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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第二章

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真の帝国主義

 時:1930年(昭和五年)、初夏

場所:ニューヨーク州オールバニ、州知事公邸


 フランクリン・デラノ・ルーズベルト。  

 現職のニューヨーク州知事にして、1932年の大統領選への野心を隠そうともしない民主党の切り札。  ……そして1913年から1920年までの7年間、アメリカ海軍次官補を務めた、この国で最も海軍の裏側を知る政治家の一人である。


 彼は毎夜、車椅子に座ったまま――その事実を決してカメラには撮らせないが――ニューヨークの主要紙とワシントンからの報告書に目を通す。それが日課であった。


「……ハリー」

 FDRはコーヒーカップを片手に、傍らのハリー・ホプキンスを呼んだ。声が震えていた。


「君は、中南米の農園事情に詳しいな。教えてくれ。

 ……バナナというのは、6インチ(約152mm)のクルップ鋼装甲で守らなければならないほど、凶暴な果物だったかね?」


 ホプキンスは、引きつった笑いを浮かべた。

「……私の知る限り、バナナは大砲も撃ちませんし、反乱も起こしません、知事」


「そうか。では、もう一つ教えてくれ」

 FDRは、記事を指差した。


「この船に積まれるウェスティングハウス製の最新ターボ・エレクトリック機関。出力は莫大だ。東郷は『冷蔵庫をキンキンに冷やすためだ』と説明し、我らが無能な政府はそれに納得したそうだが……。

 バナナを絶対零度まで冷却して、何か新しい兵器でも作るつもりなのかな?」


「……知事。彼らはバナナを冷やすふりをして、『太平洋の最前線で、何万トンもの弾薬と生鮮食品を、劣化させずに保存・供給し続ける巨大な海上基地』を作っているのです」


 ガシャン!

 FDRは、コーヒーカップをテーブルに叩きつけた。


「分かっている!! そんなことは一目見れば分かる!!」

 FDRは、顔を真っ赤にして吼えた。

 そして両手で顔を覆った。

 その時、ラジオからフーヴァー大統領の演説が流れてきた。


『……我が国の外交と財政は、かつてなく健全です。不要な軍事資産を民間へ売却し、平和的な商業活動を支援することで……』


 FDRは、ラジオの電源をへし折る勢いで切った。


「……フランク」  

 ハリー・ホプキンスが、恐る恐る口を開いた。  

「公に告発されますか? 選挙に向けて、ホワイトハウスに一撃を……」


「できるわけがないだろう!」  

 FDRが、車椅子の肘掛けを叩いた。


「考えてみろ、ハリー。もし私が今、『あのバナナ船は軍事転用される危険がある』と公に声明を出したらどうなる?」


 ホプキンスは、参謀としての冷酷な頭を働かせた。

「……まず、ウェスティングハウス社と造船所から猛反発を受けます。彼らは日本の発注で数千人の雇用を維持している。大恐慌の只中でその仕事を潰す政治家は、次の選挙で確実に落ちます」


「そうだ。次に?」


「……共和党のフーヴァー政権が、『民主党は反ビジネスだ。不況を悪化させる気か』と反撃してきます。国務省は『条約は我が国の完全な勝利だ』と宣言した直後ですから、それを否定することはスティムソンの面子を潰すだけでなく、アメリカ外交の信頼性そのものを傷つけることになる」


「そしてとどめは?」


「……大衆です」  

 ホプキンスは、苦い顔をした。  

「国民は『日本は八百屋になった、アメリカの勝利だ』と信じて安心しています。そこに『いや実は日本にしてやられた、あれは軍艦だ』と言えば、国民は怒りの矛先を日本ではなく『不安を煽る扇動政治家』であるルーズベルト知事に向けるでしょう。  

『大恐慌で苦しんでいる時に、戦争の不安まで煽るのか! このポリオの臆病者め!』と」


 FDRは、天井を仰いだ。    

 彼は今、自分自身がアメリカという巨大な「不正解の部屋」に閉じ込められていることを、完璧に理解していた。


「我々は……いや、アメリカという国は今、国家の知性を試される『致命的なテスト』を出題されている」  

 FDRの声は、酷く掠れていた。


「テスト?」


「そうだ。目の前に二つの扉がある。  

 一つは『日本の屈服と、アメリカの偉大な勝利』と書かれた、金と花束で飾られた輝かしい扉だ。大衆も、議会も、新聞も、フーヴァーも、皆が歓声を上げてその扉に向かって猛ダッシュしている」


 FDRは、車椅子の肘掛けを強く握りしめた。


「……だが、その扉を開けた先にあるのは『泥沼』だ。  

 我々は、嬉々として『不正解の部屋』に飛び込もうとしている。そして、誰もそのことに気づいていない。この私以外は……!」


 真実を知っている。だが、それを言えば政治生命が終わる。  


「……この国の政府は、迷うことなく『映す価値なし』の泥沼へ全速力でダイブしたんだ」

 FDRは車椅子の車輪をギリギリと握りしめ、自分の動かない両脚を見下ろした。


「東郷一成。私は毎日、自分の足が動かないことを国民から隠している。車椅子を写真に撮らせず、演壇では息子の腕を借りて立っているフリをしている。

 ……『巨大な嘘』で自分の弱さを覆い隠すという点では、私と君は同じ穴のむじなかもしれんな」


 傍らに立つハリー・ホプキンスは、幽鬼のような顔で言った。

「海軍のリーヒ提督から電話がありました。彼、本気で国務省スティムソンに殴り込みに行くつもりです。『あの国賊弁護士どもを軍法会議にかけろ』と叫んでいました」


「殴り込み? 無駄だよ、ハリー。もう遅い!」

 

 FDRは頭を抱えた。

 もし自分が大統領なら、スティムソンとメロンを今すぐワシントン記念塔のてっぺんからポトマック川に蹴り落としているところだ。


「……ハリー。これで、オレンジ・プラン(対日戦計画)は完全に崩壊した」

 FDRの声は、地を這うように低くなった。


「海軍のドクトリンは『10対6』の圧倒的優位を前提に作られている。

 だが今や、比率は実質何の意味も持たなくなった。

 しかも、我々の『10』は予算不足で錆びついた旧式艦ばかり。

 日本の『6』は、我々のドルとイギリスの鉄でピカピカに磨き上げられた、稼働率100%の最新鋭艦だ」


 FDRは、壁の太平洋の海図を睨みつけた。

「東郷一成。あの男は、天才的な詐欺師だ。

 いや、違うな。彼は嘘を一つもついていない。

 彼はただ、我々の『欲(現金が欲しい)』と『傲慢(日本を法で縛れるという思い込み)』を利用して、我々に『合法的自殺』をさせただけだ」


 ホプキンスが、恐る恐る尋ねた。

「……フランク。あなたが大統領になった時、この状況をひっくり返せますか?」


「……」

 FDRは、長く重い沈黙に沈んだ。

 やがて彼は車椅子を窓辺に進め、雨に煙るハドソン川を見下ろした。


「……マイナスからのスタートだ」

 彼は、絞り出すように言った。

「私が大統領の椅子に座る時、この国の金庫は空っぽで、海軍は手足を失い、そして国民は日本海軍に感謝しているだろう。

 ……これほどのハンディキャップ戦は、アメリカ建国以来初めてだ」


 FDRは、いつになく静かな声で言った。

「ハリー。私はかつて、こう言ったことがある。

 『アメリカは建国以来、帝国主義的な戦争の類を一切やったことがない。我々は自由と民主主義の庇護者である』と」


 ホプキンスは頷いた。

「ええ。立派な演説でした、知事」


「……恥ずかしいよ」

 FDRは、自嘲するように笑った。その笑いには、怒りすら通り越した、ある種の「悟り」が混じっていた。


「アメリカは帝国主義をやったことがない? 違う。

 我々は『帝国主義のやり方を知らなかった』だけだ。

 野蛮な海兵隊をバナナ共和国(中南米)に送り込んで、無理やり言うことを聞かせる。それが我々の限界だった」


 FDRは、新聞の東郷一成の顔写真を指差した。

「だが、彼を見たまえ。

 東郷は、一人の兵士も送っていない。一発の銃弾も撃っていない。

 誰も彼を『侵略者』とは呼ばない。立派な『ビジネスマン』であり『救済者』だ」


 FDRは、グラスの氷を揺らした。

「これこそが、真の帝国主義だ。

 流血も、憎悪も生まない。ただ、合法的な契約書と帳簿だけで、他国の心臓を完全に握り潰す。

 ……我々アメリカ人が『ドル外交』と呼んで誇っていたものは、彼のこの芸術的な手口に比べれば、猿の石投げのようなものだ」


 FDRは、車椅子を窓辺に進めた。

 夜空には星が瞬いているが、彼にはその星々が、すべて日本の「NCPC債」の輝きに見えた。


「……だが、私は諦めんぞ。

 東郷。君が買ったその『冷蔵庫』が、太平洋の海を渡る前に。私がこの国を、もう一度『戦争ができる国』に作り直してやる。

 売り渡されたこの国の魂を、私がもう一度買い戻す!」


 

場所:ニューヨーク、ブルックリン「ピーター・ルーガー・ステーキハウス」


 その夜、ブルックリンの老舗ステーキハウスの奥まったテーブルで、極めて奇妙な二人の男が向かい合っていた。


 一人は、仕立ての良い第二種軍装を着こなした東洋人。日本海軍駐米武官、東郷一成。

 もう一人は、口髭を蓄え、知性と皮肉に満ちた瞳を持つ長身の英国紳士。

 ケンタッキー大学の教壇に立つため……という表向きの理由でアメリカを訪れていた、ケンブリッジ大学の経済学者、ジョン・メイナード・ケインズである。


「……信じられん」

 ケインズは、目の前の熱い皿の上で音を立てる分厚いポーターハウス・ステーキと、東郷がテーブルに置いた『NCPC債(制度債)』の束を交互に見比べた。


「東郷大佐。私は長年、ロンドンの馬鹿な政治家やウォール街の強欲な銀行家たちに向かって叫び続けてきた。

ゴールドなどという黄色い金属の塊を、地下金庫に死蔵させることに何の意味がある! そんなものは“野蛮な遺物”だ! 経済とは、血液のように循環させて初めて意味を持つのだ!』とね」


 ケインズは、フォークでステーキの表面のクリスピーな焦げ目をカリッと叩いた。

「だが、誰も私の言うことを理解しなかった。彼らは金塊を抱きしめたまま、世界経済を窒息死させた。

 ……なのに、極東の海軍軍人である貴方が。私の理論を、いともたやすく現実のものにしてしまったとは」


「買い被りですよ、ミスター・ケインズ」

 東郷は、静かにワイングラスを傾けた。

「私はただの軍人に過ぎません。手元にある資産を、どうすれば最も効率よく『任務』に変換できるか。それを計算しただけです」


「謙遜は美徳だが、時には真実を隠す罪になるぞ、大佐」

 ケインズはステーキを切り分け、口に運んだ。


 その瞬間、イギリス最高の頭脳の動きが、完璧な肉の旨味の前に数秒間停止した。

「……美味い」


 ケインズは目を丸くした。

 イギリスのパサパサのローストビーフとは別次元の、凝縮された旨味。


「ドライエイジング(乾燥熟成)という技術だそうです」

 東郷は自らも肉を口に運びながら解説した。

「時間が経てば経つほど、肉の旨味は増し、価値は上がる」


 ケインズの脳内で、バラバラだった経済のパズルが、猛烈な勢いで組み上がり始めた。

「……なるほど。そういうことか!」


 ケインズは、興奮のあまりナイフを持ったまま身を乗り出した。

ゴールドは、時間が経っても1オンスは1オンスのままだ。増えもしないし、腹の足しにもならない。だから人々は不況になると金を『退蔵』し、経済は止まる(流動性の罠)。


 だが、大佐。貴方の『制度債』は違う!

 貴方は『金本位制』の呪縛から逃れ、『人間の消費と労働(任務)』そのものを本位制に据えた、完全なる管理通貨制度を創り上げたのだ!」


「管理通貨制度、ですか」

 東郷は微笑んだ。


「ええ。貴方はアメリカの『過剰生産』の廃棄物を安値で買い叩き、それを貧困層に『スープ』として配ったことで、市場に強制的に『有効需要(Effective Demand)』を創り出している。


 政府が緊縮財政で首をくくっている時に、貴方だけが巨大な『財政出動』を行い、アメリカの底辺の経済を単独で回してみせたのだ!

 ……大佐。貴方は軍服を着ているが、その中身は世界最高の『中央銀行総裁』だ」


 ケインズはテーブルの上の紙ナプキンを素早く引き寄せ、万年筆で猛烈な勢いで数式や概念を書き殴り始めた。


『投資乗数効果』『流動性選好説』『有効需要の創出』……。


 後に、世界の経済学を根底から覆すことになる名著『雇用・利子および貨幣の一般理論(1936年出版)』の骨格が、ブルックリンのステーキハウスの脂の跳ねた紙ナプキンの上で、一つの形を成しつつあった。


「……東郷大佐。私はイギリスに帰ったら、すぐにこの現象を本にまとめるつもりだ。

 世界は、ゴールドへの信仰を捨てねばならない。貴方のように、国家が積極的に市場に介入し、需要を創り出すシステムへ移行しなければ、資本主義は死ぬ」


 ケインズは、興奮冷めやらぬ瞳で東郷を見た。

「この理論が完成した暁には、ぜひ貴方に序文を書いていただきたいものだ。

……『この理論の実証データは、日本という極東の海軍から得られた』とね」


「光栄ですが、ご辞退申し上げますよ」

 東郷は苦笑した。

「私がやっている制度は、あくまで『帝国海軍の任務の記録』です。通貨にされると、東京やワシントンの政治家たちが余計な警戒をしますから」


「ふふふ。違いない」

 ケインズは最後の一切れのステーキを口に放り込み、極上の赤ワインで流し込んだ。


「だが、覚えておきたまえ大佐。貴方が開けたこの『パンドラの箱』……国家が経済をコントロールするという魔術は、いずれ世界中の政治家が真似をし始めるだろう。

 特に、この国のアメリカ人たちが、ね」

いつもお読みいただきありがとうございます。

次回、第二章最終話となります。


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― 新着の感想 ―
映す価値なし、というのは現代の日本人にはよく伝わる、センスを感じる表現ではありますが、この時代はまだテレビ放送は始まっておらず、FDRが使う表現としてはかなり違和感があります。
真の帝国主義とは、皇帝(エンペラー)の神聖にして不可侵な統帥権があって初めて成り立つのだよ。 見るがいい。既に太陽は燃え尽きつつある。今こそすべての光は閉ざされ、 そしてこの星条旗は息絶えるのだ。フラ…
さすがのFDRさんでもひっくり返せるとは言わないか。管理通貨制度を他国(特にアメリカ)が真似しても果たして上手くいくのだろうか。金本位制を辞めると言った途端とんでもないことになりそう。一斉に辞めるなら…
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