恩讐の彼方に
「ぷはっ……!」
エチカは水面から顔を出した。ジゼルの命の灯火ともいうべき最後の攻撃を援護してから川に飛び込んだのだった。
真上から戦闘音は聞こえてこない。世界からあるべき音を排除した嫌な感じの静けさだ。橋脚をよじのぼり、橋の上に戻る。
エチカは右目に巻かれた眼帯に手をやった。
眼球自体残っていないのに視界を閉ざしたくなったのだ。
陽炎に歪んだ景色の先で、二人の修道女が抱擁している。大きい方が小さい方を庇い、小さい方は大きい方を支えるようにして立っていた。
二人は安らかで微笑みすら浮かべている。目を閉じてはいるが、呼びかければ今にも動き出しそうだった。
だが、それは永遠に叶わない。二人の体は一本の槍で刺し貫かれている。鬼道丸がゆっくりと槍を引き抜く場面にエチカは出くわした。
「まだいたのか、お前」
槍から滴る罪人の血を、エチカは食い入るように見つめている。花菱の声は耳に入らないようであった。
「こうなるのはわかってたはずだぜ。なんで止めなかった」
花菱の懸念は敵を屠った事ではなく、エチカの心情だった。助かる命をむざむざ死に追いやって平気でいられるほどエチカは無神経ではないと思ったのだ。
「やらせてあげないと可哀想じゃん。あそこで断ったらあたしが殺されてたよ」
エチカは割合あっけらかんと結末を受け入れていた。旅は道連れ世は情け。それでも情けは人の為ならず。自分の身が一番可愛いのだ。
「それならもう戦う理由はなくなったな。金を置いてさっさっと」
「……、アーマーリビルド」
エチカの衣服が弾け飛ぶ。それも束の間、一瞬のうちに再構成され、頭には蝙蝠を模したヘッドドレス、紫の刺々しい肩当てのついた黒のワンピースにボーダーのニーソックスという出で立ちに変化した。
「借り物じゃなく自分の力で勝負するってわけか。それがどういう意味か分かってんのか」
エチカは完全なタイマンを希望している。ジゼルたちの死とは関係なく、エチカ自身の望みとなれば花菱も黙っていられない。
「あたしはショータに、この場を任された。退くわけにはいかない」
迷いのないエチカとは対照的に花菱の鼻梁は深刻な皺を刻む。
「お前はあのガキに利用されてるだけだ。目だけじゃなく頭もイカレたか」
エチカは右手を天にかざし、愛用の武器を招き寄せる。
「ショータがあたしの何を利用しようとショータの勝手。あたしはそれについていく。ショータの望みはあたしの望み。これが」
二人の間に飛来物が直撃した。橋の中央を抉り、深々と突き刺さっている。三メートルはあろうかという白亜色の柱だった。柱の表面には苦悶に満ちた人間のオブジェが浮かび上がる。人間の命を糧に成長する武器、忌まわしい人柱だ。
「愛、なんですよ」
エチカは巨木のような柱を一息で引っこ抜くと、鬼道丸に叩きつけた。橋を揺さぶる衝撃に一度は耐えた鬼道丸だったが、二度目は肩の関節を砕かれ、倒れこんだ。
「ぶっつぶれろ!」
エチカは柱を旋回させて追撃するが、粉塵を巻き上げるだけで、手ごたえがないことに気づく。
鬼道丸はエチカの真上に陣取っていた。既に傀儡不尽による操作干渉により、ダメージもなく移動している。風を受け、凧のように滑空しながら袖を振るう。導火線のついた筒がエチカの頭上を襲った。
先程までのエチカのお株を奪うような爆撃は、いくつもの火柱を巻き上げ反撃の糸口を与えない。
「うあっ……!?」
断続的に発生する爆風と衝撃に耐えきれず、エチカは吹き飛ばされた。超重量の武器を扱ったことにより腿の傷口は悪化し、頭を打ったせいで意識は朦朧としていた。
花菱は離れた所で煙を避け、様子を見ていた。
「愛、か。あたしにはよくわからん」
ふと思い浮かんだのは、リヒターの白皙の横顔だった。彼がグラスを傾ける仕草を鮮明に記憶している。
束の間の甘い追想を破ったのは、天地を揺るがすような地響きだった。ユイの仕業だろう。
「ショー……タ」
エチカは懸命に手を伸ばす。思いは遠く届かない。
ショータの背中には緋色の翼がはためていた。鳥の翼を模したものではなく、飛行機の翼のような流線型をしている。抵抗と軽量化を極限まで追求した厚さ数ミリの翼だ。
橋でエチカ達と別れてからすぐさま飛翔し、街の方角に取って返している。壁の内部では戦闘というより、目を背けたくなるような殺戮が行われていた。心情としてはそちらに注意を向けたくなるが、ショータには先に果たすべき使命があった。
街の外壁に値を張る木の周りを飛び回ったが、リヒターの姿は見あたらない。上空を通過した際に、目が合ったような気がしたが、移動したらしい。
代わりに騎士団の子供が木の枝に登ってきて、ナイフを投擲してきた。執拗にショータの翼を狙ってくる。コントロールも機械のように正確だ。ショータは木から離れず逆に急接近して、少年の手に握られたナイフをはたきおとした。
「ごめん」
ショータは脇差しを一閃し、少年の喉を掻き切った。ショータと同じ年代の少年は火花のように血を吹きながらも、足を踏ん張り懸命に耐えている。リヒターへの忠誠心がそうさせるのか、闘争心が萎えない。
ショータがだめ押しとばかりに蹴り飛ばすと、少年は枝から足を踏み外した。そのまま下に落ちたのか鈍い音が聞こえた。
背格好が似ているため、まるで鏡に映る自分と戦っているようだ。嫌気が差してくるが、それが敵の狙いなのだろう。
「リヒター、僕はこんなに育ちの良い顔してないぜ」
ショータは毒づくようにそう言うと、街の一角を見下ろした。二十メートル程離れた崩れかけた鐘楼の屋根にリヒターが立っていた
「そうだね、君の方がずっと可愛い顔をしてる」
ショータは悪寒がして、逃げ出しそうになる。リヒターは肩を揺すってその反応を楽しんでいた。
「気持ち悪……、ふざけるのも大概にしろよ」
「僕は至って真面目さ。会えてうれしいよ、ショータ」
リヒターはかつてショータの所属していた組織の発起人であった。ショータはリヒターに見いだされ、その組織の幹部にまで上り詰めた。とある事件がきっかけで仲違いするまで二人の良好な関係は続いていた。
ショータは常にリヒターの背中を追ってきた。それでもリヒターの本心に迫った試しがない。その虚しい気持ちは今日も解消していなかった。
「リヒター、教えてくれ。僕はあの時、どうすれば良かったんだ」
野良犬の卑屈な問いを、リヒターは真顔で受け止める。
「わかっているはずだ。僕は何かを愛さずにはいられない。だが無欲というわけでもない。当然相手に見返りを求める。釣り合いが取れないと許せない性質なんだ」
リヒターは温厚さの裏にある傲岸さを示してショータを脅かす。そして誘うように熱っぽく囁いた。
「僕は無名の君を引き上げてここまで育てた。それ相応の愛を、さもなくば憎しみを捧げてもらいたい」
前勝手な要求を前にして、もはや言葉は意味をなさない事を知った。ショータは太刀の柄に手をかける。あらゆる感情を廃し、戦いに臨んだ。
抜刀。
大気の壁を突き抜けるような速さで、リヒターに斬りかかる。旧知である二人は互いの手の内を知り抜いている。ショータはスピードを生かした速攻型。反対にリヒターは、相手の攻めを利用する迎撃型だ。
間合いを制し、勢いに乗って刀を振りあげた時、違和感を覚える。分厚いゴムに包まれているような奇妙な感覚に支配され、身動きがとれなくなった。
「どうした。この程度で釣り合うわけがないだろう?」
リヒターの失望の声は、闇夜のように底冷えとしていた。
ショータの愛刀はリヒターの体に届くことなく役目を終えた。刀身がひしゃげるように歪み、全体に亀裂が入った。波打つように縮んだ愛刀は中程からぽっきりと折れてしまった。リヒターはただ手をかざしているだけで、全ての攻撃を封殺してしまった。
「童子切り安綱。まだ使ってたのか。僕のお古だったよね、それ」
異変はショータの体の内部にまで及んでいた。心臓は裏がえりそうなほど激しく動いていたし、血液は攪拌されるように血管内を暴れ回っていた。
柄だけ取り残された刀が手から滑り落ちる。
背中の翼が煙のように消え、ショータは地上へと真っ逆さまに墜落する。口からは大量に吐血していたし、臓器も骨も押しつぶされ、用をなさなくなっていた。痛みを感じる暇もなく、敗れたのだ。
リヒターの傍らには石でできた女神像がそびえていた。髪の一本一本が蛇かたどっており目には覆いをされている。右手に剣を、左手に天秤を握っていた。石像は街を覆うほど巨大になり、剣を振りあげただけで、建物を倒壊させる風と濃い影を大地に投げかけた。
ショータは、先ほど倒した少年騎士のすぐ脇に落下した。少年は喉をぱっくり開けたまま事切れている。
処刑刀のような女神の剣が舞い降り、ショータと街を押しつぶそうとしていた。
天秤宮の戦乙女
リヒターの恩を受けた相手が仇を返すことにより発動するスキル。巨大な女神像が攻撃を無効化し、自動で反撃する。
その威力はリヒターがこれまで人類に与えた恩に等しい。誰彼構わずお菓子を与えるのはそのため。
アテナはお菓子をもらったが、自分は口にしておらず能力の対象にならなかったと思われる。
これにて一章終了です。読んで頂きありがとうございました。二章 りゅうおうのおしごとに続きます。




