能力の開花
クラウディアの社まで戻ってくると、クロノとレインは十人衆や住人達へ結界の消失と加護についての報告をする為に里へ帰った。
二人を見送った後、ルカとクラウディアは縁側で一息つき、霧がなくなった庭の池と蝋梅を眺めながら昼食をとっていた。
12月の冷たい空気は身体を震わせるが、濃霧が無くなったおかげで陽光の差し込む縁側は暖かい。
この里へ来てからというもの、あたり一面常に霧が立ち込めていた為、陽射しを直接浴びるのは随分久しぶりで不思議な感覚だ。
「お前さんがこの里へやってきて、まだ数日しか経っておらんが、だいぶ浄化も進んだであろう」
温かい湯呑みを両手で包みながら、クラウディアが穏やかな表情で茶を啜る。
「浄化、ですか?」
「今お前さんが口にしている米はこの地のもの。清涼な水と肥沃な大地に育まれた農作物は、身も心も浄化してくれる」
ルカは手に持った握り飯を見つめてみる。
小麦が主食か米が主食かの違いでしかないと思っていたが、どうやらそういった意味合いではないらしい。
「人間の身体は何で出来ているか分かるか?」
「肉と血、ですか?」
「正しいが、それは肉体を構成する表面的なものでしかない」
どういう事だろう。
肉を切れば血が噴き出る。
手足を動かす為に脳から信号を送り、食事や会話をする為に口がある。
そういった誰もが知っている当たり前の話ではないのだろうか。
「山に雨が降れば、木々や大地に水滴が染み込む。染み込んだ水滴は、落ち葉や苔、岩石やらで汚れが落ち、湧き水になり川の水になる。ただの雨水は大地を通る事で美しく磨かれるんだ」
クラウディアは続ける。
「その美しく磨かれた水を糧として、魚や動物が体内に取り込む。動物達が死ねばそれを虫が糧とし、朽ちた身体は大地に還る。そしてその土は木々や農作物を育み、私達の体内に吸収される。全ては大地を通して巡っているんだよ」
「……この、握り飯も、そうして育まれたのですね」
「お前さんもだ。その米粒一粒一粒が、お前さんの血肉となる。大地に育まれた水や食物を摂取する事で、我々も大地に育まれているのだよ」
全てのものは大地を通して育まれ巡っているなど、考えた事もない話だった。
「生きとし生けるものは全て大地の恩恵を授かっておる。小さな虫達は土や葉を糧とし、その虫達が排泄をしても死んでも土の栄養分となる。木の実や虫を動物達が食べれば、その動物を人間の糧にもする。そして人間も皆等しく大地に還るんだ」
「大地へ、還る……」
「大地も水も大気も、我々命あるものを構成する為に必要不可欠なもの。だが、時として自然は猛威をふるい牙を剥く。古代に存在した自然崇拝信仰は、自然がもたらす恵みに感謝を捧げ、自然の理に畏怖の念を持ってして敬うものだったのだよ」
ルカ自身信仰しているわけではないが、このトラキア大陸全土において女神信仰が浸透している。
女神ハルペイアは創世と慈愛の神。全ての願いも感謝もハルペイアへ捧げられる。
ファラ・メイヴ感謝祭も、一年間の作物の実りを女神ハルペイアへ感謝を込めて執り行われるのだ。
至極当然の概念としての偶像崇拝である女神信仰よりも、クラウディアが口にする自然崇拝信仰の在り方の方がルカにはストンと納得のいく話に感じられた。
残り僅かになった握り飯を口の中に放り込む。
大地に育まれた米の一粒一粒は、ルカの体内を巡り、吸収され、ルカと一体になるのだ。
乾いた空気がさっと駆け抜けて行き、まるで今自分が大地や大気と同化していくかのような不思議な感覚に陥る。
「ルカ、来なさい」
どこか夢現のような思考から意識が醒めると、いつの間にかクラウディアは庭の蝋梅のそばに立っていた。
ルカも縁側から庭へ降り、急いでクラウディアの元に向かう。
「大地も水も大気も生あるもの全ては循環しておる。蕾に触れてご覧」
そう言ってクラウディアは、低木である蝋梅の蕾のついた枝を手折らないようにルカへ差し向けた。
大地も水も大気も、生ある全ては循環する。
クラウディアの言葉に自ずと、自然に対する感謝と畏敬を抱いた。
壊れてしまわないようそっと蝋梅の蕾に触れてみる。
微かに香る花の匂いに、この枝に連なる蕾が開花したらどのような姿を見せてくれるのだろう。
そんな事を考えていると、触れた蕾から枝を伝うように次々と薄黄色の花弁が花開き、辺りに優しく甘い香りが広がっていった。
それだけではない。
庭に植えられた、まだ蕾も付いていない低木の木々達が白や紅色の花を咲かせ始めたのだ。
「……これは…」
「感覚の鋭いお前さんならと思っておったが……これはまた、見事なものだ。蕾も付けておらなんだ紅梅達まで咲きおったわ」
満開に咲き誇る黄・紅・白の梅の木々達を眺め、クラウディアは感嘆の息を漏らす。
霧の立ち込めない乾燥した空気と、庭に差す暖かな陽光に色とりどりの美しい花。
梅の花達の入り混じった爽やかな香りが、一面を包み込んでいた。
思いがけない幻想的な風景に、しばらく声を詰まらせ立ち尽くす。
「今お前さんがしたのが発現と呼ばれるものだ」
「確か、植物の成長促進はクラウディア様の姉君が…」
「そうだ。ガブリエラ姉様の能力。今ので気付いたろう?発現というのは、自然の理、大地の流れにご助力頂くもの。同調し、自然と一体になる事だ」
クラウディアは池へ手のひらを向けると、細かな水滴を巻き上げ日向に撒き、小さな虹を作り出した。
「私のように水との同調に長けている者が居れば、土や草木、風や雨など、人によって得手不得手は様々。自然と共鳴し、流れを理解し、力をお借りするだけ。お前さんも今のと同じ事をしてご覧」
「はい」
小さな池へ手のひらを掲げる。
自然と同調…共鳴とは、自然と一体になるようなものなのだろう。
雨粒は地に染み込み、やがて下流へと流れ、海に混ざる。
湧き水は喉を潤し、身体に浸透する。
私の身体に流れる血も鼓動も、この地に流れる水と同じ。
大気も水も大地に育まれ、そして私も還っていく。
そう思い至った時、池の水面が揺らいだ。
クラウディアとは違い、大きな水滴を巻き上げ、虹は出来たものの庭に水溜まりが出来てしまった。
操作が上手くいかず、どうしても落ち込んでしまう。
そんなルカを慰めるように、クラウディアがポンっと彼女の肩を叩いた。
「ルカ、お前さんは感応力が桁違いだ。歴代の皇族の中でも類を見ないだろう。自然と一体となって力を借り受けるのは容易い。私達のように神使と対話し、自然を操る者は古代では巫女と呼ばれた」
「巫女……初めて聞きます」
「女神信仰の教会で言う、高位の司教や聖女と呼ばれる者達の立場に通ずる。やつらにこのような能力はないが」
「信仰するものが違うからでしょうか?」
「いいや、そうではない。古代文明の"自然崇拝信仰"とは言っているが、信仰とはまた別のものだ。自然と共存するにあたって、畏怖と深謝が大前提にある。自然を敬うのは息をするのと同等のものであった。自然とは、生活の一部。生有るものと一体なのだよ」
「当たり前のように共存していたから、信仰とは違う…?」
「そうだ」
女神信仰では教義に倣い、民衆は道理を教え込まれる。
日々の幸いを女神に感謝し、不義を働けば女神に罰を落とされるのだ。
女神ハルペイアを神と崇め奉り、自身に不幸があれば信心が足りないとされた。
だが、自然信仰は自然と共に共存し、そして自らも自然に還っていく。
教義でも何でもなく、そこにあって当たり前の存在。
自分も自然の一部なのだから。
「信じる、信じないではなく、"知っている"というのが重要なんだよ。全ては循環し、巡っていると」
「…はい」
「ルカ。お前さんの発現の能力は、今のものとは違い、自然の力を借りていない」
「発した言葉通りに相手が従う、という能力の事ですか?」
「そうだ。その能力は初代皇妃殿下のものと同じ。自然の力を借り受けない分、身体への負担は相当なものだったと言われている」
「……」
思い起こせば、あの能力を使った後はいつも酷い倦怠感と貧血に襲われていた。
その為、あまり頻繁には発動しないように自身でも注意をしていたくらいだ。
「皇宮の書物には"隷従声"と記されていたのを憶えている。身体強化の能力の一種だ。お前さん自身でも気付いてはいるだろうが、あまり使用しない方が良い。初代皇妃殿下は国を治める為に活用し、若くして息を引き取っている」
「はい」
「五感が鋭く、神使達の加護もある。あまり無理はするでないよ」
そう言ってクラウディアはルカの背を押し、社の母屋へと足を進めた。




