走らせていた。

 短く刈り込んだ髪と、特徴的な口髭。度重なる疲労と持病の肺結核で、その頬はひどく痩せこけている。

 魯迅である。


「……愚かだ。あまりにも、哀れで愚かだ」

 魯迅は、血を吐くような思いで原稿用紙に文字を刻み込んでいた。


「打倒日本帝国主義!」


 若い声だった。

 飢えきっていない者の声。

 明日、自分が誰の帳簿に載せられるかを知らない者の声。


 私は、ふと昔見た刑場の群衆を思い出した。


 首を斬られる者がいた。

 それを見る者がいた。

 さらに、その見物人の顔を見ている自分がいた。


 あの時、私は思った。彼らは眠っている、と。


 だが今は違う。

 彼らは眠っているのではない。

 起きている。目を開けている。

 叫んでいる。拳を振り上げている。


 それでも、やはり食われている。


 昔、人は饅頭に血を染み込ませて病を治すと信じた。

 今は、公債に血を染み込ませて国家を救うと信じている。


 私は、塩を買いに行く老婆を見た。


 彼女は銅銭を数えながら、店の前で何度も値を聞き返していた。

 老婆の娘は、上海で義勇兵として死んだという。

 新聞は彼女を烈女と呼んだ。

 店の主人は、老婆に少しだけ安くしてやった。

 その横で、洋服を着た男が笑いながら言った。


「塩税が担保になったそうだ。これで国は救われる」


 老婆は、担保という言葉を知らなかった。

 ただ、塩が昨日より明らかに高くなったことだけは知っていた。

 彼女はその塩を、娘の位牌の前に供えるつもりだった。


 塩は、昔からあった。

 湖にも、井戸にも、海辺の白い田にも、塩はあった。

 古い王たちは、それを握って国を作ったという。

 ならば今の我々は、古い王たちよりも賢くなったのだろうか。


 塩はまだ、中国の土地から出ている。

 だが、その塩を信用に変える手は、もはや中国人の手だけでは足りないという。

 これを亡国と言うのか、再建と言うのか、私には分からない。

 ただ老婆は、昨日より高い塩を買った。


 狂人日記の男は「人が人を食う」と叫んだが、現実はもっと残酷だ。

 我々は「人が国を食い、その骨を売る」時代に生きているのだ。


 彼らは日本を罵った。

 罵りながら、日本の債券へ逃げた。

 彼らは国を救うと言った。

 救うと言いながら救国公債を民に押しつけ、自分の公債は香港へ逃がした。


 義勇兵として叫んだ彼女は、祖国を信じていた。

 彼女は撃たれ、倒れ、翌日には烈女と呼ばれた。

 だが彼女の死を予定していた者は、すでに棺桶屋へ支払いを済ませていた。

 彼女の血は、彼女自身のものだった。

 しかし彼女の死は、他人の帳簿に載っていた。


 これを愛国というなら、愛国とは実に便利な言葉である。

 死ぬ者には墓碑銘となり、生き残る者には領収書となる。


 日本の軍人は、私たちを侮辱した。

 だが、彼は私たちに嘘をつかなかった。


 彼は言った。

 あなた方の政府は信用できない。

 だから、あなた方の塩を担保にする、と。


 なんという侮辱だろう。

 だが私は、その言葉を完全な嘘だと言えなかった。


 嘘であれば、私は怒れた。

 だが半分真実であった。

 半分真実の侮辱ほど、人を深く傷つけるものはない。


 我々は敵を見た。

 しかし敵の顔よりも先に、敵の眼に映った我々の顔を見てしまった。

 それが、最も耐え難い。


 ただ一つ分かるのは、塩はまだ苦く、涙はすでに安いということだ。


 私はそれを考えると、笑いたくなった。

 笑えば、少しは楽になると思ったからだ。

 だが、喉から出たのは咳だけだった。血の味はしなかった。

 ただ、塩辛かった。

いつもお読みいただきありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
謎の巨大洗濯機(資金洗浄)ですねきっと。次回予告、次回の記事は、真実に近づきすぎた記者の死亡記事、なのかもしれない。 なお、中国の塩に裏付けられて、とは言うものの、本当の裏付けはカイグンの任務遂行能力…
蒋介石らはもがけばもがくほど糸が絡まるNCPC債という蜘蛛の巣に絡めとられた気分だろうね。 これで諦めるとも思えないけど、海外からの中国への視線が次第にギャンブル狂の禁治産者に向けるものになっていきそ…
多分なろう作者の中で一番魯迅を描けてるな。 宋美齢がアメリカで手にしたアメリカ国民の善意ですら南京政府を蝕む刃になってる・・・
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