大ネズミ
大ネズミは地面を掻きながら注意深くこちらを観察している。
と、イリオスとシグが視線を交わし、頷き合う。
次の瞬間、二人は別々の方向に飛び出す。正面を受け持つのはイリオス。側面を狙うのがシグだ。
意図を察したコミティスも目を狙ってその動きを援護する。
首や背には矢が通らなかったが、流石に目には攻撃が通るだろうと思ってのこと。
そしてその考えは正しく、大ネズミは明らかに目への射撃を嫌がる。
とその時、大ネズミの注意の壁を突破したシグが脇腹を刺した。
「ヂヂィ!」
腹を刺されて暴れる大ネズミ。シグは即座に後ろに下がる。
と、大ネズミが大きく息を吸う。狙いは……イリオスのいる正面。
ディーンは咄嗟にブレスを吹き散らそうとする。しかし少し遅かった。
「うわっ!」
イリオスも避けようとはしたが間に合わず、ブレスを吸ったことで足がもつれて転んでしまう。
もちろんそこを見逃すような相手ではない。
「ヂヂ!」
大ネズミはイリオスにのしかかると、イリオスの首に噛みつこうとする。
「くそっ!」
イリオスは剣を突き出すも……ブレスの影響で狂った身体は狙った場所への攻撃ができない。
イリオスの悲鳴が上がる。
何とか身体をよじり首に噛みつかれるのは避けたが、左肩に大ネズミの牙が突き刺さっていた。
「イリオス!」
「っ!」
ディーンとシグが、イリオスを助けようと大ネズミに斬りかかる。大ネズミはイリオスの上から飛び退く。
と、そこに一本の矢が飛ぶ。それは大ネズミの左前脚を撃ち抜いた。
大ネズミは悲鳴を上げてさらに後ずさる。
「くっそ……」
「イリオス、オレの肩を使え!」
ディーンは負傷したイリオスを前線から下げるために肩を貸す。
シグとコミティスはそれぞれ大ネズミに追撃を仕掛ける。討ち取るためではなく、撤退をサポートするための牽制の一撃だ。
大ネズミは苛立たしげだが、左前脚の負傷でうまく動けないためイリオスとディーンの撤退を見送らざるをえない。
撤退に成功したところで、ディーンは一足早く下がっていたリラにイリオスを引き渡す。
「リラ、イリオスを頼む」
「はい!」
「悪い……」
が、一息ついた瞬間だった。
「リラ!」
シグが切迫した声でリラの名前を呼ぶ。
その言葉にディーンとリラが大ネズミの視線の先を見ると、コミティスが倒れ込んでいた。そこに大ネズミが攻撃をしようとしている。
「っ!」
コミティスは直撃するよりはずっとマシと判断し、筋力強化魔法を使う。地面を蹴った反動でコミティスの身体が吹き飛ぶ。
「コミティスがブレスを食らった!」
シグの説明でリラは慌てて治癒魔法をコミティスに向かって放つ。
壁に身体を打ち付けたコミティスだが、動くのに障りは無さそうだ。すぐに戦線に戻る。
もちろんディーンも、急ぎそれに続く。
大ネズミは左前脚の負傷で明確に動きが悪くなっている。
しかし、決定的な一撃は与えられない。
イリオスが欠けたこともあるが、それ以上に壁を背にされているのが厄介だった。後ろが詰まっているので、人数を活かしにくい。
大ネズミの右手がシグに伸びる。ちょうど斬り込んだ直後で体勢が悪かったものの、彼は咄嗟にバックラーを突きだして捕まれるのを回避した。バキッと音がして、木板に革を張ったバックラーが割れる。
一方、ブレス攻撃を何度となく防いできたディーンは、頭の奥に鈍い痛みを感じ始めていた。魔力の限界が近い。
――まずいな、これは……
コミティスの矢は無限にあるわけではない。シグだって、疲労が溜まってきているはずだ。
膠着状態となった戦場で、ディーンは判断を迫られていた。
と、その時だった。
「みなさん、イリオスが戻ります!」
リラの声にディーンは一瞬だけ視線を飛ばす。
「もう大丈夫なのか?」
隣に並んだ幼馴染にディーンは声をかける。
「おう! ……あんまり力、入んないけどな」
それはつまり、噛みつかれた左肩から先……左腕に力が入りにくいということだろう。
イリオスは両手でしっかりと力を込めて剣を振るスタイルだ。利き腕ではないとはいえ、負傷したのは厳しい。見ていると確かに剣の振りが鈍い。
ディーンは剣を振りながら考える。そして決断する。
「攻勢に出る! 失敗したら撤退だ! リラ! 痺れ煙玉を使え!」
痺れ煙玉は高価な道具であるが、出し惜しみをしている場合ではない。
唯一の出口は大ネズミの背中側にある。ここで攻めきれないのなら「被害覚悟」での撤退になるだろう。
「五! 四!」
ディーンはカウントを始める。イリオスとシグと視線が合う。頷き合う。
「三! 二!」
一の合図は無い。イリオス、ディーン、シグは同時に後退し、それと入れ違いになるようにリラが投げた煙玉が飛ぶ。
煙玉から毒煙が吹き出し、大ネズミを覆う。
数秒後、ディーンは頭痛を押して煙を吹き散らす。
大ネズミは痙攣し、地面に伏していた。
「前衛、目を狙え!」
ディーンが指示をして、前衛の三人は一斉に大ネズミの目を狙う。
「ヂギッ……!」
動きが鈍いながらも大ネズミは暴れる。
振り回した爪でディーンの胸当てが裂かれ、力任せに振られた腕にシグが吹き飛ばされる。左腕を庇いながら戦うイリオスも、決定打は与えられない。
ダメかと思った時だった。
風切り音が戦場を裂く。コミティスの一矢が大ネズミの右肩に突き刺さっていた。大ネズミの気がそれる。
――今だ!
ディーンは剣を突き出す。その一撃は狙い通りに大ネズミの左目を捉え、大ネズミは悲鳴を上げる。
「りゃあああ!」
イリオスが吠える。渾身の力を込めて剣を振る。その一撃は大ネズミの首を深々と裂いた。
「ヂヂッ、ヂ……」
決め手の一撃が入ったところで、イリオスとディーンは距離を取る。
全員が油断無く大ネズミを睨む。
その動きはみるみる弱々しくなっていき、やがて完全に止まった。
大ネズミが動きを止めて一分、二分……
緊張の糸を最初に切らしたのはシグだった。
「…………」
ガシャンと音を立てて剣が落ちる。続けて本人も地面に座り込んだ。
そしてそれに続くように他のメンバーも一斉に座り込む。
「お、終わったあ……」
イリオスに至っては大の字になってその場に寝転ぶほどだった。隙だらけだが誰もそれを注意しない。否、できない。
「…………」
少しの間沈黙が続いた後、リラが杖を手に立ち上がる。
「みなさん、怪我があれば言ってください。わたし、治しますから」
リラだけが動き回る中、それぞれが勝利の余韻を噛みしめる。
だが、感情的になる余裕は誰にも無かった。




