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12.求婚 [前]


 前代未聞の『求婚』が起きる、およそ一週間前の話である。


 十分な休息を取ったフローティアは、ユラのため〝過去の冥府〟を複製すると決めた。

 冥府に在りながら、その中に更に冥府を作成するだなんて妙な話ではある。

 だが、美しく神秘的な過去の冥府は、記憶で見ただけのフローティアにも十分な感動をもたらした。

 複製には十分すぎるほどの『思い入れ』だ。


 記憶で見た素晴らしい情景を思い浮かべながら複製を終えたフローティアは、宙を浮かぶランタンの灯りを見上げながら、やや不安気に呟いた。


「上手く出来たかしら……」


 冥府に来てから、ユラには身の回りの世話で何もかも助けられている。そんな彼女の希望の場所であれば、感謝を込めて素敵なものに仕上げたい。

 複製の再現度に不安に覚えたフローティアは、ユラに見せる前に誰か冥府に詳しい者に確認してもらわなければ、と考えた。


 この世でもっとも冥府に詳しかろう存在――リヴィメラは常に彼女の側にいるのだが、フローティアとしては彼以外を頼りたいところだった。リヴィメラの感性は、肝心な時に独特が過ぎる。

 よって、複製の確認にはリヴィメラの他に、ニンアが立ち会った。


 繊細な造りの美しい城と、それを囲む幻想的な輝きの湖。

 宙を舞うように浮かぶ冥異水晶に似た輝きのランタンを見上げたニンアは、感激を示すように明るく弾んだ声で告げた。


「なんと! 素晴らしい! かつてのユーラメイアの城ではありませんか! 彼女の兎もきっと喜ぶことでしょう!」

「既に心惹かれているようですよ」


 リヴィメラの言葉につられて目をやれば、冥異水晶の合間から現れた何匹かの兎が、興味深そうに城へ渡る橋へと近づいていた。

 ひくひくと鼻を動かし、少しの警戒を込めて嗅ぎ回った兎たちが、やがて城へと駆けていく。

 喜びを示すように跳ね回る彼らを見つめながら、フローティアは確信をもって呟いた。


「……ユラさんは、以前はお城の主だったのね」

「ええ。王の一人でもありました。彼女は人に仕える方が好きだったようで、すぐに退位しましたが」

「そう」


 リヴィメラの言葉に、フローティアは一度、ゆっくりと瞬きをする。


 ユラは以前、好きでこの仕事をしている、と話していた。

 その言葉が示す選択は、フローティアにとっては素晴らしいものだった。

 己が好む道を選び、その仕事に誇りを持つのは素敵なことだ。


 フローティアも、是非ともそう在りたいものだった。

 公爵令嬢としての生まれを、王妃となる道を好きになろうとした。己を磨き、誇りある自分であろうと努力した。そうした自分を受け入れてほしい、と心から願っていた。

 それら全てが無駄に終わった――かに思えたが、フローティアが積み重ねてきた全てが繋がり、今の自分はこの場所に立っている。


 冥府の使徒の役に立ちたい、と望み、彼らにもそれを望まれている。王妃という立場で皆に尽くそうとするフローティアを、此処では誰も拒絶しない。忌み嫌うこともない。

 冥府は楽しいところですよ、とリヴィメラは言った。それは彼からすれば事実であり、そして、フローティアにとっても同じようになった。


 いずれ役目を終え、新たな王が生まれた際には、フローティアは冥府の王妃という立場を下りるだろう。

 リヴィメラの友人へと戻るために。新たな自身の望みを探すために。


 だが、己が本当に望むものとはなんだろうか?

 フローティアは自問する。


 意味の無い自問であるようにも思う。答えは既に出ているのではないか、とも。


「懐かしいですね。よく、あの庭園で茶会を開いたものです。彼女は今と変わらず、紅茶を淹れるのが上手でした」


 宙に浮かぶランタンの一つを気まぐれに突くリヴィメラは、心の底から懐かしむように呟いた。かしゃん、と硬質な音を立て、ランタンが逃げるように距離を取る。

 リヴィメラから見ても、この城は記憶にあるものと違わない出来のようだ。ニンアにもお墨付きを貰った。ユラにも喜んでもらえるだろうか。


 フローティアは浮き立った気持ちで彼女に城をお披露目し、そして――言葉もなく涙を零したユラに慌てて駆け寄った。


「ユ、ユラさん……!?」

「も、申し訳ありません……お見苦しいところを」

「いえ、いいのよ。構わないわ。複製に何か不手際でもあったかしら……」

「まさか! 素晴らしい、思い出のままの光景で……まるで奇跡のようです」


 ユラは幾度も感謝の言葉を口にした。感動のあまり震えているらしい彼女の肩を支えながら、フローティアはそっと微笑む。

 それは、身の内から溢れ出した喜びがそのままに溢れ出したような笑みだった。自分のしたことで喜んでもらえるというのは、こうも嬉しいものなのか。


 ありがとうございます、と告げるユラに、フローティアは微笑みと共に、むしろ己が感謝すべきだと、同じように礼の言葉を口にした。


     ****


 そうしてこれまで以上に意欲的に、幸せそうに職務に励んでいたユラだが。

 一週間後、彼女の機嫌はかつてない程に急落し、その瞳は目が合うもの全てを凍らせる勢いで冷え切る事態となった。


 フローティアを『女神ティア』と称する、求婚の知らせが届いたためである。


 『サライダール国第三王子カルトスは、慈愛の女神ティア様との婚姻を望む』

 

 冥府に届いた美辞麗句の並べられた書状を簡潔にまとめるのであれば、内容は上記の通りだった。

 書状――とは言ったが、厳密に言えば祈りを通して送られてきた意思を、冥府の側で文章に起こしたものである。


 ユラにとっては、冥府の王妃の目に触れさせるのも悍ましい品なのだろう。今にも握り潰して破棄してしまいそうな顔をしていた彼女だったが、フローティアが詳細を確認したいと述べると、苦渋の限りを味わったような表情と共にそれを広げて見せてくれた。


 フローティアの予測では、それには呪術的な意味合いや、精霊契約の観点での要望が組み込まれている筈だった。そうでもなければ、見も知らぬ女神に婚姻を申し込む意味などない、というのが彼女の常識による予想である。

 しかし、どのような形式を取っていようと、フローティアの目で見てもそれが婚姻の申し込みであることに変わりはなかった。


 いつの間にかやってきたリヴィメラがしばらく覗き込んでいたが、特に字面以上の意味合いは持たず、呪いの一種でもないと断言されてしまった。


「サライダール国では、『女神』に求婚をするのは一般的なのかしら……何か儀礼的なものだとか……」


 それでも表面上の意味合い以上のものを読み取ろうとするフローティアに、ユラはいつもの生真面目な顔を殊更に渋いものにしながら、苦々しい声を隠しきれないままに答えた。


「サライダール国で『女神』と婚約を結んだ事例は過去にありませんし、儀式的な慣習も存在しません。ましてや、冥府の王妃に求婚するなど、いかに神に愛されし土地で神子の血を引く王族であるといえど、無礼が過ぎます」

「そうなのね。私はあの時、陛下には王妃とは名乗らなかったから、何か思い違いがあるのかもしれないわ」


 サライダールの文化や特産品についてはフローティアも頭に入れている。だが、異文化の生活に根ざした感覚を理解しきるのは難しいものだ。


 自然神を信仰し、そのお告げを重視するサライダールにおいては、人ならざるものとは心理的距離も物理的距離も他国よりも近しいとは聞いている。

 何より、フローティアはイョンの村の一件で、その姿を現して国王と言葉まで交わした。

 神と関わりを持てる手があるのならば婚姻すらもその手段にするというのは、女神の威光を取り入れ、継承権の争いにおいて優位性を示したいとの思惑もあるのかもしれない。


「どのような目的であっても、私に協力できることはないでしょうね。念のため、お断りの連絡を入れるべきかしら」

「まさか! フローティア様がこのような無礼者に手間を掛けるなど、返事の一つでもあっても必要などございません。以降は王妃様の目には映らぬように配慮いたします」


 ユラはきっぱりと切り捨てた。ついでに書面も破り捨てた。


 だがしかし。

 熱烈な恋文を綴る祈りはそれから一月もの間、届き続けた。


「困ったわ……きっと、女神の後ろ盾を必要とするような立場の方なのね」


 フローティアは並べ立てられる求婚の文句を眺めながら、頬に手を当て小さく呟いた。その声には、心からの困惑と同情が滲んでいる。

 彼女には、まさか自分が本当に婚姻を求められている、などという考えは微塵もない。


 それはそうだろう。彼女の婚約者は立場のために用意されたものに過ぎないし、現世で彼女に個人的な感情を持って言い寄る存在など皆無だった。

 フローティアには恋愛における感情の機微など、縁遠いものでしかない。人生で最も愛を囁いてきた存在は、それこそ、機微より遠く離れた根源たるものであるし。


「冥府は神的な領域であるが故に、祈り自体は無視できないのよね?」


 フローティアはしばし悩んだ後、リヴィメラへと確認を取った。

 この城に来てからしばらく、フローティアは許された時間のほとんどを使って冥府に関する書物を読み漁っている。

 冥府の風習について記したこれもまた、いずれは虚無に消えてしまうものでしかないが、なんでも、製本を生き甲斐とする使徒がいるのだそうだ。


「ええ。召喚の要請は術者の実力によって跳ね除けられますが、祈りの形であれば常に届きます」

「正式にお断りを入れなければ、この先も対応する方が困ってしまうというわけね」


 やはりフローティア自ら赴いて、この祈りは聞き届けられない、と告げるべきなのだろう。


 祈りを受け取る役割の者は、フィルティという細身の女性使徒である。彼女は、日頃冥府に送られる祈り——つまりは、往々にして〝呪詛〟と評される激情の類いを好む性質があり、冥府に向けられる機会はめったに無い、熱い求婚のメッセージにほとほと嫌気が差しているのだった。

 たとえるならば、食べたくもない甘味を無理やり口に押し込まれ続けているようなものである。


 聞いたところによると、祈り自体はリヴィメラにもどうにもならない現象のようだ。

 仮に、祈りを届ける者を直接片付けてしまえばどうにでもなったかもしれないが、フローティアから見れば、それはどう見たって、どうかしている解決法である。


 日々疲弊していくフィルティのためにも、憤慨し続けるユラのためにも、祈りを控えてもらう必要があるだろう。

 そういう訳で、フローティアはリヴィメラと共に、サライダールの地へと姿を顕すこととなった。



    ****



 冥府より送られた先触れは、サライダールの王宮に正しく届いた。

 緊張の面持ちで儀式の間に控える神官たちの前で、フローティアは出来うる限り友好的な笑みを浮かべていた。どうも、後方に立つリヴィメラは、感受性の高い彼らにとっては存在だけで神経をすり減らしてしまうようなので。

 この分だと、王子殿下との謁見でも、要らぬ心労をかけてしまうかもしれない——と思ったのだが、彼女の予想は裏切られることとなった。


「ああ! 女神ティア! 貴方の瞳に私を映していただける日が来るとは!」


 召喚の間を訪れたカストルは同席するリヴィメラに怯む様子もなく、女神として召喚されたフローティアを前に、熱烈な愛の言葉を並べ立てた。フローティアが、自身が冥府の王妃だと説明する間もなかった。

 流石は、神の加護を受けている人間なだけはある。彼が潤沢な魔力を持つ、才に溢れた人間であることは、フローティアにもひと目見て理解が出来た。


 あの美しい国王陛下の血を引いているためか、カルトスもまた、大層美しい男だった。金の髪は母国の王太子アランと同じ色合いだが、強い生命力を感じさせるような褐色の肌とのコントランスとはまるで太陽のような輝きを放っている。サライダールは北国なので、これは母方の血なのだろう。

 フローティアを真っ直ぐに見つめる、晴れやかな空を思わせる碧眼にも、強い意思と信念から生まれる光を宿している。

 傍らに控える宵闇のような存在——リヴィメラを見慣れているせいか、フローティアにとっては尚更眩しく感じるような人間だった。


「父が貴方様より授けられた言葉を聞いた時、女神様こそが私の求める女性だと確信したのです。等しく神の愛し子を慈しむ、美しい信念を持つ方。私は貴方こそを待ち続けていた」


 リヴィメラに怯えていた筈の神官たちですら、彼の持つ圧倒的な光のオーラに、安堵を取り戻しているようにすら思える。

 王族でありながら迷いなく膝をつき、女神として立つフローティアに愛を乞う真摯な男。異性とは社交辞令や王命としての付き合いしかないようなフローティアにとっては、あまりにも衝撃的な存在だった。


 もし。もしも、フローティアが人の世で過ごしている間に出会っていたのなら、きっと心惹かれていたに違いない。

 何せ、彼女の婚約者はあの(・・)アランである。情熱的な愛情と真摯な対応を持ち合わせた男性など、太刀打ちできるのはその美貌くらいのものだろう。

 その上、現世の様子を覗いた限り、カルトスは誠実で愛に溢れた男であり、民にも愛される王族のようだった。次代の王に彼を望む声も多く、信頼に値する人間であるのはよく分かった。


 ただ、フローティアは既に冥府の王妃である。加えて、カルトスは、王妃となっていなければ存在を知ることもないまま生涯を終えたに違いない相手だ。

 そもそも、彼は〝女神ティア〟に心惹かれたのであって、フローティアに想いを寄せている訳ではない。もしも個人としての付き合いが生じる機会があれば、また違った答えを返したかもしれないが、今此処に至ったフローティアの選ぶべき答えは、一つしかなかった。


「御好意は嬉しく思います。ですが、私は貴方の想いに応えることはなりません」

「何故? 我々はまだ、互いを深く知りもしないのに」

「……私には既に伴侶がおります」


 視線だけでリヴィメラを示して見せると、カルトスは、そこで初めて、フローティアの隣に立つ存在を正しく視界に収めたようだった。

 分かっている。あまりにも存在としてかけ離れているために、まさか、関係を結ぶような間柄が成立するとすら思えないのだ。もはや、空間に生じた異質な概念に等しい。


 リヴィメラは何を答えるでもなく、ただ、日差しのように降り注ぐ、美しい青い瞳からの視線を受け止めるばかりだった。少し面白く思っているのが、隣に立つフローティアにはなんとなく感じられる。

 数秒——彼の意識ではもっと長く感じたかもしれない——の間、礼装をまとっただけの深淵を覗き込んでいたカルトスは、やがて、自身の整えられた髪をくしゃりとかき混ぜると、豪快な笑い声を響かせた。


「これはこれは! とんだ失礼を!」


 快活な声で謝罪を口にしたカルトスは、そのまましばらく、堪え切れない笑い声をなんとか噛み殺し、軽い調子で立ち上がった。


「魅力ある方はすぐに誰かに望まれてしまう。全く、遅きに失したようで」


 情けない、と自嘲を口にしつつも、彼の宿す雰囲気にはからりとした溌剌さがあるばかりだった。思い切りのよい真っ直ぐな性分は、切り替えの強さにも繋がっているようだ。

 きっぱりと諦めを持って晴れやかな笑みを浮かべるカルトスに、なんと声をかけたらよいか迷う。


「その、お力になれず、申し訳ありません」


 せめて、と詫びを口にしたフローティアに、カルトスはなんだか意外そうなものを見るように片眉を上げてみせた。

 仮にも神を前にしておきながら、随分と気安い態度ではあるが、神に親しみを覚える国柄を思えばそう不思議なことではないのかもしれない。いや。強張った顔で瞬きすら出来ずにいる神官らの態度を見るに、彼が特別なだけ、ということもかもしれない。


「ティア様はどうやら何か思い違いをなさっているようだ。私は貴方という存在の在り方に心惹かれたからこそ、より深く知りたいと望んで婚姻を申し込んだのです。そこには私の想いの他には何一つ存在しませんよ」


 以前に、リヴィメラにも同じようなことを言われた覚えがあった。

 想いが先で、役割は後だと。王族であるカルトスにとっては、どうしても手に入れたい存在は伴侶として手元に置くのが正しい方法であって、望みを叶えるための最善を取った結果、それが求婚という形になったということなのだろう。

 フローティアはいつも、自分がどう役に立つか、という形にばかり囚われてしまう。物心ついた時からずっと、そうした役割を望まれていたために、それ以外の在り方を心では理解できていないのだ。


 これでは、どんな顔をしてリヴィメラの感情の機微をなじればいいのか、わからなくなってしまう。


 自身への自嘲を込めた笑みを浮かべながら、フローティアは今度は心からの詫びの言葉を口にしようとして——直前で、思い直したままに微笑みを柔らかいものへと変えた。


「素敵な想いを頂戴したこと、本当に嬉しく思います。どうか、貴方様に望んだ幸福が訪れますように」

「女神の祝福を頂けるとは、恐悦至極」


 洗練された所作で礼を取ったカルトスは、どういう訳か一度、リヴィメラに少しの親しみを込めた笑みを向けると、そのまま冥府へと戻る二人を見送った。



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え、つっよ!? つッッッよ!!!??? ナニコレ、この王子、精神ニンゲンなの……?
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