傀儡不尽
「ミーシャ、起きなさい」
頬を叩かれてミーシャは目を開けた。自分がどこにいるかすぐに思い出せない。いたる所に火の粉が舞っているが、温度を感じなかった。夢の中にるような浮遊感に身を任せる。
「あねえ……、ごめん、寝てた」
目をしょぼしょぼさせながらミーシャは謝った。
任務中、不注意で何度ジゼルに叱られたか知れない。不思議と、今回ジゼルは怒らず頬を撫でてくれる。やはり夢なのだとミーシャは安堵した。
「熱くありませんか?」
ジゼルはミーシャをいつも以上に気遣ってくれる。ジゼルがやさしい言葉をかけてくれた事は未だかつてないに等しい。これまでジゼルがサーシャにかけるのは小言と説教だけであった。
「よくわかんないよ……、あれ、足が動かない」
「無理することはありませんよ。楽になさい」
ミーシャが下を向こうとすると、妨げるようにジゼルはその大きな体を抱いた。
「あねえ……」
「何ですか」
ミーシャの胸から下の感覚がなくなっている。意識も白い幕がかかったように飛び飛びだ。考えるのも億劫であるが何かを伝えなくてはいけない気がした。
「どうしてあたしを相棒にしてくれたの」
ミーシャは決して優れた冒険者ではない。ランクはCだし目立った功績を上げた経験もない。体力と腕力はあるが、動きは鈍く、暗殺に向かないと組織にクビにされかかった事は一度や二度ではない。
片やジゼルは、A級にして組織のエース。いつ独立してもおかしくない実力を兼ね備えている。ミーシャにとってジゼルは星のようにまばゆい存在だったのだ。
「善行を積みたかったからですよ。こういう仕事をしてますとね、因果を恐れるようになるのです。いつ報い来てもおかしくないでしょう?」
ジゼル以外にも裏家業にいる者は、何らかの信仰にすがっていることが多い。ジゼルに限っては老後に備えて報酬を貯蓄していると常々公言していた。その実、こっそり慈善団体に寄付しており手元にほどんどない残っていない事をミーシャは知っている。
「可哀想な人を助ければ少しは悪行も帳消しになるかと。我ながら浅はかでした」
喜捨は自分のためにするもの。ジゼルの答えはミーシャを力づけた。
「良かったあ……、あたし役に立ってた。あはは」
ミーシャは口をぱくぱくと開いたが、声になっていない。自分の足で立っていられず、ジゼルに寄りかかる体積が増えている。
「あねえ、ありがとう。もういいよ。あたしは大丈夫だから、行って。でないと、あいつが来る」
ジゼルの数メートル背後には鬼道丸がおり、鬼のような形相で大きく両腕を広げた。衣擦れが、烏の羽音のように耳朶を打つ。
「さすが始末屋、思い切りがいいな。気化した燃料に摩擦で火をつけるとはね。でも相手が悪かった。あたしの鬼道丸はそのくらいじゃ堕とせない」
鬼道丸が花菱の声を借りて喋った。
ジゼルは鋭い爪をひらめかせ、果敢に立ち向かったが鬼道丸の体をすり抜けた。鬼道丸の体は周囲の景色にとけ込むように透けている。
「無駄無駄。既に傀儡不尽に入ってるんだ。今の鬼道丸にはどんなスキルも干渉できない」
「え……?」
ジゼルの両腕の肘から下があっけなく切り落とされた。
鬼道丸には二つの機能がある。
冒険者の型を模倣する武芸者の理、そして二つ目がこの傀儡不尽である。
傀儡不尽とは、人形が人形そのものを操る形態である。前提として人形に生命はなく、時間の概念が存在しない。そこに目をつけた花菱は過去や未来の人形に動きを伝達できる方法はないかと考えた。時間の観念に縛られる花菱はもちろん、自立型の人形にもそれは不可能だった。試行錯誤の結果、意志を持たない人形を介すことでしか時間を跳躍する術はないと判明した。
現在の人形が過去の人形に働きかけることで、現在の結果を変えられる。
逆に未来の人形が過去の人形に指示を与えることができれば全知の存在が誕生すると思われる。
今のところ、未来からの指示を受信することはなく、過去のアクションに干渉できるだけだが、それでも十分すぎる脅威だ。
まず鬼道丸が傀儡不尽を発動し、過去の人形に攻撃の指示を出す。その結果、過去の人形が行動したという事実だけが残る。その事実が現在に置換され、突然攻撃したような状態を引き起こせる。ミーシャを襲ったのも、爆破から復活したのも、傀儡不尽のなせる業である。
もはや人形としての形も数も意味をなさない。無形の美。これこそ花菱がたどり着いた人形の極地であった。
「ふふ……」
ジゼルは腕の傷口を滴らせたまま笑い始めた。鬼道丸が忍び寄ってもまるで眼中にないようだ。
「誰かさんに言われましたが、これはこれで悪くない死に方ですよ。我々の力不足は明白。丁度良い頃合いです。お暇しましょう」
戦いの中で生きるしかない獣には、ショータのような未来志向の考えはできない。帰る場所は地獄の業火の中にある。二人とも納得しているから悔いはない。
おあつらえむきに橋は猛火に包まれ、死出の道行きにぴったりだ。
ミーシャの体に寄りかかり、ジゼルは眠りに落ちる時のように瞼を落とした。
「ああ……、暖かい。地獄は存外居心地が悪くないようですわ。それでは皆様、一足お先にごきげんよう」




