第二十八話「砂漠の街」
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ラクダの背から、薄い緑色の布を被った一人の少女が軽々と熱を持った地面の上に飛び降りた。衝動で深く被っていたフードが落ち、片耳の上まで編み込みされた甘い茶色のショートヘアが揺れる。
ぅ〜〜〜〜〜、よいしょーーーーーーーー!!
体を縮こませたと思ったら大きく両手を上げて体を伸ばしたのは、いのりだ。ハツラツとした表情で、照りつける太陽の下で元気よく大きな声を出した。
「つ、ついたどーーーーーーーーーーー!!!!やったーーーーー!!疲れたーー!」
「お姉ちゃん………げんき……だね……ぐふぅ……」
「大丈夫か!?ひのり、しっかりするんだ!!」
いのりの背後でリアに抱っこされる形でラクダから降りる 薄紫色の布を被ったひのりは、ぐったりとした青白い顔を軽装の鎧を身に付けた騎士の肩に埋めていた。今にもHPが0になってしまいそうだ。
いのりは新しい場所に来て気分が上がっているのか、周囲を忙しく見渡しながら瞳を輝かせていた。今ばかりは妹の体調を気遣うよりも見慣れない食べ物—— 白い煙が立ち上り何かを焼いているのか蒸しているのかは見えないが、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐってくる—— を売っている露店に駆け出しそうな勢いだ。
「ひゃーー今日は一段と暑いねー!砂漠は超えて来たけどやっぱり大砂漠が近くなって来たからかな!なんか魔王は溶けてるし、ひのちゃんは元気ないけど、お姉ちゃんは元気いっぱいだよ!」
「待て待て待て!いのり!!ひのりも溶けてる!!ひのりも溶け始めて来たぞ!ど、どうしたら……!」
「文明の力が……クーラー……私のクーラーはどこへ行ったの……?×○×%°+×☆」
大混乱になって今にも泣き出しそうなリアは、何処かに行ってしまいそうな いのりの服を捕まえて懇願するような目で見つめた。リアにはこんな状態の少女をどうすればいいのかわからない。
「いのり!!いのり!!ひのりがよくわからない言語を話すようになってきたんだが!!原型が無くなってきたんだが!」
「あちゃー。ひのちゃんは夏になるとクーラー苦手とか言いながらクーラーつけた部屋から出ようとしないもんね!」
「くーらーってなんだ??いや!それよりも早くなんとかしてやらないと!!早く宿を取ろう!」
リアに急かされ、ふむ……と いのりは少しだけ考え込んだ。
リアもいてくれるし、目新しい物に目移りしてしまっていて少し浮ついていたのかもしれない。楽観的に考えていたが顔面蒼白の妹はぐったりとしていて辛そうだ。
妹の体調よりも好奇心を優先させてしまったことを、ちょっぴり反省してしまう。
微かに罪悪感を感じた いのりは周囲を見渡して……みれば、直ぐに茶屋のような店を発見することができた。「あそこ、あそこ!」と、茶屋の方に指を指す。
「じゃあ、3人はそこのお店で涼んでいて!私が宿を探してくるよ!」
「あ、……うあ……、ぐ、くふ……ぐふ。オフィーリアが迎えに……くふふ」
「……幸せそうだし、魔王は、このままでもいいんじゃないか……?」
「だめだよ!?」
「分かってる、しないよ。いのりこそ一人で大丈夫なのか?変な人に声かけられても付いていったらダメだぞ?」
(あ、これは本気のやつだ。……大丈夫かな?)
一抹の不安が過ったが、依頼人である以上放置はしないはずと、いのりは雑に悩みを放り投げる。
「もー!ひのちゃんみたいに無自覚に道に迷ったりしないから大丈夫だよ!それじゃあ二人のことよろしくね、行ってきまーす!」
それから手始めに近くの宿を訪ねてみた いのりだったのだが————、
「ごめんなさいねー、うちはもういっぱいよ」
優しそうな宿屋の女性に、やんわりと断られてしまった。
宿屋の受付のカウンターにいる間も、多くの人が二階の階段から降りてきては観光へと向かっていた。背後の食堂にも人が沢山いるのが見える。言葉の通り空いてる部屋はないのだろう。
仕方がないが他を探すしかない。
「大丈夫です!他を当たってみます」
笑顔で宿を出ていく いのりの後ろ姿を心配そうに眺める宿屋の女性は頬に手を置いて「大丈夫かしら、あの子……」と不穏な空気を漂わせた。
気を取り直して2軒目、3軒目を訪ねた いのりだったが————、
「ごめんな嬢ちゃん、他を当たってくれ」
「うちでは無理だよ他所へ行きな!」
「粘られても困るんだよなぁ……無理なものは無理なんだわ」
「悪いねぇ、先に来たお客様を追い出すわけには行かないでしょう?具合が悪い子がいるっていうのに、ごめんなさいねぇ」
言い方はそれぞれあったものの、結果はどこも同じだった。
10軒目を断られた辺りで、流石の いのりも肩を落としてしまった。
リア達を残してきた茶屋からはかなり距離ができてしまっている。時間も随分たってしまっただろう。
(……心配、かけてないかな……?)
「………そう、ですか……。いえっ、無理にお願いしてしまったごめんなさい……他を当たってみます」
無理に笑いながら諦め、宿の外を出て砂漠の砂が混じった地面を歩く いのりの口から珍しくもため息が溢れる。
一度、ひのり達を置いてきた茶屋のある方向を振り返る。妹の為に出来ることをしなくちゃと思い直しては、諦めかけていた思考を飛ばすように頭を左右に振り、唇をキツく結んで「よし!」と気合を入れ直す。
「お姉ちゃん、頑張る!!」
とにかく一部屋でも良いから部屋を見つけたい。
物資を補給した後、明日や明後日にはこの街を立つことになっている。つまり……、
「寝床さえあればなんとかなる!どこか他に宿は……」
ふらふらと歩き回って宿を探した いのりの目に、程よく古そうな建物が目に留まる。今にも外れそうな看板に刻まれたベッドの絵は宿屋であることを示していた。
入口はこじんまりとしていて、中は開けられた窓から光が差し込んでいるだけで少し薄暗い。
恐る恐る宿の中を見渡せば、酒場兼食堂も複数の木製のテーブルや椅子が重なって積まれ、店の端で埃をかぶっている状態で、客が居て賑わっている様子はなかった。
(………だ、大丈夫………なのかな?)
「……おい、ちびすけ。なんのようだ……」
「ひゃ!!」
いつの間に現れたのか、白い髭の生えた大柄のお爺さんが いのりの背後で腕を組んで堅物そうな顔をしていた。身体に不釣り合いなエプロンをしている男は、きっとこの宿屋の店主なのだろう。
思わず、薄暗く静かな宿屋の中でお化けにでもあったような悲鳴をあげてしまった。いのりは直ぐに口を手で蓋をする。
5秒ほどドッドッと早る鼓動の音を落ち着かせて、いのりは目の前の男に遠慮がちに声を返した。
「あ、あのー……今日はこの宿は空いています?一部屋でも大丈夫なんだけど……」
ここなら!と店主には失礼な事を気が付いてない少女は無意識に期待していた。が、その期待は直ぐに店主によって打ち砕かれてしまう。
髭を触りながら「ふむ……」と唸った店主は首を振った。
「一部屋か……悪いな、ちびすけ。最後の客が二部屋取ってしめぇだ」
「………そう、ですか……」
あからさまに期待が外れて落ち込んだ表情に変わった いのりは、肩を再び落としてしょぼーーんと項垂れる。落ち込んだ後に少しだけ焦りも生まれてくる。
「どうしよう、いつまでもお店で待たせているわけにもいかないし……ひのちゃんはもう具合良くなったかな……」
ぶつぶつと呟きながら店を出ようとしていたそんな いのりを、誰かが呼び止めた。
「あの……!」
「え?」
透き通った声に導かれるように、いのりは振り向く。
「もしかして、宿を探されていらっしゃるのですか?」
そこには薄手の灰色の外套ですっぽりと体を隠した小柄な人物が佇んでいた。細腕が少しばかり顔を隠していたフードを上げると、紫紺の双眸が不安そうに揺れているのが見えた。
顔立ちや外套のラインから女の子なのかなと考えながら、やや構えまぎみに いのりは頷いた。
「う、うん!」
「話の腰を折ってごめんなさい。もうすぐ砂漠を超えた先の王都でお祭りがあるの。それで、今の時期はどこの宿も取れなくなってしまっているのです……。なので、きっともうどこの宿も……空いていないと思います」
「ほぇー……そうだったんだ!ってえぇ!?それ本当に!?」
「え、えぇ……。あの、もし良かったら……私達の部屋を一部屋お譲りしましょうか?私達は二人で一部屋でも構いませんので……」
「え!!いいの!?」
思わぬ事実に萎れてしまったが、相手からの提案に起き上がって瞳を輝かせてみせる。感激のあまり少女の白い手を取って「本当に!?本当のほんとに!?」と詰め寄ってしまう。
勢いよく近寄られ、いのりから慄くように少女の身体が微かに揺れる、どうやら驚かせてしまったようだ。少女の動揺をもう一人の小麦色の肌の少年が敏感に察知し、腰に添えた湾曲型の刀に手を付けようとして、少女に「ミカ、やめなさい」ピシャリと叱責される。
「お……、嬢!」
「ミカ、いいから下がって」
「………うす……」
渋々……といった様子で、ミカは前に一歩踏み込んだ左足を右足に揃え、刀添えた手も降りた。
緊張感が張り詰めてしまい、全く全然、目の前の少女を害そうとしたつもりのない いのりは戸惑ってしまった。
「あ、えっと、ごめんなさい……。えっと、お部屋を譲ってくれるってことでいいのかな?」
「はいっせっかくこの街に寄ってくれた異国の冒険者様ですから……!少しでもお役に立てれば……」
「ありがとう!!よかったぁ……妹が太陽の熱気で具合が悪くなってて、ここもダメならどうしようかと思っちゃった!本当にありがとう!」
「いえ……お役に立てて何よりです。鍵をお渡ししておきますね」
「ありがとーー!妹達も連れてくるね!」
嬉しそうに少女から鍵を受け取った いのりは、ひのり達が待つ茶屋へと駆け出して行ってしまった。
「えぇ、お気をつけて」
緩やかに手を振りながら いのりの背を見送る少女の背後に立っていたミカは赤髪の後頭部で手を組みながら確認を取る。
「………嬢……。いいんすかー?」
「……何が?」
返ってきたのは少女の淡白な声だった。
階段を登りながら、少年のことを振り向きもしない。
「何がって……だから、部屋を譲ってしまって」
「……もちろん、構わない。それに、貴方も隣の部屋なんて使うつもり、なかったんでしょう?……ミカ」
「勿論っすよ。俺は嬢の護衛なんだし」
緑色の片目をつぶってみせるミカ。調子のいい護衛に、足を止めて、此処で初めて少しばかり顔を少年の方へ向けた少女の人形のような表情は一瞬で呆れ顔に変貌してしまった。
「ほら、やっぱり。……それに、こうなる事は予測済み。だからこそ、予め二部屋を取っておいたの」
「え!!じゃあ、初めからあの部屋を取ったのは、俺の為じゃないんすか?」
「えぇ、そうだけど?」
さらり、と冷たく言い放つ少女。
それを受けてミカは大袈裟に声を上げる。
「ひでー!お嬢がいつもにまして俺に優しいと思ったのになぁ」
「……ミカは使わないと分かってるのだから、必要ないでしょう。それよりも、ここからが重要……」
二階へと顔を戻した少女はまた静かに階段を登り始める。
握りしめられた外套の胸元には、シワが寄っていた。
「絶対……、私たちの味方になってもらわなくては……」
「仲良くなった方が得なんだから、そんな気を負う必要無いと思いますけどねぇー……」
階段を登り終え、廊下を歩く少女は背後からの軽口にムッと眉を釣り上げた。ジロリと少しだけ後ろを振り返って呆れ半分愉しさ半分の表情をしているミカを睨む。
「………気負ってなんて、ない……」
へらへらしてるミカには全く効果はないようだ。
「……全く、そーいうのを気負ってるって言うんすよー?お嬢は手がかかるっすねー」
「……いい加減にしなさい、ミカ……」
お灸を据えるべく、少女の紫紺の双眸がギラリと怪しく輝いた。
「またまたぁ、そんなこと言って……やれやr……いた"た"た"だだぁ!!痛いっす!痛いっすーーお嬢ぉぉ!」
一階では、店主が使えるテーブルを拭きながら怪訝そうな顔をして二階の階段を覗き込んでいた。
「ぎゃ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
「毎日毎日……何、やっとんだ……静かにせんか……」
店主が2階からの悲鳴を聞きながら雑巾を搾り上げた。
〜オフィーリアの後日談〜
「あの……王妃……様……?」
「うふふ、何かしらオフィーリアちゃん」
メイド服の次は豪華なドレス、ウサ耳付きの着ぐるみ、東国の着物などなどを着させられたオフィーリア。部屋の隅に置かれた花冠が無くなっていないか何度も確認しながら本職のメイド達に世話を焼かれ、下側がくるくる巻かれた灰色の髪が忙しく揺れていた。
王妃はオフィーリアの話に聞く耳を持たず、「これもいいわね!これも!」と満足そうに微笑んでいた。
(た、助けてくださぁぁい!お兄ちゃん!!)
着せ替え人形になるのは、オフィーリアも承知した事ではあったが、2時間にわたる着せ替え人形状態に心の中で兄に助けを求めた。首に付けた小花で繋がったチョーカーを不安げに触る。
最終的に、ご満悦の王妃から好きなのを一つ選んでいいと言われたオフィーリアは、一番着やすいメイド服を貰った。
後日〜
「どうですか……?お兄ちゃん……」
「うん!!オフィーは何を着ても似合うな!」
兄と妹のお披露目会がひっそりと屋敷で行われたのだった。




