プランB 後編
時:1930年(昭和五年)、3月
場所:ワシントンD.C. 海軍省・建設修理局(Bureau of Construction and Repair)
『……日本海軍、マトソンの旧式船4隻を購入。現地で大規模改装中。
名目は「海洋開発支援船」および「民間船舶救難船」。
しかし、搭載されるクレーン能力と工作機械のスペックは、いずれも我が軍の工作艦「メドゥーサ」を凌駕している』
「……見事なもんだ」
建設修理局長のロック少将は、憎々しげに唸った。
「『エンジン・アフター』か。機関部を後ろに追いやるだけで、船の真ん中がこれほど使いやすい大広間になるとはな。これなら主砲身だろうが、推進軸だろうが、一直線に並べて加工できる」
対面に座る作戦部長のヒューズ大将が、苛立ちを隠さずに言った。
「感心している場合か、ロック少将。
……探せ。国内に同じような船があるはずだ。アメリカは広い。民間の商船隊の中に、まだ『エンジン・アフター』の船が眠っているはずだ!」
ヒューズの命令を受け、技術士官たちが分厚いリストを広げた。
全米の登録商船を洗いざらい調べ上げた「工作艦候補リスト」だ。
「……報告します」
若い技術大尉が、沈痛な面持ちで口を開いた。
候補1:石油タンカー群
「まず、スタンダード・オイルなどが保有するタンカー群です。これらは全てエンジン・アフター構造です」
「よし! それを使え! 数は売るほどあるだろう!」
「……不可能です、提督。
タンカーの船体内部は、原油の揺動を防ぐために、細かく区画された隔壁で蜂の巣のようになっています。
これを撤去して広い工場スペースを作るには、船体を一度解体して組み直すほどのコストと時間がかかります。新造した方が早いレベルです」
候補2:五大湖のレイカー(Lakers)
「次に、五大湖で鉄鉱石を運んでいるバルク船です。これらもエンジン・アフターで、船倉は広大です」
「それだ! 鉄を運ぶ船なら頑丈だろう!」
「……いえ。彼らは『湖』専用です。
細長すぎて、喫水が浅い。太平洋の荒波に出れば、最初のハリケーンで船体がへし折れます。それに速力も10ノット程度。艦隊には随伴できません」
候補3:シティ・オブ・ニューヨーク
「最後に……アメリカン・サウスアフリカン・ラインの『シティ・オブ・ニューヨーク』。今年竣工したばかりの、最新鋭のディーゼル貨客船です。エンジン・アフター構造です」
「おお! それを買収しろ!」
「……最高速力、13.5ノットです」
ヒューズは、ガクリと肩を落とした。
13.5ノット。遅すぎる。
巡洋艦や空母を中心とする機動部隊(20ノット以上で巡航)についていくには、最低でも16ノット、できれば18ノットは欲しい。
戦場にたどり着く前に置いていかれる工作艦など、ただの標的だ。
「……つまり、何か?」
ヒューズは、震える声で聞いた。
「『外洋を渡りきる頑丈な船体』を持ち」
「『艦隊についていける16ノット以上の高速』を誇り」
「『巨大な工場スペースを確保できるエンジン・アフター構造』を持つ船は……」
ロック少将が、絶望的な結論を告げた。
「……全米を探しても、マトソン・ラインの『マヌラニ』級と『マウイ』級の4隻だけでした。『マウイ』級は18ノット出ます。
ユニコーン(一角獣)のように希少な、奇跡の適合者たちでした」
そしてそのユニコーンたちは今、日の丸を掲げ、日本海軍の艦隊と共に太平洋の彼方へ消えようとしている。
「……なんということだ」
ヒューズは頭を抱えた。
「我々は、ダイヤモンドの原石を『ただの石ころ』だと思って、敵に投げつけてしまったのか。
……東郷。奴には、最初からこの船のポテンシャルが見えていたというのか?」
ノーフォークの軍港では、今日も燃料不足で動けない米艦隊が静かに揺れていた。
彼らを直すためのドックも、工作艦も、もうここにはない。
自軍の戦力は死守できたかもしれない。
だがその代償として、アメリカ海軍は「技術的優位」と「兵站の勝利」を失ってしまったのだ。
ヒューズの目に、暗い炎が宿った。
「……出航させるな」
彼は受話器を掴んだ。
「サンフランシスコの港を封鎖しろ! あの船は軍艦だ! 敵国への軍艦の輸出は認めん! 即時没収だ!」
⸻
時:翌日
場所:ホワイトハウス、オーバルオフィス
フーヴァー大統領の前で、二人の男が対峙していた。
顔を真っ赤にしたヒューズ作戦部長と、涼しい顔をした東郷の代理人、ハーヴィー・サリヴァン弁護士。
「国家安全保障の問題だ!」
ヒューズが叫ぶ。
「あの船は工作艦だ! 日本海軍の能力を劇的に向上させる危険物だ! 大統領権限で差し押さえるべきです!」
サリヴァンは、静かに眼鏡の位置を直した。
「提督。そんなに興奮しないでください。
まず、あの船の所有権はすでに日本側に移転しており、代金も全額支払われています。現在は日本の資産として、米国の造船所で『修理』を受けているに過ぎません」
「それがどうした! 国の危機だぞ!」
「……憲法をご存知ですか?」
サリヴァンは、合衆国憲法を取り出した。
「修正第5条。『何人も、法の適正な手続によらずに、生命、自由または財産を奪われることはない。また、正当な補償なしに、私有財産を公共の用のために徴収されてはならない』」
サリヴァンは、ヒューズを冷ややかに見据えた。
「貴方がたが『没収』すると言うなら、それは憲法違反です。
もしどうしても接収したいなら、日本側に対して『正当な補償』……つまり、購入代金+改装費+逸失利益+違約金を、即金で支払わなければなりません。
……ざっと見積もって、1億ドルになりますが。財務省にその金はありますか?」
同席していたメロン財務長官が、即座に叫んだ。
「ない! 断じてない! 逆立ちしても出せん!」
サリヴァンは畳み掛けた。
「そしてもし政府が違法な差し押さえを強行すれば、日本側は『契約不履行』と見なし、現在進行中の全ての支払いを停止するでしょう。
……造船所は連鎖倒産し、数万人の失業者が路頭に迷います。
提督、貴方は彼らに『日本への嫌がらせのために飢えろ』と言うのですか?」
ヒューズは言葉を失った。
法(憲法)と金(財政)と票(失業者)。
その全てが、日本側の味方だった。
「……それに」
サリヴァンは、最後に付け加えた。
「あの船は、名目上は『民間商船の修理支援船』として登録されています。
アメリカ政府が『商船』を『軍艦』と認定して没収する前例を作れば……世界中の海運会社は、怖くてアメリカの造船所に船を発注しなくなりますよ。
『アメリカは気分次第で客の船を奪う国だ』と」
フーヴァー大統領は、深い溜息をついた。
「……ヒューズ提督。諦めたまえ」
「大統領!」
「法は守らねばならん。そして、我々には1億ドルを払う金もない。
……出航を許可する」
1930年。
太平洋の「リカバリー・パワー」のバランスは、劇的に逆転した。
その事実に気づいているのは、まだ一部の専門家だけだった。
⸻
時:数年後、1930年代中期
場所:日本近海・佐伯湾(連合艦隊演習地)
その船は、停泊しているだけで周囲の空気を圧倒していた。
元マトソン・ラインの貨物船『マヌラニ』を改装した、日本海軍工作艦『三原』。
その船体中央部には、煙突がない。あるのは、艦尾に追いやられた排気塔だけだ。
おかげで船体の中央から前方にかけては、長さ100メートル、幅18メートルに及ぶ、柱一本ない巨大な「大広間」が広がっていた。
天井を走る30トンクレーン。床に据え付けられた米国ナイルス社製の巨大旋盤。メスタ社製の鍛造プレス。
GE製の高出力発電機が唸りを上げ、数百台の電動工作機械が、まるでオーケストラのように稼働している。
「……たまげたなぁ。こいつは『船』じゃねえ。佐世保の工場を切り取って浮かべたようなもんだ」
旋盤の前に立つ老職人、源さん(元・佐世保工廠の親方)は、削り出されたばかりのシャフトをノギスで測りながら呟いた。
彼の横には、海軍技術大尉の小倉が立っている。
「どうだ、源さん。アメリカの機械の使い心地は」
「ああ、悪くねえ……いや、最高だ。
日本の機械だと、長いシャフトを削る時にどうしても芯が振れる。だが、こいつ(ナイルス旋盤)はビクともしねえ。
それにこの広さだ。前の事故で沈んだ工作艦(関東)みたいに、いちいち部品をバラして狭い通路を運ぶ必要がねえ。クレーンで吊って、端から端まで一直線だ」
これが「エンジン・アフター」の威力だった。
完全な一直線の生産ライン。
それは修理時間を半分以下に短縮する魔法のレイアウトだった。
だが、源さんは困ったように頭を掻いた。
「ただな、大尉。……寸法が全部『インチ』なんだよ」
小倉は苦笑した。
「ああ。この船も、機械も、全部アメリカ生まれだからな」
「大尉、この図面、単位が3つ混ざってます!」
若い技師が悲鳴を上げた。
設計図面はメートル法(海軍の新方針)。
米国製機械はインチ法。
元の船体図面はフィート・インチ法。
「しかも、この『6.35ミリネジ』ってのは……」
「ああ。本当は1/4インチだ。名目だけメートルに直してある」
源さんが横から口を挟む。
「ややこしく考えるな。機械の目盛りを読め。
この旋盤は『0.250インチ』って刻んである。
それが『6.35ミリ』だ。覚えろ」
源さんは、愛用のスパナ(英国規格のインチサイズ)を取り出した。
「俺たちが若い頃イギリスに造船を教わった時は、何もかもインチだった。ボルトも、配管もな。
『1/4インチ』がどういう手触りか、身体が覚えてらあ。
……無理にメートルに直そうとするからおかしくなる。ここはアメリカ、いやイギリスだと思えばいい」
小倉は頷いた。
1930年時点で日本で稼働していた旋盤やフライス盤、ネジ切り盤の多くは英国製や米国製、あるいはそれらを模倣したインチ基準の国産機だった。ボルトやナットの規格も、ウィットウォース(Whitworth)法に基づくインチネジが主流だったのである。
この工作艦の中は、日本の中にある「インチの聖域」だった。
そしてこの聖域が、意外なところで威力を発揮し始めていた。
その時、駆逐艦が横付けされた。
担ぎ込まれてきたのは、開発されたばかりの第二空気(酸素)魚雷の試作エンジンだ。
開発中の新兵器は、トラブルの塊だ。今までは、故障のたびに呉の工廠まで送り返し、数週間かけて修正していた。それが開発の遅れの原因だった。
だが今は違う。
「……バルブの気密性が足りません! パッキングの形状を修正したいのですが!」
開発担当の技師が叫ぶ。
「貸してみな」
源さんは、アメリカ製の超精密フライス盤に部材をセットした。
アメリカの工作機械は、パワーと精度が桁違いだ。日本の工場なら半日かかる加工を、数十分で終えてしまう。
「……ほらよ。インチ規格の機械で作ったが、精度は1000分の1ミリまで出てるぜ」
「……できた! これならいける!」
これこそがこの工作艦がもたらした最大の、そして見えざる革命だった。
現場(洋上)でテストし、壊れたらその場で直し、改良部品をその場で削り出して、またテストする。
呉と現場を往復していた「無駄な時間」が消滅したのだ。
小倉は、火花を散らす溶接機を見つめた。
その溶接機もアメリカ製だ。日本の職人たちは、この船で「電気溶接」のノウハウを実地で叩き込まれている。
「……1930年代。世界が不況で停滞しているこの10年間に。
我々はこの『動くアメリカ工場』の中で、技術を磨き上げることができる」
小倉は確信した。
この4隻の工作艦は、単に船を直すだけではない。
日本海軍の技術レベルを、基礎工業力ごと底上げする「道場」なのだ。
夜。
作業を終えた職人たちは、元客船『マウイ』の設備を活かした『浪速』食堂で、アメリカ仕込みのステーキを食べていた。
シャワーを浴び、清潔なベッドで眠る。
過酷な労働環境が当たり前だった日本の職人たちにとって、ここは天国だった。
「……いい船だ」
源さんは、ビール(NCPC債で購入したバドワイザー)を飲み干した。
「アメリカさんはこんないいモンを俺たちに売っちまって、後悔してねえのかな」
小倉は、窓の外の暗い海を見た。
「……後悔しているさ。きっと」
「疲労困憊した職人が、根性で直す」のではない。
「十分な休養を取ったエリート職人が、最高の設備で直す」。
この兵站の質的転換は、日本海軍という組織の体質そのものを静かに、しかし劇的に変えつつあった。
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