12:帰りたくなる時
「おじゃましまーす…」
誰もいないはずの部屋に私の声が、こだまする。
朝から曇りで今にも雨が降りそうな天気だからか、部屋はとても暗い。
「あら、裕司の友達?」
「どひゃあ!!」
後ろから声をかけられて、私は思いっきり叫んでしまった。
バクバクと言う心臓を右手で抑えて振り向くと、耳に青色の線が入っていて、白い柔らかそうな毛色をした、美人さんがいた。
あまりの美人さんに、言葉が出なくなりパクパクと口を動かした。
「どうしたの?」
「い、いえ!」
「裕司の友達?」
「友達というか……え?裕司?誰ですか?」
彼女さんと思われる人がニコニコと笑顔を向けていたが、私の言葉がよほど意外だったのか、青色の目をクリクリとさせた。
「へ?えっと…じゃあ、なんでココに?」
「いや、なんかその…モラノが…しまっ!」
こうなった原因を言いそうで口を両手で塞いだ。
流石に家宅捜索で、私がいたら危ないから、アヒャの家に行けと言われたのは言えない…。
「モラノ?あぁ!モラノ君!ふふふ…。モラノ君ったら…ロリコンだったのね!」
「……」
何か…壮大な勘違いをしていらっしゃるような。
いや、良いけど。
悪い気はしないし。
「でも、裕司を知らないならどうして?」
「あの…アヒャの家に来るように言われて…」
「アヒャ?……裕司また変な名前つかって…」
ついてけない。
つまり…アヒャの本名が裕司って事?
なーんだ。
珍しい名前だと、思いきや裕司かよー。
「えと…あの」
「あ、あぁ。私は小野恵美よろしくね」
「あ、はい。私は…」
本名言ったら…警察に電話されるよね…。
顔を普通に出してるだけでもやばいのに…。
「私は…心です!!」
「心ちゃんか。可愛い名前だね」
よしよしと、私の頭を撫でる。
「あの…恵美さんは、アヒ…裕司さんの彼女さんですか!?」
「……あっははははは!
何言ってんのよー。裕司は、弟よ。弟」
二回目の弟を強調するように言うとケラケラとまた笑った。
まさかの勘違いで頬が熱くなるのがわかった。
「あれ?でも、二人とも成人は越えてますよね?なんで一緒に暮らしてるんですか?」
「うーーん…。理由ねぇ。
裕司意外と優しいのよ。
私、体が生まれつき弱くてねぇ」
恵美さんはリビングのソファーに座ると、隣をポンポンと叩いて座るように指示した。
私は少し遠慮がちに隣に座った。
「裕司にたくさん迷惑かけたから…恩返ししたかったけど…いつも助けてもらっちゃうのよね」
自嘲気味に私に笑いかける。
「小さい頃から体が弱かったから、私が裕司の事…おざなりにさせちゃったのよ。
お母さんとお父さんにたくさん甘えたかったはずなのに…いつも私、タイミング悪く気分悪くなっちゃうから、裕司には悲しい思いしか…させなかったのよ…」
「……」
「裕司もきっと、そんな私の事恨んでるわ。
だから…貴方に私の事言わなかったでしょ?」
「……」
恵美さんの言葉に反応することが出来なかった。
そんな私の様子を見て恵美さんは困ったような顔をした。
「そんな風に思うなら死んだほうが良いって思うでしょう?」
「え?」
「私も思ったの。
でもね、弱かった。
自分で死ぬ勇気すら無かったの。
こんなに迷惑をかけたのに、自分がいなければ良いって何度も思ったのに、自分に傷をつけるのが怖かったの。
臆病者なの」
恵美さんの言葉は、どこか自分に重なる事があった。けれど、恵美さんの境遇と私は全く違う。
「ごめんね。私の事ばかり話して。
心ちゃんも何かあれば聞くよ?」
私は俯いていた顔を挙げた。
苦笑いをする目の恵美さんと目が合う。
「私は!…私は……。
裕司さんは…恵美さんの事恨んでないと思います」
「え?でも…たくさん迷惑を…」
「裕司さんは!恵美さんを信頼しているから、私をココに呼んだんだと思います」
確信はないけれど、私の顔を見ればテレビで流れているから気付くはずなのに、顔を隠すものすら無しにココに呼ぶのは恵美さんを信頼してるからって思う。
恵美さんは、困惑した表情から一変何か吹っ切れたような笑顔を見せて私の頭を撫でる。
「私は何も知らないわ」
「ーーえ?」
「貴方の事私が知ってるはず無いもの」
「…っ私は!」
言葉の途中で恵美さんは、自分の口元に人差し指をつけた。
「分からない方が、面白味があって楽しいでしょ?」
柔らかい笑みを浮かべるとソファーから立ち上がる。
私はそんな恵美さんをぼけっと見ているだけだったが、何と無く意味が分かり、つられるようにニコリと笑った。
「ただいまーっとなー」
がチャリとドアが開く音がする、アヒャが迎えに来てくれたようだ。
私はつくづく誰かのお荷物のようだ。
それを考えると、恵美さんのほうが断然良いのだろうか。
「おぉ。姉貴助かる。じゃあ、こいつ回収するから」
「あ、裕司。外雨でしょ?」
「は?なんでだよ?」
恵美さんは、タオルを取り出すとアヒャの頭を吹き始める。
その姿は本当に姉弟らしい。
「んもー。風邪引くよー?」
「ヒャー…。バカは風邪ひかねぇから平気なんだよ」
「また、そんな事言ってさー」
雨に濡れたからだろうか、気のせいだろうか、アヒャの顔をが何と無く赤くなっているようにみえた。
「おじゃましましたー」
「またね。心ちゃん」
「なんでぇ?心って?」
「しーらないっ!」
傘を差したまま、アヒャを置き去りにして、早歩きで歩く。
数十分歩いて、家が見えたあたりでアヒャと別れた。
雨はドンドン強くなり、外は夜のように真っ暗だった。
傘をたたみ、家から少し離れたところで雨に当たる。
小さい頃からこんな経験が無かったから、とても冷たくて気持ちが良かった。
「雨って気持ちいんだな…」
雨に打たれながら、いろいろな事が頭を巡る。
そうしていると、両目が熱くなっていくのが分かった。
目から零れる大粒の物は、もはや雨なのかなんなのかすら分からなくなっていた。
「……っ……ひっく……っもう……やだ…」
一通り泣き終えると、私は目を向ける拭い、濡れたまま部屋のドアを開けた。
いつから居たのか、それともたまたまなのか、モラノが玄関先にタオルを持っていた。
「…た…ただいま」
泣き声を聞かれたのかと思い、少しだけ目を逸らしながら言ったが、聞かれ事は無かったのか、いつものしかめっ面のまま私の頭を吹き始める。
「バカじゃねぇんだから、土砂降りなら傘させよ。
ま、お嬢様だから雨は新鮮だったかもな」
「…うん!
結構気持ち良かったよ!!」
「はいはい。とりあえず、風呂に入って来いよ」
「はーいっ!」
敬礼のポーズをとり、風呂場へと向かった。
入る際にチラリと見たモラノの顔はどこか寂しそうに見えた。




