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メカニカル・シンドローム  作者: とつる
序章 あなたの知らない世界
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冷たいくちづけ

 歩けど歩けど、続く景色は変わらない。

 歩き始めてから一体どれだけの時間が経ったのだろうか。

 身に付けていた腕時計は壊れ、携帯電話も失った今、正確にそれを知る術はない。

 天文知識でもあれば月や星の動きで把握出来たかもしれないが、生憎その手の分野には疎かった。


「はぁ……どこまで歩けば良いのやら」


 見渡す限り岩、砂、岩、砂。

 あまりにも変わり映えのしない景色にうんざりする。

 自分は延々と同じ場所を歩き続けているのではないか、そう錯覚してしまうほどだ。

 まさかフィクションの中に出てくるような終わりのない荒野じゃあるまい。

 だがこうも人影のひとつすら見えない状態が続くと、さすがに不安が押し寄せてくる。


 もしかして俺は遭難しているんじゃないか?


 体は木の棒を付いてやっと歩ける程度。食料も飲み物も一切なし。野外で一夜を過ごせるような道具も無い。

 それに夜闇が深まる度に、肌を撫でる風は冷たくなっていく。

 このまま人に会えなければ、間違いなく――死だ。

 

 不吉な単語に、サァーっと血の気が引いていく。

 慌てて頭を振って不穏な考えを払った後、躍起になって杖を地面に刺さんばかりの勢いで進む。

 出来ることはひたすら西に進むことだけだ。

 その先に何があるかなんて知るか。でも、信じるしかない。

 今の俺にはベルヴィーの言葉だけが動力なのだから。


「……?」


 ふと、遠くで何かが動いた気がした。

 暗がりな上に遠目なため、はっきりとは見えない。

 一瞬、ただの物陰だとも思った。

 だがそれはとても不規則で複雑な動きをしている。

 

 言うなれば、限りなく人に近い動きなのだ。

   

 喜びやら安堵やらで思わず駆け寄りそうになったが――ふと思い止まる。

 確かに人影には似ている。

 しかし、断定するにはまだ早すぎる気がした。


 信じられない話だが、人と獰猛な動物を見間違えたという事件も実際にあるようだ。

 見たところ、あの影は背丈の高い大柄な男を連想させる。

 しかし目の前にしたら、大男ではなく熊でした……なんて事になったら洒落では済まないだろう。


 もし本当に人だとしても、必ずしも柄の良い人間とは限らない。

 こんな人気のない場所なら、なおさら警戒した方が良いだろう。


 息を呑んでじっと蠢く影を観察し、その動きが小さくなったのを頃合いに忍び足で近づく。


 岩陰を縫いながら一足。一足。

 息を殺して一足。一足。

 杖にしていた棒を持ちかえ、剣にする。

 耳障りな水音を怪訝に思いながらも、影から最も近い岩影に身を潜める。

 

 どうやらこちらには、気が付いていない様子だ。

 

 ホッと心の中で胸を撫で下ろしつつ、警戒は怠らない。

 左手を強く握り締め、右手を添える。

 意を決して、身を乗り出せば――


 赫い血だった。


 嫌になるほど目に付く、赤。赤。赤。

 地面はたっぷりその血を飲み干し、岩壁には無残な痕を刻みつけている。

 それを上塗りするように、プシャリ、と鮮血が舞う。

 影が動く度に散る。影が喰らう度に飛び散る。

 

 その時、不意に暴虐の腕から何かが転がり落ちた。


 釣られて視線を寄せれば、細くて長い棒のようなもの。

 目を凝らしてもう一度見遣ると、見間違えようがない。


 千切れた人の足だ。


 人が人を喰っている。

 気付いた瞬間、恐ろしいほどの戦慄が背筋を走った。

 体は震え、焦点が上手く定まらない。

 

 どうする? 助ける!?


 一瞬。そんな考えが頭を過るが、あの血の量だ。到底生きているとは思えない。

 その上、相手は人の倫理を超えるひとでなしだ。どう考えたって俺の手には負えるはずがない。


 ここは……逃げるしかないのだ。


 強く奥歯を噛みしめながらも覚束ない足を叱咤し、その場を後にする。

 しかし。まるで引き止めるかのように、生温い感触が頬に当たった。

 片手で拭い、恐る恐る手の平を開けば――真っ赤な血が目に焼き付く。


「ッ!!!!」


 思わず息を吸い込んでしまった。

 その音に気付いたのか、後ろから異様な視線を感じる。

 新しい餌を見つけた獣の目だ。


「――クソッ!!」


 考えるよりも先に足が出ていた。

 さっきまでの疲労感が、まるで嘘のようにがむしゃらに走った。


 捕まれない。捕まるわけにはいかない。

 死ねない。死ぬわけにはいかない。


 呼吸が乱れようが構わず走り続ける。

 だが、砂が足に纏わりついて思うように進まない。

 焦る俺とは裏腹に、後ろからは凄まじい気配が押し迫ってくる。

 このまま逃げてるだけじゃ、捕まるのも時間の問題だ。


「――しつッこいんだよ!!!」


 右足を砂の中に突っ込み、振り向きざまに蹴り飛ばす。

 派手に飛び散った砂は、見事男の顔に命中した。

 これでしばらく時間は稼げるはず。

 そう高をくくったが、男はまるで動じた様子を見せない。

 目が潰れてもおかしくないはずなのに、男は的確にこちらを捉えて拳を振り上げる。


「ッ!?」

 

 男の反撃を横飛びでかわすも、砂に足を取られてバランスを崩す。

 受け身も取ろうにも取れない。

 男と距離を離すためには、勢いに任せて転がるしかなかった。


「一筋縄にはいかない……か」


 口に入った砂を唾と一緒に吐き捨て、立ち上がる。

 また何か仕掛けてくるかもしれない。

 男の一挙一足に注意しつつ、間合いを計って対峙する。


 力に自信があるみたいだが、動きは遅い。

 

 足場が砂でやりにくいものの、集中すれば活路は見い出せるはずだ。

 だが、何か違和感を感じる。この男から。

 いや、むしろ……何も感じられない。緊張も、感情も、息遣いも。


 一向に距離を縮めさせない俺に焦れたのか。

 男は唸り声を上げて、なんの技巧も無く飛びかかってきた。

 下手をすれば、ただの体当たり。 

 まさに獣そのものと言っても間違いはない。

 その狂乱じみた姿に一種の恐怖さえ湧き上がる。


 だが、それは好都合だった。


 男をぎりぎりまで引き寄せ、左へ飛び込む。

 同時に地を揺らさんばかりの鈍い音が轟いた。

 振り返れば、大岩に凭れかかかるように大男が倒れ伏している。

 

 岩石に頭を打ちつけて自滅したのだ。

 

 こんな暗闇で、なおかつ俺の背後に隠れていたんじゃ、岩に気が付かなくても仕方がない。

 その上、足場は滑りやすい乾いた砂。

 気付いたところで飛び込んだ勢いは殺せない。そのまま直行コースだ。


「……はぁ、はぁ」


 忘れかけていた呼吸が戻ってくる。緊張が一気に体から抜けていく。

 思わずへたりこんでしまいそうになったが、ぐっと堪えて立ち上がる。

 まだ油断はできない、一刻も早くこの場から立ち去らなければ。

 

 男に背を向け、足を踏み出した時――びしり、と割れる音がした。


 振りかえると同時に、視界が真横にずれる。

 頭が理解するよりも先に、身体は宙を浮いて吹き飛んだ。

 

「ぐぁッ!!!?」


 地面を擦り上げ、何度も転がり回って、ようやく勢いが止まる。

 激しい痛みに口端から呻き声が漏れる。

 急激な熱を訴える脇腹を震える手で押さえ……確信する。

 

 肋骨がイカれた。

 

 それも一本や二本どころの騒ぎじゃない。

 医学的な根拠はないが、武道をやっていれば骨折なんて珍しいものじゃない。

 経験がそう物語っていたのだ。そして、本能が警鐘を鳴らした。


「ガハッッ!!!!!」


 首を襲う衝撃に、一瞬息が詰まる。

 もがいて抵抗するも、首に掛けられた手は恐ろしいほど強い。

 締め上げられる度に、ひゅッと短い声が漏れた。

 

 馬乗りしてるのは、誰なんだ?

 この手の主は、誰なんだ?


 ぐらつく視界をなんとか定めて見上げれば――頭から赫い液体を滴らせる男。

 その顔は、機械。裂けた肌から鈍色が露出していた。

 ぎょろりと動く眼球に生気はなく、口からだらしなく舌を垂らしている。


 人でなしなんかじゃない。

 そもそもこいつは、人じゃなかったんだ!


 気が付けば、全身の毛が逆立ち、手先が震え始める。

 それをお構いなしとばかりに、首に掛けられた手は一層強まっていく。

 子兎の息の根を止めるようにゆっくり、ゆっくり……

 

 そして、抵抗が収まった時。

 機械の男は大口を開ける。

 不揃いな歯が月明かりにギラギラと輝く。


 お待ちかねのディナーだ。

 

 そう言わん気に、喉笛に向けてかぶりつく。





「……んぎゃアアアアアアァァァァァァッッッ!!!!!!!!」





 夜闇に断末魔が響き渡る。

 悶え、苦しむ――機械の男に向けて俺は笑う。

 

「……へ、へへ…ざまぁミロ」


 そのまま力ある限り、引き抜く。

 男の喉深くまで突き刺した枯れ木の枝を。


「ギぃやあああああァァァァァアアアアアアアア!!!!!!!!!!」


 男が叫ぶと同時に、血飛沫が噴水のごとく噴き出す。

 ビシャリ、ビシャリ、と血が顔を濡らす度に、俺は渇いた笑い声を上げた。

 

 ついに、息絶えたのか。

 男は崩れるように倒れると、二度と動かなかった。

 起き上ることが出来ない俺は、呆然とそれを横目に眺めるだけだ。


 今、自分は安堵しているのか。悲しんでいるのか。


 わからないけれど、無性に眠たくなった。眠りにつきたかった。

 瞼が重くなるのを合図に、目を閉じる――しかし、夢を見るのはまだ早いらしい。


「ずいぶん苦戦したみたいね、タツキ」


 鈴を鳴らす無邪気な声。

 月を背にして、黒衣の少女が顔を覗き込む。


「見た感じ、まだ不安定みたいね。んー…抵抗が強いのかしら?」


 整った眉を顰めつつ、額を指で叩いてベルヴィは悩まし気に唸る。


「あんまり私のをあげ過ぎると困るのよね……そうだ!」


 突然、両手を叩くとベルヴィーはニコニコと微笑む。

 そして何の躊躇いもなく機械男の亡骸に近づき、膝をつく。

 

「こいつを使えば良いのよ」


 愛くるしい笑みとは打って変わり、歪んだ笑みを浮かべるベルヴィー。

 流れる血がその白い肌を汚しても、気にする素振りを見せない。

 より一層男に顔を近づけ、首元に口を寄せると――牙を突き立てた。


「んっ……ふっ……」


 水音を立てて、ベルヴィーは懸命に何かを吸い上げている。

 考えたくはない。

 だがベルヴィーの口端から零れているモノは、紛れもなく赫かった。


「…っ……ふぅ…下品な味ね」


 口を離して息を吐くと、ベルヴィーは唇を軽く舐める。

 

「それじゃあ、次はタツキね」

「ッ……なに、する気だよ……?」


「怖がらなくてもいいわよ。あなた、このまま放っておいたら死ぬわよ?」


 乱れた髪を手で撫でつけながら、ゆっくりベルヴィーはこちらに歩み寄る。

 仰向けに倒れる俺の身体を跨ぐと、顔を寄せて囁く。

 

「ちゃんと飲んでね」


 慈しむように俺の胸を撫で、首を撫で、頬に触れ――


「ッ!!?」


 唇と唇を合わしてきた。触れる感触は柔らかい。

 だが、あまりにも冷たい口付けだった。


「……ウッ!?」


 ガリッと何かを噛み千切る音。

 同時に、生温い液体が口の中に流し込まれる。

 水状のソレはこちらの意志に反して、難なく喉元をすり抜けていく。

 その度に錆びた臭いが鼻を突き刺し、否応でも体は拒絶を起こした。


 だが抵抗を許さないとばかりに、ベルヴィーは一層口付けを深めてくる。

 突き飛ばしたくても、もう体は動かない。

 もはや俺に残された選択肢は、享受することだけだった。


「んっ……吐いちゃ駄目よ。そのまま寝転がっていてね」


 言い付けるように、唇に押し当ててくる指先。

 俺の口端から零れた液を拭い取ると、ベルヴィーはペロリと自分の指を舐めた。

 

「これで回復も早くなるはずよ。心配しなくても死ぬことはないから」


 意味深な言葉を添えつつ、立ち上がっては遠くを見つめる。


「それに……騒ぎを聞きつけて人が近づいてきてる」

「……ひ、と?」

「そう。でも、私は彼らの前には出られないから……しばらくお別れね」


 そう言って、ベルヴィーは小さく手を振るう。

 浮かべる笑みは、どこか寂しげだった。


「ッ……まって、待って…くれ。俺はまだ聞きたいことが……」

「大丈夫よ。言ったじゃない、傍に付いてるって」


 次第に目が霞んで、少女の姿がぼやけ始める。

 周りの音も徐々に消え失せ、世界が閉じ始めていく。

 薄れゆく意識の中、微かにベルヴィーの声がした。


「力が必要な時は現れるわ、必ずね」


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