ドイツ船団の魔改造
時:1930年(昭和五年)、冬
場所:ブラジル、リオデジャネイロ。迎賓館・コパカバーナパレス
大西洋の青い海を望む豪華なテラスで、南拓の初代総裁に赴任したばかりの松岡洋右は、キンキンに冷えたカイピリーニャのグラスを傾けていた。
彼の対面に座るのは、ワシントンから急遽派遣された、アメリカ国務省の特命全権公使である。
「……ミスター・マツオカ。率直に申し上げよう」
アメリカ公使は、高圧的な態度で切り出した。
「貴国のブラジルにおける事業展開は、我々合衆国にとって、極めて不愉快な事態を引き起こしている。
特に、イタビラの製鉄所だ。あそこはもともと、我が国の企業が開発する権利を持っていた場所だ。それを、貴国が札束で横取りした」
「横取り? それは聞き捨てなりませんな、公使殿」
松岡は、流暢なアメリカ英語で、大仰に肩をすくめてみせた。
「我々は、貴国の銀行家たちが『もうこの国からは絞り取れない』と見捨てた紙くず(債権)を、正当な価格で買い取ったに過ぎません。
……貴国が捨てたゴミから、我々が黄金を見つけ出したからといって、文句を言われる筋合いはないでしょう?」
「詭弁だ!」
公使は机を叩いた。
「それに、貴国の計画は物理的に破綻している!
ブラジルには良質な鉄鉱石があるが、高炉を燃やすための良質な石炭が決定的に不足している!
製鉄所を作っても、燃料がなければただの巨大な鉄のオブジェだ。……いずれ貴国の事業は頓挫する。ブラジル政府にも、その旨は『忠告』してある」
アメリカ側の目論見はこれだった。
ブラジル国内には良質な石炭がない。アメリカが石炭の輸出をストップ(あるいは関税で高騰)させれば、日本の製鉄所は稼働できず、プロジェクトは崩壊する。そうすれば、ブラジル政府も日本の無能さに気づき、再びアメリカにすがりついてくるはずだ、と。
だが。
松岡洋右は顔色一つ変えずに、葉巻の煙をゆっくりと吐き出した。
「……公使殿。貴方は、海運というビジネスを少し誤解しておられるようだ」
「何?」
「船というものは、空荷で走らせるのが一番の無駄なのです」
松岡は、テーブルの上に一本の葉巻を置き、その横にもう一本を置いた。
「我々の鉱石運搬船は、ブラジルの鉄鉱石を日本へ運ぶ。ここまでは良いですね?」
「ああ。そして帰りの船は空っぽでブラジルへ戻る。莫大な輸送コストの無駄だ」
「いいえ。空っぽではありませんよ」
松岡は、ニヤリと笑った。
「日本からブラジルへ向かう船の船倉には、満州の撫順や、日本の九州、ドイツのルール工業地帯で採れた石炭が、山のように積まれています」
「なっ……!」
「鉄鉱石を運んだ船が、帰りに石炭を積んでブラジルへ戻る。
……つまり、『石炭の運賃は実質タダ』なのです。
アメリカ産よりも遥かに安く、そして安定してイタビラの高炉へと供給され続けます」
松岡は、公使の顔に顔を近づけた。
「……公使殿。我が日本は、貴国のように資源の豊富な大陸を持っていません。
だからこそ、我々は『物流』という名の動脈を、地球規模で設計する術を学んだのです。
貴国の石炭など、最初から一欠片もあてにしておりませんよ」
公使の顔から、さーっと血の気が引いた。
石炭による兵糧攻めが、全く意味をなさない。それどころか、日本はアメリカ経済の入り込む隙間を完全に塞いでしまっているのだ。
「……貴国は、モンロー主義を破壊する気か! この西半球は、我がアメリカ合衆国の……」
「モンロー主義?」
松岡は、冷ややかに言い放った。
「公使殿。貴国が『アメリカ大陸に手を出すな』と宣言できたのは、貴国が圧倒的な富と力で、この大陸の国々を豊かに(あるいは支配)できていた時代のことです。
……今、貴国の銀行は倒産し、労働者は炊き出しに並び、南米の国々は借金で首をくくりかけている。
そんな状態で、『我々の裏庭だから、他国は手を出すな』と?
貧乏神が、他人の家の金庫の前に居座って偉ぶっているようなものですな」
松岡は立ち上がり、最後通牒を突きつけた。
「我々は、軍隊を送っていません。政治に干渉もしていません。
ただ、ブラジルの人々が望む工場と仕事を提供しているだけです。
もし貴国がこれを『侵略』と呼び、無理やり止めようとするならば……。
……ブラジル国民の怒りは、日本ではなく、彼らの繁栄を邪魔するアメリカに向かうでしょうな」
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時:1930年(昭和五年)、冬
場所:ドイツ・ハンブルク、HAPAG本社
北海から吹きつける鉛色の風が、港に立ち並ぶクレーンの群れを虚しく揺らしていた。
世界最大の海運会社の一つであるHAPAGの会議室は、まるで葬儀場のような重苦しい沈黙に包まれていた。
窓の外には、同社の誇る大型貨客船『シュタスフルト(Stassfurt)』や、北ドイツ・ロイド(NDL)と共同運航していた『シエラ・コルドバ(Sierra Cordoba)』など、数万トン級の船が何隻も、煙突から煙を出すこともなく係留されていた。
「……現在、ハンブルクとブレーメンの港には、我が国が誇る商船隊のうち、実に65万トンもの船が係船されています」
HAPAGの財務担当役員が、血の気のない顔で報告した。
「世界恐慌による荷動きの蒸発は絶望的です。維持費だけが毎日会社の血を流し続け、ライヒスバンクからの融資枠も限界。……我々は、資金ショート寸前です」
HAPAGとNDLは生き残りのため「ユニオン協定」を結び、あらゆるコストを削減したが、それでも「カネ(流動性)」が足りなかった。
「……もう、売るしかない」
社長が、絞り出すように言った。
「スクラップ価格でもいい。現金にして、銀行への支払いに充てるしかない」
その時、秘書がノックもせずに駆け込んできた。
「社長! 日本帝国海軍の代理人を名乗る、加納という銀行家が……。
『港で寝ている船を、まとめて買いたい』と!」
社長は、藁にもすがる思いで加納久朗を招き入れた。
「……ミスター・カノウ。我が社の船を買ってくださると?」
「ええ」
加納は、BIS(国際決済銀行)のロゴが入った小切手帳をテーブルに置いた。
「対象は、HAPAG、NDL、そしてDDGハンザが保有する、1万トン超級の大型貨物船および重量物運搬船(リヒテンフェルス級など)。……総計50万総トン分です」
「50万トン!?」
役員たちが息を呑んだ。それは休留船のほぼ全てを一掃する規模だ。
「ただし、価格は現在のディストレス(投売り)相場。1総トンあたり15ドル。
総額750万ドルで、いかがですかな?」
社長は唇を噛んだ。新造時の2割にも満たない、完全な足元を見たスクラップ価格だ。
だが、支払いが「米ドルによる即金」であるという点が、彼らの理性を狂わせた。ドイツ政府の厳しい為替管理下において、750万ドルのハードカレンシーは、会社だけでなく国家の命綱だった。
「……売ろう」
社長は、万年筆を握る手を震わせた。
「我がドイツ海運の誇りを、極東の島国へ売り渡す。……だが、これで我々は明日を生き延びられる」
その日の午後、ハンブルクの港に係留されていた巨大な幽霊船団が、次々とドイツの旗を降ろし、日本の商船旗を掲げ始めた。
東郷一成の財布から出たわずか750万ドルが、ブラジルと日本を結ぶ「大動脈」となる50万トンの巨大船団を、一瞬にして誕生させたのである。
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場所:東京・霞が関、海軍省・艦政本部
煙草の煙と青焼き図面の匂いが充満する製図室で、艦政本部第四部(造船)の藤本喜久雄大佐は、山積みになったドイツ製商船の一般配置図を睨みつけていた。
「……ドイツのハパックやDDGハンザが手放した貨物船。総トン数50万トン。
東郷少将、相変わらず買い物をポンと押し付けてくる。だが、このままでは鉄鉱石は運べん」
東郷一成がブラジル・イタビラ鉄山で掘り出す莫大な鉄鉱石。それを日本へ運ぶための「足」として、ドイツの不況のどん底から買い叩いた貨物船団。
だが、鉄鉱石は比重が重すぎる。雑貨用に設計された巨大な船倉の底に平積みすれば、船の重心が異常に下がり、荒波の中で起き上がりこぼしのように激しく横揺れする船になってしまう。船体は金属疲労で裂け、乗組員は地獄の苦しみを味わうことになる。
「……藤本大佐。一つ、よろしいでしょうか」
声をかけたのは、近くフランス国立造船大学への留学を控えた若き俊英、牧野茂造船大尉だった。
彼は、一枚のスケッチを藤本の机に置いた。
「……これは?」
「『隔倉積載方式(AHL)』です」
牧野は、図面の船体断面を指差した。
「鉱石を全ての船倉に薄く積むから、重心が下がりすぎるのです。
ならば、1番、3番、5番と、奇数番号の船倉にのみ鉱石を山積みにし、偶数番は空っぽにする。こうすれば重心が上がり、横揺れはマイルドになります」
「だが牧野大尉、それだと満載の倉と空の倉の境目(横隔壁)に、とてつもない剪断応力がかかるぞ。船が真っ二つに折れる」
「ですから、隔壁を補強し、二重底の上にさらに『かさ上げ床』を張ります。
そして何より重要なのが、これです」
牧野は船倉の上部両舷に、三角形の構造物を書き込んだ。
「トップサイド・タンク(上部舷側水槽)。アメリカの五大湖で使われている鉱石船の概念です。
これを既存の船倉内に溶接して増設します。
効果は三つ。
第一に、荷下ろし時に鉱石が自然と中央に集まる『セルフ・トリミング効果』。荷役の時間が劇的に短縮されます。
第二に、空間を狭めることで、波で船が揺れた時に貨物が横滑りして転覆する『自由表面効果』を物理的に封じ込める。
そして第三に……空荷でブラジルへ帰る時、このタンクに海水を満たせば、重心の高い『荒天バラスト』となり、スクリューをしっかり沈めつつ、揺れの少ない快適な航海が可能になります」
藤本は、息を呑んでそのスケッチを見つめた。
新造船を一から作るのではない。
既存の船体を壊すことなく、内部に鋼板を溶接するだけで、汎用貨物船を「世界最高水準の鉱石専用船」へと魔改造してしまうのだ。
「……工費は?」
「予備費込みで、一万総トンあたり約25万ドル。合計で1,250万ドル。新造の五分の一以下です。
ドイツの船体は頑丈ですから、基礎骨格はそのまま使えます。我々が用意するのは、補強用の鋼材と、溶接の腕だけです」
「見事だ、牧野大尉」
藤本は、ニヤリと笑った。
「フランスへ行く前に、とんでもない置き土産をしてくれたな。
よし、直ちに日本とドイツの民間ドックを総動員して、50万トン全ての魔改造工事にかかれ!」
牧野は笑った。
「我々日本人は、ゼロから発明するのは苦手かもしれませんが……世界中の良いアイデアを拾い集めて、それを自分たちの状況に合わせて『魔改造』するのだけは、得意なんですよ」
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時:数年後
場所:太平洋上・赤道直下、貨物船『高磨丸』
かつてドイツから買い取られた貨物船『タコマ』――今は大改装を受け、鉱石専用船『高磨丸』は、満載の鉄鉱石を積み込んだ赤道直下の海を、日本へ向けて航行していた。
ブリッジでは、海軍から船をリースされた南拓の老船長が、双眼鏡で水平線を睨んでいた。
「……船長。気圧が急激に下がっています。……台風です!」
航海士が、青ざめた顔で報告した。
「進路はこのまま。突っ切るぞ」
船長は、動じずに命令した。
「しかし! 以前ドイツ人がこの船で雑貨を運んでいた時は、少し波が高いだけで船体が捻れるように軋んだと……! 鉱石なんて重いものを満載して嵐に突っ込めば、船が真っ二つに折れます!」
「……それは、昔の話だ」
船長は、足元の甲板をドンと踏み鳴らした。
数時間後。
『高磨丸』は、猛烈な暴風雨と大波の中に突入した。
波の谷間に船体が落ち込むたびに、凄まじい衝撃が走る。
だが、かつてのように船体が軋み、悲鳴を上げるようなことはなかった。
AHLによって重心が最適化された船体は、激しい横揺れを起こすことなく、重厚な安定感をもって波を乗り越えていく。
「……すげえ。ビクともしねえぞ」
航海士が、驚愕の声を上げた。
「さらに、上部のトップサイド・タンクのおかげで、中の鉱石が横滑りすることもない。
アメリカのアイデアと、日本の魔改造。これが、太平洋の荒波を克服したんだ」
嵐を抜けた後、『高磨丸』は無傷のまま、再び日本への航路を真っ直ぐに進み始めた。
その船倉には、後に連合艦隊の肉体となる極上の鉄が、静かに、そして確実に守られていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。この50隻はすべて松岡洋右の南拓にリースされます。
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