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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第二章

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ドルの剣、金の盾

 時:1930年(昭和五年)、4月  

場所:ロンドン、フランス代表団宿舎・カールトンホテル


 クローデル大使の表向きの優雅な皮肉とは裏腹に、ロンドンのカールトンホテル3階に設けられたフランス代表団の控え室は、暖炉の石炭が爆ぜる音すら掻き消すほどの怒声に震え上がっていた。


 4月のロンドンはまだ底冷えがする。テーブルの上のコーヒーは、とうに冷めていた。


「アメリカは狂ったのか!?」


 外相アリスティード・ブリアンは、アメリカ代表団から届いた通告書を暖炉に投げ込みたい衝動を必死に抑えていた。


『戦艦ワイオミング及びアーカンソーのイタリアへの譲渡について』


 その理由付けが、フランス人の神経を限界まで逆撫でしていた。


『……両艦は1912年就役であり、条約規定の艦齢20年に達しようとしている。よってこれらは軍事的な価値を喪失した「スクラップ」に等しい。米国はこれを「練習用」としてイタリアに譲渡するものであり、軍拡には当たらない』


「スクラップだと!?」


 随行のフランス海軍提督デュラン中将が、血走った目で叫んだ。


「12インチ砲12門だぞ! たとえ速力が21ノットと遅くとも、地中海のような狭い海域では十分に致命的な脅威だ! それをムッソリーニの手に渡すなど……アメリカは、我々フランスを地中海で絞め殺す気か!」


 イタリア海軍レージア・マリーナは、フランスの最大の仮想敵だ。  

フランスが最新鋭の「ダンケルク級」戦艦の設計を急いでいる最中に、イタリアがアメリカから即戦力のド級戦艦を2隻も――しかも格安の3,000万ドルで――手に入れてしまった。地中海のパワーバランスが根底から崩れる。


 ブリアンは白髪の頭を抱えた。

「……日本が『龍驤』をオランダに売るという話が出た時、アメリカは『条約逃れだ!』と一番声高に騒いでいただろう。その本人が、さらに悪質で露骨な条約逃れをやってのけるとは……」


 部下の外交官が、冷ややかな事実を告げた。

「閣下。アメリカは金がないのです。彼らにとっては、地中海の平和や条約の精神よりも、イタリアが払ってくれる現金の方が重要なのです」


「……抗議だ。断固たる措置をとる」

 ブリアンが立ち上がろうとした時、ドアがノックされた。


「閣下。……日本代表団の、山本少将と山口中佐がお見えです」


 ブリアンの顔が険しくなった。

「通せ。……彼らにも言いたいことがある。我々に特型駆逐艦を売り、ロレーヌ社を買収したまではいいが、アメリカのこの暴挙を黙認するつもりか、とな」



 ドアが開いた。

 最初に入ってきたのは、山本五十六少将だった。


 小柄な体躯。だが、部屋に入った瞬間に空気が変わる。左手は常に手袋をはめている。日露戦争の砲煙で指を二本失った、戦闘の匂いが染みついた軍人だ。彼はソファーに腰掛けるなり、怒気を放つフランス人の群れを見渡し、一言だけ呟いた。


「……ブリアン外相。ご機嫌斜めのようですな」

 その声には、共感も同情も一切含まれていなかった。事実の確認。それだけだ。


「当然だ!」  

 ブリアンが机を叩く。  

「アメリカの戦艦売却だ! あれを許せば、地中海はイタリアの湖になる! 貴国も条約の当事国として、アメリカの無法を止めるべきだ!」


 山本は答えなかった。代わりに半歩遅れて入室した副官に、視線で合図を送った。


 山口多聞中佐。

 山本とは対照的に、長身で端正な顔立ちの海軍武官だ。プリンストン大学留学の経歴を持ち、英語だけでなくフランス語も流暢に操る。彼はアタッシュケースを開きながら、完璧なパリジャン・アクセントで応じた。


「お怒りはごもっともです、外相閣下」

 その発音を聞いた瞬間、ブリアンの通訳官が居心地悪そうに椅子をずらした。この日本人は、通訳を必要としない。


「ですが外相。アメリカはすでに『背に腹は代えられない』状態です。彼らの暴走を言葉で止めることは不可能です」


 山口は契約書の細かい条項を指で辿りながら、淀みなく読み上げた。フランス語のRの巻き舌まで完璧だ。


「……我々日本は、現実的な解決策をお持ちしました」

「解決策だと?」  

「ええ」


 山口は、一枚の書類をテーブルに滑らせた。  

そこには『BIS(国際決済銀行)特別融資枠設定合意書』と書かれていた。


「我が国がBISに預託している資金の中から、フランス共和国政府に対し、5,000万ドル(約12億フラン)の特別融資枠をご用意いたします。  

 金利は年利3.5%。返済期間は10年。使途は自由です」


 ブリアンとデュラン提督は、息を呑んだ。  

 5,000万ドル。破格の低金利。現在の大恐慌下で、世界のどこを探してもこれほどの好条件で現金を貸してくれる銀行は存在しない。


「……どういう意味だ?」  

 ブリアンは警戒した。


 ここで初めて、山本が口を開いた。短く、断定的に。


「イタリアも金がない」


 一言だった。だが、ブリアンの眉が跳ね上がった。

 山口が補足する。


「左様です。イタリアは3,000万ドルもの買い物をしましたが、彼らの財政も決して豊かではない。確実に国内の資金がショートします。  


 ……実は、イタリア政府からも『資金を融通してくれないか』と打診がありましてね。我々は彼らにも、同額の5,000万ドルのBIS融資枠を提示する予定です」


「なっ……! 貴国は、イタリアにも金を貸すというのか!」


 山本が、ニヤリと笑った。

「公平を期すだけです」


 山口が、再び流暢なフランス語で続ける。

「イタリアは我々から金を借りて、アメリカに戦艦の代金を払い、残りで自国の経済を回す。  


 ……となれば、フランスも対抗上、新たな建艦資金や経済対策費が必要になりましょう? だから、貴国にも同額の融資枠をご用意したのです。

 なに、ドイツの復興支援(IG・ファルベン等への投資)で既に実績のある、安全なスキームですよ」


 ブリアンの背筋に、冷たい汗が流れた。

 この日本海軍の男たちは、何を言っているのだ?


 イタリアに戦艦を買わせ、アメリカを救う。  

 そのイタリアに金を貸し、恩を売り、金利を稼ぐ。  

 それに焦ったフランスにも金を貸し、さらに恩を売り、金利を稼ぐ。


 彼らはアメリカの脱法行為を止めるどころか、それをダシにして、ヨーロッパの対立を煽り、双方に金を貸し付けて「真の支配者」になろうとしているのだ。


「……我々が、この融資を断ったら?」  

ブリアンが唸る。


 山本はソファの背に体を預けたまま、短く答えた。

「イタリアだけが5,000万ドルを得ます。地中海はイタリアの湖になる」


 山口が書類の横に万年筆を置いた。インクの先端が、暖炉の光を受けて鈍く光っている。


「もちろん、交渉次第でフランスさんには、枠の増額や金利の引き下げなど、もう少し『お勉強』させていただきますよ?  

 我々は特型駆逐艦やロレーヌ社の件で、貴国とは『特別なパートナー』だと信じておりますから」


 沈黙。

 ブリアンは答えなかった。


 彼は立ち上がり、窓際に歩み寄った。ロンドンの灰色の空から、細い雨が降っている。窓ガラスに水滴が這い、ブリアンの白髪の影を歪ませていた。


 山本と山口は、互いに視線を交わした。  

 フランスの老外交官が何を考えているのか、その背中からは読み取れない。


 長い沈黙の後、ブリアンは振り返らずに言った。

「……書類は預かる。回答は追って連絡する」


 山本が、ゆっくりと立ち上がった。

「お待ちしております、外相閣下。……ただし、あまり長くお考えになりませんよう。イタリアの方は、すでにほぼ合意しておりますので」


 山口が黙って一礼し、二人は部屋を出た。


 ドアが閉まる。  

 靴音が廊下を遠ざかり、やがて消えた。

 テーブルの上には、万年筆と契約書だけが残されている。



 雨音だけが部屋を支配する時間が、しばらく続いた。

 ブリアンは窓際に立ったまま、動かなかった。


「……悪魔だ」

 デュラン提督が、忌々しげに吐き捨てた。


「奴らは我々とイタリアの危機感を煽り、双方に借金を背負わせて、ヨーロッパの首根っこを握るつもりだ! 外相! こんな屈辱的な金で、対抗の戦艦を建造するなど……!」


「落ち着きたまえ、提督」

 ブリアンが振り返った。  

 その目には、もう怒りはなかった。窓辺で雨を見つめていた数分間で、老政治家は別の生き物になっていた。


「日本人の言う通りだ。アメリカの無法を非難したところで、イタリアの12インチ砲は消えてなくならない。我々には『カネ』が必要だ」


 だが、とブリアンは続けた。

「日本の思惑通りにこの金を『海軍の軍拡』に使うのは、下策の極みだ」


 ブリアンは、同席していた財務省の官僚、ピエール・フルニエに向き直った。

「……ピエール。我が国の現在の金準備高は、どうなっている?」


「はっ。アメリカの利上げと市場の混乱を受け、我々はスティムソンに止められるまで真っ先にニューヨークから大量の金塊ゴールドを引き揚げました。おかげでフランス銀行の地下金庫は、今や世界で二番目に潤沢な金準備を誇っております」


「その通りだ」ブリアンは頷いた。  

「我々は金を持っている。だが、不況で『流動性(現金)』が不足している。そこで、この日本の5,000万ドルだ。年利3.5%……。今の市場環境なら、破格の低金利だ」


 ブリアンの脳内で、一つの絵図が組み上がっていく。

「いいか。日本から借りたこの5,000万ドルを、海軍の戦艦建造には使わない」


「なっ……! 外相、それではイタリアの戦艦に対抗できませんぞ!」

 デュラン提督が立ち上がって抗議したが、ブリアンは手で制した。


「戦艦の相手は、日本から買った『特型駆逐艦ル・フブキ』と、潜水艦隊に任せておきたまえ。我々が今なすべきは、軍拡競争という名の『消耗戦』ではない」


 ブリアンの声が低くなった。

「……『経済戦』だ」


 ブリアンはテーブルの上のヨーロッパ地図を広げた。

「ピエール。我々フランスの真の防衛線は、地中海の水の上だけではない。

……中欧ミッテル・エウローパだ」


 指がドイツ、オーストリア、チェコスロバキア、ハンガリーを辿る。


「ドイツは今、日本の金(IG・ファルベン投資など)で息を吹き返しつつある。イタリアも日本の金で戦艦を買う。このままでは、我々フランスはドイツイタリアから、日本の資金力によって包囲されてしまう。  

 ……これを防ぐには、彼らの間にある『オーストリア』を、我々の完全な影響下に置くしかない」


「オーストリアの……金融支配ですか」  

 フルニエが息を呑む。


「そうだ。オーストリア最大の銀行、クレディット・アンシュタルト。あそこは今、旧オーストリア=ハンガリー帝国の残骸を抱え込み、大恐慌の直撃で不良債権の山に喘いでいるはずだ。  

 もしあそこが破綻すれば、中欧の経済は連鎖的に崩壊し、ドイツに経済的併合アンシュルスの口実を与えてしまう」


 ブリアンは日本が置いていった『5,000万ドルのBIS特別融資枠』の契約書を、指先で弾いた。


「我々は、日本のこのドルを借りる。年利3.5%という破格の安さでな。  

 そして、その金をそのままクレディット・アンシュタルトの『救済融資』として、オーストリア政府に貸し付けるのだ。  

 ……金利は、そうだな。6%でどうだ?」


 フルニエの目が、商人のように輝いた。


「鞘抜き(サヤぬき)……!  

 日本の金を使って、我々がリスクなしで2.5%の利ざやを稼ぐ……!  

 しかも、オーストリアの金融・産業の生殺与奪の権を、我が国が握ることができる!」


「その通りだ」

 ブリアンは、老獪な笑みを浮かべた。


「イタリアは日本の金で『鉄(戦艦)』を買う。だが鉄は利益を生まない。維持費でさらに首を絞めるだけだ。  

 だが我々フランスは、日本の金で『他国の首輪』を買う。  

 山本少将は我々を建艦競争の泥沼に引き摺り込み、永遠の債務者にしようと企んだのだろうが……甘いな。 我々は日本の『ドルの剣』を借りて、フランスの『金の盾』をより強固なものにする」


 ブリアンは立ち止まった。窓の外では、まだ雨が降り続けている。


「……私はケロッグと共に、戦争放棄の条約に署名した男だ」

 声が、少しだけ低くなった。

「だが、このテーブルで私がやろうとしていることは、戦争と何が違う? 砲弾で人を殺す代わりに、利率で国を殺すのだ」


 デュラン提督もフルニエも、黙って老政治家の横顔を見ていた。


 ブリアンは、窓ガラスに映る自分の顔を見つめた。ノーベル平和賞の金メダルを受け取った日の自分と、今の自分。同じ男のはずだが、窓ガラスの中の男は、少しだけ老けていた。


「……私が署名したのは不戦条約だ。金融戦争を禁じた条約は、まだ誰も書いていない」


 ブリアンは振り返り、テーブルの契約書に手を伸ばした。


「我々フランスは、言葉の剣と金の盾、両方を持っている」


 万年筆を取り上げた。インクの先端が、まだ濡れていた。


いつもお読みいただきありがとうございます。


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フランス人は日本を出し抜いたように思っているが、この資金の出処は超低利率の長期制度債なわけで…全然だし抜けてないよフランス!というわけだ。 史実の開戦年にはあちこちへの貸し付けでどれだけ利子収入がある…
アンシュルス阻止来たー。このまま上手く行けばWW2は起こらないかも。
フランスは経済に金を全振り・・・しかしオーストリアがフランスに握られるのをドイツやイタリアが許すかな?おまけに世論と仏海軍がイタリアが戦艦増やしたのに自分たちは増やさないことに不安を覚えないか・・・・
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