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メカニカル・シンドローム  作者: とつる
二章 エゴ
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小さな淑女

 あれから一週間。

 特に何かが起きるわけでもなく、平凡な日々が続いていく。

 ベルヴィーもあの日以降消息を絶ち、再び姿を現すことはなかった。

 そのおかげかはわからないが、嵐が過ぎ去ったようにここ最近は平和そのものだ。

 

 起きて、食べて、仕事をして寝る。


 最初こそ慣れない環境や仕事に戸惑うこともあったが、今やすっかりそんな生活も板に付く。

 詰所の従業員として、俺はなんの変哲もない日々を過ごしていた。

 このままコレが自分の人生なのだと受け入れられれば、幸せかもしれない。

 けれど、胸に空いた穴は一向に塞がる気配はなかった。


「……!」

 

 ふとした拍子に、丸い筆がコロリと机の上を転がっていく。

 慌てて筆の進行方向に合わせて手の壁を作るが、その必要は無かった。

 筆はピタリと手前で止まると、嘲笑うように前後に揺れる。

 なんてふてぶてしい奴だ。

 微かな苛立ちを覚えながらも筆を手に取り、懐に仕舞う。

 そして机に広げられた筆記帳を一通り眺めた後、静かに閉じた。


 今日はこれぐらい書いておけば良いだろう。


 深緑色の表紙を軽く撫でながら、大きく息を吐く。

 最近始めた日記だ。

 何か手がかりになればと思い、起きた出来事や浮かんだ疑問を毎日記すことにしている。

 だが現段階では、これといった成果は見込めない。

 せいぜい書くことと言えば、畑を耕しただ村人に挨拶しただと他愛無いことばかりだ。

 性に合わない作業にほとほと嫌気がさし始めてきた頃だが、記録しておくに越したことはないだろう。

 もしかしたら、当時気付かなかった重大な事実がわかる可能性だってある。

 だが可能性はあくまで可能性だ。


「もうこんな時間か……」


 ルシルと出掛けた際に購入した置時計を見遣りながら、何気なく呟く。

 午後十時。窓の外は黒一色だ。

 明日に備えて早めに寝ようかとも思ったが、頭を振る。

 どうせすぐ眠ることは出来ない。横になっても、ただただ時間を浪費するだけだ。

 何故ならここ最近の日課は、日記を記すことだけじゃない。

 

 『機人を殺して』


 この言葉に頭を抱えることもまた日課のひとつだった。

 結局俺は、あの日から答えが出せずにいる。


 自分の手を血に染めてまで元に戻りたいのか。はたまたこの世界で平凡に一生を終えるのか。


 このたった二つの選択肢に俺は苦しみ、思い悩み続けている。

 何も考えたくなくても、毛布を被って瞼を閉じても、脳裏に焼き付いて離れない。

 言葉が無邪気な少女の声となって、繰り返し繰り返し再生される。

 悪夢のような妄想に、俺は眠れない夜を過ごしていた。

 もはや体の限界も近い。そろそろ結論を出さねばならない。

 

 けれど本当にベルヴィーの思うがままに従うしかないのだろうか。

 

 方法はもう無い、と彼女は断言していた。

 しかしそれは何も知らない俺にだからこそ吐ける方便なのではないか。

 重大な事実を隠している可能性だってあり得る。

 そう思うことで俺はなんとか不安定な自我を保つ――それが逃げであると十二分に承知しながら。


「……インクが切れてる」


 ふと、インク瓶の蓋を閉じた時に気付く。

 まだ微かに残っているものの、少し使えば底が尽きてしまいそうだ。

 明日の朝にでも補充しようかと思ったが、どうせ眠れないのだ。今の内にしておこう。

 

 思い立つや、机に手を付いて立ち上がる。

 やや薬品臭い匂いを払うために窓を開ければ、涼しい夜風が部屋に入り込む。

 頬を撫でる風に少し目を細めた後、そっと部屋を後にした。


××××× 


「……無い」


 倉庫の中をくまなく探せど探せど、お目当ての品は一向に見つからない。

 俺の記憶が正しければ、ここにインクの予備があるはずだ。

 だが手当たり次第に探ってみても、出てくるのは紙、石鹸、保存食、毛布……とそんな物ばかりだった。

 どうやらここにもインクはないらしい。これ以上探しても、倉庫の中を散らかすだけだろう。

 仕方なく諦めた俺は、服を手で払いながら立ち上がる。

 舞った埃に鼻をむず痒くしながらも踵を返せば、扉の先から注がれる視線に気付く。

 丸く縁取られた琥珀色の双眸。

 俺と目が合うなり、眩いほど瞳を輝かせる。


「なにかお困り?」


 若干鼻息を荒くさせながら、一人の少女が声を掛けてきた。

 扉の端を小さな両手でひしっと掴み、まるで覗き込むように顔を出す。

 その様は、動物園の檻の中を間近で見ようとする子供のようでもあった。


「えーっと、インクを探してるんだけど……」


 後ろ足を引いてたじろぎながらも、なんとか少女の問いに答える。

 異様な眼差しに、なんだか見世物になった気分で落ち着かない。

 そんな俺の気も知ってか知らずか、少女は破顔するとなんの躊躇いもなく手招きする。


「だったら私の部屋に来なさいよ。インクぐらいなら、いくらでも貸してあげるわ」


 幼い外見に似合わず、やけに大人びた物言いをする少女。

 俺の警戒心を解こうと懸命に笑顔を作るが、時間が経つにつれてその眉尻は下がっていく。


「あれぇ? なんでそんなに身構えるかなぁ……あっ、そっか!」


 手の平に拳を叩いて納得のポーズ。やけに古臭いリアクションだ。


「顔を合わせるのは、これで初めてだったかもね。一応確認なんだけど……あなた、タツキ君で間違いないでしょ?」


「ああ、間違いはないけど……」


 恐々と首肯すれば、途端に少女の眼鏡が光る。

 ついには口を歪めて怪しげな笑みさえも落とし始めた。


「おっと、いけないいけない。最初は自己紹介よね!」


 数歩どころか十歩ほど後ずさる俺に気付くと、少女は慌てて繕う。

 一瞬口から涎を垂らした気がするが……目の錯覚だと言い聞かせることにした。

 少女は一度大きく咳払いをすると、居住まいを正す。


「私はナタリー・アルヴィト。ここの自警団の一員よ……と言っても、実戦には出ない事務仕事が主なんだけどね」


 眼鏡を指先で押し上げると、ナタリーと名乗った少女はにこやかに微笑む。


「あなたの噂はよく聞いてるわ。いつか会ってみたいと思ってたの」

「はあ、そりゃどうも。でも自警団には、君みたいな子供も居るんだな……」


 てっきりルシルが最年少だと思っていたが、上には上が居たようだ。

 一部の挙動を除けば、ナタリーの言動は非常に大人びている。だがその外見は幼く、大体十三、四歳ぐらいだろう。

 こんな子供でも立派に勤めを果たしているのだから、大したものだ。

 しかし俺が深く感心している一方で、ナタリーは目を見開いて頓狂な声を上げる。


「子供!? あー、そっか……やっぱりそう見える?」


 そう呟きながら、ナタリーは困った様子で頬を掻く。

 けれども、その表情は満更でもなさそうに緩んでいた。


「確かによく子供に間違われるけど、私はこれでも立派なレディよ」

「ええっ!? じゃあ、今いくつ――」

「レディに年齢を訊ねるのはマナー違反って教わらなかった?」


 合わせた両手に頬をくっつけながら、にこりと微笑むナタリー。

 その笑顔の裏に潜む邪悪な気配を察知した俺は、咄嗟に舌先を引っ込めた。


「ええと、それで何だったかしら……ああ、そうそう! インクを探してるんでしょ?」

「はい、そうです!」


 思わず敬語で返事をすれば、ナタリーは目を白黒させる。

 小首を傾げながらも「まぁいっか」と一笑すると、爪先を変えた。


「私の部屋はこの倉庫の隣なの。だから、誰かが倉庫で探し物をしてたら音で分かるのよね」

「ああ、なるほど……ということは、もしかしてうるさかったか? それなら悪い」

「ううん、良いのよ。おかげで、なかなか機会がなかったあなたにも会うことが出来たし。それに――」


 一旦言葉を区切ると、ナタリーは口に手を当ててほくそ笑む。


「これからたっぷり楽しませてもらうしね」


 不穏な言葉に思わず間の抜けた声で聞き返すも、ナタリーは素知らぬ顔で鼻歌を歌い出す。

 そして細い足を陽気に蹴り、薄茶色の髪を上機嫌に跳ねさせる。

 なんだかものすごく嫌な予感がするが、渋々俺もその後に続いた。

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