赤髪のリズ
薄手のシャツに袖を通して、丈を確認する。
やや大き目のサイズだが、普通に過ごす分には問題ない。
余った袖を巻いて調節していると、扉の奥からおずおずとルシルが顔を出す。
「サイズはどうでしたか? もし良ければ、他の服もお持ちしますが……」
「いや、これで十分だよ。わざわざ替えの服を持ってきて貰っちゃって悪いね」
同じく借り物の上着の袖をヒラヒラと揺らしてみせれば、ルシルは小さな笑みを零してくれた。
さて、何故俺が服を借りることになったのかというと……別段難しい話ではない。
つい先刻ほど着替えるために、身に付けていた学生服をルシルに持ってきてもらった。
だが帰ってきた青春の相棒は、血シミに塗れ、その身を裂かれ……それはそれは無残なお姿であった。
どうしたものかと困り果てていた時、代わりの服を用意してくれたのがルシルだ。
どうもこの家に置かれていた物らしい。
「もしかしてこの服はトニの物なのか?」
サイズからして成人男性用の服だ。
きっとトニの部屋から拝借してきたのだろう……かと思ったが。
「さぁ……? 誰の物なんでしょうね」
予想を大きく外れて、ルシルも一緒になって首を傾げる始末だった。
「誰の物って……ルシルも知らないのか!?」
「は、はい。私がここに来る前から放って置かれていた物なので」
一体それがどうした?……とでも言いたげに、ルシルはますます首を傾かせる。
「確認だけど、ここってルシルの家だよな?」
「……正確には違いますね」
一瞬。間を置いてから、ルシルは答えた。
「ここはヴァルハラ自警団の詰所なんです」
「詰所……?」
つまり、ここは自警団の団員が寝泊まりする場所なのだろうか。
少なくとも、一般的な温かみのある家庭でないことだけはわかった。
「でも、こう言っちゃなんだけど……ルシルが自警団の一員とは思えないな」
「私はあくまで此処の炊事や身の回りのお世話をしているお手伝いさんですよ?」
素っ頓狂な物言いをする俺に、ルシルは可笑しそうに肩を揺らした。
ついでとばかりに少し悪戯めいた面持ちをすると、声の調子を上げる。
「そりゃあ頼りなく見えるかもしれませんけど……ね?」
「い、いや! そういう意味じゃ……」
「ふふっ、冗談ですよ」
わざとらしくそっぽを向いていたルシルは、振り返るやいなやクスクスと笑い続ける。
どうやらすっかり彼女にペースを取られてしまったらしい。
困り果てて頭を掻くが……まぁ、そんなに悪い気分ではなかった。
「ところで、ヴァルハラ自警団ってのはどんな組織なんだ?」
「それは――」
「それは私が説明しよう」
ルシルが口を開くと同時に、高鳴る声。
腰に下げた鞘を揺らしながら、ツカツカと靴を床に打ち付けると――ひとりの女性が目の前に立ちはだかる。
「君がタツキ・カムクラだな?」
「そうだけど……?」
「そんなに警戒しなくても良い。取って食おうという訳ではないからな」
冗談のつもりなのか。皮肉のつもりなのか。
どちらにしても、眉根一つすら動かない仏頂面ではその意図は推し量れなかった。
「ルシル」
不意に。女性は傍でどぎまぎとこちらの様子を窺っていたルシルに顔を向ける。
「後は私に任せて、君は食事の準備をしてくれないか?」
「えっ!? でも、お夕飯にはまだ早いですよ?」
どうやら彼女もまたルシルと顔見知りの様子だ。
その腰やら足やらに纏った物々しい物品の数々から、なんとなく察しはつくが……。
「警備を終えたばかりで疲れていてな……仮眠を取る前に、少し腹に入れたい」
言いながら、チラリとこちらに目を向けると彼女は顎で指し示す。
「それに、彼も飲まず食わずで二日間寝ていたんだ。そろそろ腹が空いてくる頃だろう」
確かに、胃が物足りなさを訴えている気がしないでもない。
だがこれから行われるのは、決してお食事会などという洒落たモノではないだろう。
「わかりました。それでは、また後ほど……」
「ああ、頼んだ」
ペコンと髪を跳ねてお辞儀すると、ルシルは部屋を出ていく。
扉が閉まる直前、見えたルシルの瞳は少し不安げであった。
「さて……ルシルが支度している間、私と話をしないか?」
口で提案しつつ、女性は既に決まり切った様子で椅子に鎮座する。
拒否権は最初からないようだ。
俺も黙って寝台の端に腰を掛けると、女性はその時初めて固く結んだ唇を緩めた。
「私はリズ・ランドグリーズだ」
一度名乗り上げるも、言葉はまだ続く。
「ヴァルハラ自警団の団長補佐をしている。よろしく頼む」
やはりというか、何というべきか。
まさしく予想通りの答えが帰ってきた。
「とりあえず、俺は名乗る必要はないんだよな?」
「ああ、トニから聞いている。君を頼んだのも彼だよ」
そういえば、リズに任せるだなんだと言っていた気がする。
何かと適当そうなトニよりも、こちらの方が真面目でしっかりしていそうだ。
事実。女性と言えども、彼女からは並々ならぬ勇ましさと気高さがある。
碧い瞳は底冷えするほど冷たいのに対して、ひとつに結んだ髪は燃えるほど赤い。
まさにこの手のことには向いていそうだ……尋問とかの。
「色々聞きたそうな顔をしているな」
まじまじと見つめる俺を見透かし、リズは口を歪めてほくそ笑む。
「だが、あいにく私も君に聞きたいことがあるんだ。こちらが先でも構わないか?」
「……どうぞ。こっちは質問内容が多すぎて困っている所だからさ」
「そうか。では、お言葉に甘えるとしよう」
リズは懐に携えた剣を壁に立て掛けた後、じっとこちらを見据える。
一挙一動ひとつたりとも見逃さない。そんな気迫を感じた。
「単刀直入に尋ねるが……君はあの場所で何をしていたんだ?」
「あの場所って……」
「君が倒れていた場所だ。もしや記憶に無いとでも言うのか?」
あくまで感情を籠めず、リズは淡々と問う。
どうやら『あの場所』とは、俺がベルヴィと会った――もとい、化け物と遭った荒野のことだろう。
そして彼女は、あの場所で何を目的に俺が居たのか知りたいようだ。
その質問の重要性がどれほどのものかは分からない。
しかし、下手なことは言わない方が良いだろう。
現に俺の警戒を解かせるために剣を下げたが、彼女自身は常に注意を俺と剣の間に置いている。
取って食われることはないが、取って斬られる可能性は十分にあるのだ。
「覚えはあるよ。全部分かるわけじゃないけど……」
ひとまず正直な言葉で答えることにした。
下手に誤魔化しても無用な不審を得るだけだ、と判断した結果である。
「……妙に引っ掛かる物言いだ」
しかし、第三者のリズからすれば曖昧な答えに過ぎない。
表情は依然として変わらないが、その内心は穏やかではないだろう。
しばしの沈黙の後、リズは唐突に切り口を変えた。
「君が発見された場所は『寄らずの荒野』と呼ばれている」
「……寄らず、か。あんまり和やかな名前じゃないな」
「その通りだ。人どころか虫一匹すら寄りつかない。そこから、この名が付けられたのだ」
至極真面目な顔で薀蓄を語るリズ。
突然何を言い出すかと思ったが……なるほど、意図はなんとなくわかった。
「つまり……その寄らずの荒野に人が居たら、かなり奇妙ってわけか」
「ああ。君みたいに単身で、なおかつ丸腰で散歩出来る場所ではない」
そう言ってリズは頭を振った後、俺の襟元から僅かに覗く包帯に目をやる。
「その理由を、君は身を以て知っているはずだ」
「……ああ。痛いほどね」
むしろ骨が折れるほどと言ってもいい。
どうやらあの場所では、人が襲われても何一つ不思議ではないようだ。
ならば、俺が出会った化け物の正体もリズは知っているに違いない。
早速尋ねようと、口を開きかけた時――
「なぜあんな危険な場所に一人で居たのか。まずはそれに答えて欲しい」
リズの声によって俺の問いは黙殺された。
仕方なく再び口を閉じて、慎重に言葉を選ぶ。
「……わからない」
だが、結局出てきたのはこの一言だけだった。
「わからない? 本当に記憶がないのか」
「いや、記憶喪失とかそんな大袈裟なものじゃない。だけど……気が付いたらあの場所に居たんだ」
仏頂面で構えていたリズもさすがに怪訝な表情を浮かべる。
しかし、何度聞かれたってこれしか答えられない。
なにせ俺がその答えを聞きたいぐらいなのだから。
「元々俺は日本に居たんだ。だけど、突然気絶して……目が醒めたらあの場所に倒れていた」
言いながら、自然と手に力が入って行く。
あまりにも不条理な出来事に怒りが込み上げてくるのだ。
「信じられないかもしれない……けれど、俺が答えられるのはそれだけなんだ」
苦々しい気持ちに顔を歪めながらも、なんとかそれだけ答える。
目の前のリズもまた眉根を寄せて押し黙っていた。
きっと俺の狂言に呆れているのだろう……かと思ったが、次に投げ掛けられた言葉は意外なものだった。
「ニホンとは何だ?」