旅のはじまり
仲良くゲロを吐いて落ち着いた俺たちは、ようやく話し合う態勢に入った。
幼女は竜王の側から離れない。終始上目遣いで警戒は解いてくれないらしい。だがこの幼女とは初めて会った気がしない。どこかで恨みを買うようなことをしたのだろうか。
「ちょっとね、緊張して吐いちゃったね」
竜王が保育士のような気遣いを発揮したが、幼女は泣きべそをかいて逃げようとした。竜王と俺がそれを阻む。幼女は親の敵のような目でにらむし、竜王は俺のせいだと非難した。わけがわからない。
「ほら、エチカも何か言わないと。せっかく会えたんだし」
聞き覚えのある名前が出てきて、思わず身じろぎしてしまう。ゲーム内で行方不明になっていた友人の名前と同じだったからだ。
「エチカだと……!? この子が俺とゲームをしていたプレイヤーだと言うのか。こんなに近くに暮らしていたとは」
VAFは世界的なゲームなので隣近所で行われていても不思議ではない。エチカ本人がアバターとそっくりなのにも驚かされたが、まさかゲーム外で会うとは思わなかった。
「おい、今までどこにいたんだ。心配してたんだぞ」
俺が再会を喜ぶと、エチカは後ずさりして竜王の陰に隠れた。やはり俺はエチカに嫌われているのだろうか。
「いいかげんにして、エチカ。君が会いたいって言うから連れてきてあげたんだよ。心配かけてごめんくらい言えないの?」
竜王が諫めると、ますますエチカは頑なに口を閉ざしてしまう。俺は距離を置いたまま会話を試みた。
「エチカ、そのままでいい。聞いてくれ。お前が無事なら俺は何も言うことはない。達者で暮らせ、じゃあな」
焦って今生の別れみたいな言い方をしてしまった。会う前はたくさん話したいことがあったのに、どうして上手くいかないのだ。
「……、して」
エチカがか細い声で何かを訴えている。俺は慎重に近寄って耳を傾ける。
「最後に、ギュッてして」
何だ、この健気な生き物。俺は関係のもどかしさを晴らそうとするみたいに強くエチカを抱きしめていた。か細くて今にも砕けてしまいそうなのに加減なんてできそうにない。
「最後だなんて言わないでくれ」
エチカの高い体温に当てられ、俺はこいつと離れがたくなってしまった。エチカは俺の胴に腕を回し、すぅすぅと息を漏らしている。
「あーあ、見せつけてくれちゃって」
竜王が僻むようなことを言ってその場を離れると、エチカが口を開いた。
「あたし、本当はショータとずっと会いたかった。こうして触ったりしたかった。だから今幸せ」
ところどころつっかえながらも、エチカは俺への悪感情がないことを伝えようとした。それだけでこれまでのわだかまりの大部分は水に流せそうだった。ここまでは。
「会えない間にね、ショータの彼女の住所を突き止めて手紙を送り付けようとしたけど止められた。ショータと別れてって伝えたかっただけなのに。ショータの隣にはあたしだけいればいいんだよ。他の雌豚は舌噛んで死ね。あたしはショータに捨てられたら生きてけない。もうショータと一緒に死ぬしかないんだよ。大丈夫、一発で首を落とすから。あたしもすぐに後追う。来世で結婚して幸せな家庭を作ろうよ。子供は三人欲しいって前に話し合ったよね。あたしとショータの明るい家族計画……、イヒヒ」
エチカが八重歯をむき出しにし、斧を拾い上げた。俺はそーっと距離を取り竜王を呼んだ。
「エチカは大丈夫なのか?」
「ま、平常運転でしょ」
竜王は慣れているのか。鼻血を垂らしているエチカの顔をハンカチで拭いてやっていた。
竜王が俺をエチカから引き離そうとした理由がようやく判明する。エチカは俺に恋人がいたとどこかで聞いてひどく錯乱したらしい。俺に真偽を確かめたかったが臆病でそれもできず、竜王には俺が二股をかけたと嘘をつき、反応を確かめさせた。というのが真相のようだ。
そもそも俺はエチカの何を知っていたというのだろう。こいつに妄想癖があろうと俺に責める筋合いはない。色に狂わせてしまった俺にも責任の一端はある。いじましい少女に幸あれ!
「エチカについては責任は取る。それはそれとしてここはどこだ」
落ち着いて辺りを見回したがここは俺が知っている神社ではない。確かに似たような階段はあるが、以前の方が真新しかった。今あるのは修繕を怠ったようにひび割れていたし、鬱蒼とした森の面積が増えた気がする。
それに、高層ビル群が全く見あたらないのが気になる。ここからでも俺のマンションが見えたはずなのだが、正体をなくしている間にどこに消えてしまったというのか。
「さっき言ったと思うけど、ここはもうVAFの中なんだよ」
竜王が意味のわからないことを言い出したので、俺はエチカの頭を撫でた。意外と固くてタワシのような質感だった。
「ふん、馬鹿も休み休み言え。VAFはゲームだぞ。妄想癖が許されるのは幼女だけだ」
「ま、信じる信じないはキミ次第だけど。そんな悠長なこといつまで言ってられるかな」
エチカが俺の背後に視線を据えている。その視線を追った俺は悲鳴を上げそうになって口元を押さえた。
十メートル先に人らしきものがいた。子供くらいの大きさだが、頭が大きく体全体が錆色をしている。目は黒目があるのか怪しいくらい白い部分が多い。
それは、俺に向かって走ってくる。見れば見るほど人間離れしてた生き物だ。服を着てないし、鮫のような歯がぎらついている。
「子鬼だ」
エチカが俺を押し退け斧を振り上げる。問答無用で子鬼の脳天に刃を叩き込んだ。傷は浅かったらしく子鬼は傷口を押さえて距離を取る。一足で五メートルくらい飛んだ。
「ギギーッ!?」
傷口から紫色の液体をまき散らし、頭を振る子鬼。エチカが無音で近づき、執拗に斧を叩き込むとひっくり返っておとなしくなった。作りものにしてはできすぎて不気味だ。俺は助けを求めるように竜王を探した。
竜王は階段の中腹で似たような子鬼を殴りつけていた。あいつも戦うのか。何が起きている。変転する状況についていけずにいると、近くの草むらから物音がした。
新たな子鬼が姿を見せた。闇の落とし子のような醜悪さだ。俺を標的として認めたのかまっすぐ近づいてくる。こっちは丸腰だ。逃げようとしたが回り込まれてしまった。
「気をつけて! 子鬼に噛まれると子鬼になるよ」
竜王が子鬼の頭を握りつぶしながら警告した。ゾンビのような設定に慄然とする。何の冗談だ。恐怖のあまり夢だと自分に言い聞かせる。だが命に警鐘を鳴らすような心臓の動きはますます激しくなる。
「ショータ! 伏せて」
言うが早いか、斧が回転をつけて飛んできて子鬼の首を跳ねた。俺はとっさに伏せたので何とか無事だった。
二人と合流した俺はしばらく口がきけなかった。子鬼の死体はしばらくすると風化したように崩れて見えなくなった。
「何なんだ、ここは……」
「説明するより見てもらった方が早いと思ってね。ようこそ、異世界へ」




