ソルティソースの杯
調度品にしろ武器にしろ製作者が自身の作品を使わない事は多々あるのだろう。その例にもれずルネは何事もなく女湯の暖簾をくぐって行った。
「さあ、ひとっぷろ浴びるです♪」
カリナは無表情であるが少し気になる。
「やっぱり着替えとってこよっか?」
「いいんじゃない? ささっと帰って着替えれば」
応じたミフィは少しズレていた。
アキットは疑問を持つ。
「それは意味あるの?」
幼子達は湯の温度についてキユキに要求する。
「「「「「今日は水多めでもいい? いいよね?」」」」」
「ええ、今からだと、夜には元に戻るから大丈夫ね」
幼子達の希望は水に近いぬるま湯だ。源泉とは別に川から引き込んだ水の量を調整する事で湯の温度は調節できる。キユキもクォーサイドタウンに来て半年近いので塩梅を心得ており、幼子達の言い分を受け入れた。
そして、女性陣と年少組の幼子達は、男子年長組の四人に見向きもせずに女湯へ向かったのだった。
男子は四人はポツンとその場に残された。
ギーは呆然としている三人の兄の様子をキョロキョロと見てから、エヘヘ、っと笑ってから女湯に行こうとした。三人とも魂が抜けたような目で虚空を見つめていたが、ロックが、からがら手だけを動かしてギーの首根っこを捕まえた。
それから男子四人はひっそり男湯へと向かった。
脱衣所で黙々と服を脱ぐ。まばらにトボトボと洗い場へ向かう。源泉は樋に沿って頭上程度の高さからはドバドバと湯船に打ち付けられている。洗い場で四人ならんでシャカシャカと頭を洗う。ゴシゴシと身体も洗う。ザバザバと背中も流す。男子四人は口数少なく湯船に浸かった。
高い塀の向こう側の女湯からは終止、楽しそうな声が聞こえている。
「「「「「キユキおねーちゃん洗ったげるー」」」」」
「ちょっと、ふふ、ちょっと、まって」
「ほら、洗ったげるじゃないでしょ。みんなも身体を洗いなさい」
「「「「「えぇぇ」」」」」
「ほら、セリア、こっち!」
ザパーン
「きゃー」
「ラルフ、おいで」
「カリナお姉ちゃんも洗ったげるぅ」
「じゃあ洗いっこね」
「クロエも来るです」
「竹筒持ってきていい?」
「後にするですよー」
「お目め、大丈夫?」
「うん」
「レオ君もごしごししよっか」
「うん」
「「「「「もういい?」」」」」
「片足ずつ入るのよ」
「「「「「「うん」」」」」
チャポチャポ。パシャパシャ。キャッキャウフフ。
「やっぱり、ここのお湯はいいわね。成分がちがうのかしら」
「そうなの?」
「ええ。しっとりするし、年少組の子達もお肌がもちもちね」
「ふーん。ねえ、キユキさんのそれ、都会の女の子は皆そうなの?」
「それって……、ううん。そんな事はなかったけど」
「だって、私達は皆小さいし……」
「ふふ。みんなだってその内大きくなるわよ」
「私達はまだ成長期だけど、姉さんはもう……」
「私だってまだ成長期よ」
「今年は何センチのびた?」
「うぅぅぅ」
「もうオゥレをのむしかないでしすよー」
「迷信でしょ。それは」
「もう信じるしかですよー」
「いいもん。別に。大きくしたいとか思ってないし」
「あら。ミフィちゃんはちっさいほうがいいの?」
「というより兄さんが貧乳派という説」
「世界は平和にできてるです」
チャポチャポ。パシャパシャ。キャッキャウフフ。
……。
……。
セイとヒースとロック。つまり15歳と12歳と10歳の少年はただ湯船に使っている。塀の向こうからは黄色い声や幼子達の歓声が響いているが、ドバドバと流れ落ちる湯銭が、詳細な聞き取りを困難にしている。
三人の目の前をギーのバタ足が通り過ぎて行いった。ついでに小刻みに震える桃も通り過ぎ行く。
気を落ちしたヒースに声を張る気力はない。あるいは、全員だったかもしれないが。必然的にひっそりとした音量でヒースはセイに尋ねた。
「なあ、兄貴……虚しくね?」
「ああ。分からないとは言わない。ロックはどうだ?」
「し、知らねーよ」
再びヒースが口を開き、セイが答える。
「なあ、ここは……。いや、別に俺はこれでもいいんだ。いいんだけど、今日は水着があるだろ? 例の看板もある。別にやましい気持ちは無いんだ。だけどな……。フツーーーは水着で一緒に入るんじゃないのか? 普通は?」
「ああ。フツーーーはそうだと思う。普通は。まさか空気として扱われるとは思ってなかった」
「ルネのやつなんか普段はあれだけ兄貴とミフィ姉にふっかけてるのに、自分が関わりそうになった途端、ガン無視きめたぞ」
「ああ。看板をチラ見さえしてなかったな。しかも一番最初に逃げた。ロックはどう思う?」
「だから知らねーって」
いい加減、風呂に飽きてきたギーが兄達に尋ねる。
「僕も隣に行っていい?」
「「許さん!」」
セイとヒースが一斉に堰き止めた。
一堂、落ち着きを取り戻しセイがおもむろに口を開く。
「だが、ヒース。ミフィがこれで終わると思うか?」
「なんだよ?」
「あれでミフィは気が効く女の子だと俺は思ってる」
「まあな。そりゃそうだよ。ミフィ姉は兄貴に負けず劣らず年長組の先端を突っ走ってるよ」
「つまりだ。もう少ししたらミフィ達はこっちの湯船に来ると思う。水着で」
「なるほど。だとしたら素っ裸の俺達は惨めな事になるな」
「気が効くだろ? 効きすぎなんだ。ミフィはそういう所もある」
「だとしても兄貴。俺はチ○コを見せ付ける趣味は無いぞ」
「直接的な表現は控えてくれ。ヒース」
「ああ。悪かった。チ○コは酷いな。自重する」
「……」
「……」
真剣な面持ちで知らぬ存ぜぬを決め込むヒースを、セイは少しばかり睨んだ。
セイは、まあいい、と呟いてロックと語り始めた。
「でロック、どうだ? 見せ付ける趣味はあるのか?」
「は? あるわけねーだろ。変態じゃねーか、それじゃあ」
「俺もない。つまり、あいつらは俺達の羞恥心を楽しもうという魂胆しかない。少年の心を弄ぶ悪魔の所業だ」
「何だよしゅうちしんって」
「恥ずかしいって事だ」
「ふーん。で?」
「だからミフィ達は、少なくとも俺達に大人の対応を期待していると思っていい。俺達はみんな桶とか両手で股間を隠して、一端浴場から退場だ。尻丸出しでな。それから水着を取って来て欲しいと考えている」
「はあ! なんでそんな事しねーといけねーんだよ!」
「声がデカイ」
「わ、わりー」
「いいかロック? これは、そうなる気がするとしか言えない事なんだ。今のままだとな。今のままだと」
「……。なんだよ……。セイ兄には、なにかあんのかよ?」
「弔い合戦をしないか。お前はさっきルネに嵌められているはずだ」
――まだまだおっぱいが恋しい年頃ですねぇ――
相乗り状態のリアカーでルネが口走ったセリフが蘇ったロックに蘇った。
「あれは、ルネ姉もアキットを庇ったんだろ……」
「俺達の目的は一致している。だからこそ手段を吟味するべきだ」
「まあ、よく分かんねーけど言いたい事はわかるよ」
「じゃあ覚悟はあるか?」
「……いいよ。あるよ」
「今から作戦を伝える」
ギーが口を開く。
「ねえ、隣に……」
「「許さん!」」
ギーの移動は相変わらずセイとヒースに封じられた。
「……以上だ」 「……結局……」 「仕方ないだろ……」 「……できっかなぁ……」
十数分後。
時が進み、水着姿のミフィが男湯に姿を現した。
「やっほー。遊びに来たよー」
『『マジで何の確認も無しに入ってきた……』』
驚嘆しているわけではない。予想通りのデリカシーの掛ける姉の行動にヒースとロックは引いている。
セイが皆を代表してミフィに苦情を入れた。
「おい、湯船に居なかったらどうするつもりだ。俺達はすっ裸だぞ」
「いいじゃん別に」
「あっ。ミフィお姉ちゃん!」
素っ裸のギーはバタ足を止めて湯船から出てきてトコトコとミフィに歩み寄って行く。そして、ミフィの両手にハイタッチ。
「「いぇい!」」
それからミフィは、よいしょ、っとギーを抱き上げてやった。
あっけなく懐柔された四男を他所に、セイが少しだけ語気を強めて咎める。
「ミフィ。どういうつもりだ?」
「男の子だけで乾いた思いしてるかなーって思って遊びにきたんでしょ?」
「それはいい。だけど少しは気を使え」
「恥ずかしがる事無いでしょ? 昔は皆一緒に入ってたじゃない」
「聞かない話だな」
少し重たいのか、ミフィは抱き上げていたギーを地上に返した。ミフィはギーの頭を撫でながら矛先を別の弟に向けた。
「でもヒースもロックもギーもって……ギーは今もたまに来てるわね。でも昔は一緒に入ってあげたでしょ?」
ヒースが抗う。
「昔の話だろ。そのくらいの年齢のときはそーゆーもんだ」
「だから、今日くらいは水着だから一緒に入ろって言ってるの。昔みたいにってね」
ミフィは洗い場の中をトコトコ歩き、ピラミッドのように積み上げられている木製の桶を手にとって、ポイ、ポイ、ポイっと三つ、セイが浸かる湯船に投げ入れてやった。
いぶかしんだ表情のヒースとロック。
セイが男子を代表して抗議する。
「おいまさかこれで隠して出て行けって言うのか?」
セイとミフィの会話は、新たに現われた年少組の幼子達に遮られた。
「「「「「キユキお姉ちゃんも早くー」」」」」
年少組の幼子達は今だ脱衣所と洗い場との間で隠れているキユキをせかしている。
「ちょっとまってねー」
せかされても、常識がキユキの歩みを止めて、中の様子が見えない通路から声だけを男子達に届ける。
「ごめんねー! みんなー! 止めるには止めたんだけどぉ!」
キユキが断りを入れたのは男子だが答えたのはミフィだ。
「いーの。キユキさん。気にしないで入ってきて。不思議な光でちゃんと隠れてるから」
水の透明度や光の反射と屈折で、ミフィの言うとおり洗い場からでは湯船に使っている男子達の肩から下は隠れていた。
だが、ヒースとロックは何の気無しに入ってきた長女にキレはじめた犬のような顔を向けている。
『『ミフィ姉は少し気にしろよ』』
「ああ、ちょっと」
結局、両手を引かれてキユキも姿を現した。当然、水着姿だ。
次に出て来たのは水着姿のカリナだ。
「早く着替えてきたら」
これに応じたのはヒースだ。きっちり声を張って叫ぶ。
「無理にきまってんだろ。一端で出てけよ!」
「その桶で隠せるでしょ?」
「無茶言うなよ!」
「それじゃあ帰ろっか。みんな。お兄ちゃん達はみんなと遊びたくないって」
「「「「「えー」」」」」
幼子達から当然のブーイング。
これを受けてヒースが即刻折れる。
「ちょっとまて! いい。 いいから! いていいから!」
カリナはクスリと笑う。
「じゃあ早く水着取ってきたら?」
「くっ」
ヒースはしぶしぶ桶で股間を隠しながら湯船から上がった。前は隠れるが横や後ろは隠せず尻がのぞく。仕方なしに壁を背にゆっくりカニ歩きで洗い場の隅に佇んだ。
やれやれ、と呆れた顔で、ルネがトコトコと湯船に姿を現した。
ルネはふとロックと目が合うが、ここはロックが先制する。
「なんだよ」
「別にです」
「じゃあこっち見んなよ」
「ロックのなんか見てもへっちゃらですけどね」
「じゃあ、あっちでも向いとけよ」
ルネは言われた通りにあっちを向いた。が、どうやら目玉を横一杯に動かして視線だけは僅かに残っているようにも見える。特に面白がってはいないが興味はある、といった妙な面持ちだ。
「あー、もー、いいよ。出ればいいんだろ。出れば」
ロックもヒースと同じく桶で股間を隠して湯船から出て、洗い場の隅に佇んだ。
二人の弟の姿を見て、ウンウン、と満足気に頷いてからミフィが最後の獲物に取りかかった。
「お兄ちゃんも行ったら?」
「いや、その前に一つはっきりしておきたい事がある」
「何よ」
「俺はミフィと一緒に風呂に入った事が無い」
「……。……。そうね」
「昔、俺達の孤児院には俺より年上の男子がいた。今でいう所の俺の兄だ」
「そうね。お兄ちゃんはクレールに引っ付いていたから、男湯にしか入った事がない」
「そう。つまり、俺のはミフィも知らない」
「だから隠してよ。お兄ちゃんのは多分もう洒落にならないから。知らないけど」
「そうだろうな。おれの初期位置も知らなければ、成長曲線も知らない。そして、当然、その才能の違いが未来でどうなっているかを知らない。つまり行く先だ。ミフィは俺の行く先を知らない。先っぽも知らない」
「御託はいいから。早く隠して水着に着替えたら」
さも普段と変らぬようにミフィは促した。
セイのほうは半ばミフィを無視して、その御託を並べ始めた。
「だけど、ここでセコセコ桶で隠して出て行くような生き様を、俺は弟達に見せていいものか少し悩むんだ」
「お兄ちゃんはみんなと一緒に遊びたくないの? それをやったら台無しになるでしょ」
「でも、やっぱり正面から堂々と出て行く。これが男の生き様なんじゃないのかって、俺は思うんだよ」
セイは真剣な面持ちで僅かに揺らぐ湯を眺めた。
ミフィは不快感を顕わにした不機嫌で非難めいた口調をもってセイを咎めた。
「ちょっとお兄ちゃん。怒るわよ」
セイはヒースとロックが脱衣場に行かずに、洗い場の隅に佇んでいる事を確認した。瞳は動かさない。あくまでミフィと対話しているのだが、セイは視界の片隅で弟達の準備が完了した事を見定めた。
「あいつらもいつか成長して見習ってくれればいい。その未来を俺は今からそれを示そうと思う」
「そんな事しなくてもみんな勝手に成長するでしょ」
「確かに。いつまでも成長しない奴はいないな」
突如ミフィは雨が降り注いだような表情になり、両手を地面について地に落ちた。
「ん? どうした? ミフィ? まあ今はいいか」
予想より若干速い敵陣ブレーンの陥落はセイにとっても予想外だった。
ミフィに代わり、カリナが早口でセイを諌める。
「兄さんがそれを言うのは禁じ手」
カリナは足元の桶をヒールリフトで自身の眼前の空中までフワッと蹴り上げた。左手で桶を乱暴に掴むと360°の駒回り。スローイングの回転軌道上から、桶をブーメランのごとくセイに向って放った。
確かな速度はあった。当たればカコンと満点の音が出る予感も感じられた。しかし空を切り裂いて飛んでいった桶はセイの右手でパシッと容易く受け止められた。
「カリナ。覚えておけ。目視された投擲は脅威じゃない」
セイの右手で止められた桶は、ボチャっと情けない音を出して湯船の上に落ちた。
「そう」
至って冷静なカリナに対して、セイの主張が続く。
「そして、ゆずれない生き様がここにある。今は、そんな気が……」
するりと飛び上がったカリナは、セイにそれ以上の有無を言わさずに飛び蹴りをお見舞いした。
が、これもまた、セイは余裕をもって両腕でブロッキングした。
「軽いな。体重が足りてない。それとも間近かで見たいのか?」
「くっ」
カリナはブロッキングを踏み台にして後方の湯船に着地する。
「おお」
キユキは静かに両手で拍手。カリナの足技に感嘆の声を出した。
しかし、パシャパシャと足で湯船を掻き分け元の位置に戻るカリナは少し間抜けにも見える。
『……。これが正解じゃない。暴力落ちは許されてないの?』
カリナは沈思黙考に入った。
場が整い
「さて」
と再びセイが口にして湯船からゆっくり身体を持ち上げ始めた。
ルネが青ざめて側に控えていたアキットの頭を抱きしめた。
「待つです! 止めるです! ここにはいたいけな少女もいるですよ!」
「なんだよルネ。昔は一緒に入ったじゃないか?」
セイはサイコパスじみた平坦な声を出した。
「んな事覚えちゃいねーですー」
「そんな寂しい事言うなよ」
「うるさいです! 早く仕舞えです! 見たくもねーもん見せようとするなですぅぅぅぅ!」
「見たくなければ見なければいい。簡単な事だろ?」
「アキットにまで、まん丸ピョンピョンを見せるなと言ってるんです!」
「間接的な表現は感心できるな。だが俺のはもうピョンピョンじゃない」
「だから止まれと言ってるんです!」
「叫ぶだけか? 勝利が欲しければ勝ち取れ。俺はいつでも止まる用意がある。ルネには無理か?」
「くぅぅぅぅ」
喉から締め付けられたような声を出したあとで、抱きしめているアキットの拘束を緩めた。ルネは思いつめた顔でアキットの両肩に手を当てて、近くで彼女の表情を再確認した。
アキットは、ほえっとした表情のままであったが、ルネは深く静かに喋り始めた。
「カリナお姉ちゃんの投擲が防がれた今。私に勝ち目はありません。火を見るより明らかです。何処まで行っても不変の真理というものはあるのです」
「ほえ?」
「だけど……だけどです!」
ルネはキッとセイ睨んで、哀しみ瞳を焔の赤へと塗り替えた。
「やれるだけやるです! 負けられない戦いが此処にあるです!」
ミフィとカリナが沈んだ中で、セイの生き様に対抗するためルネは奮い立った。その決意が言葉と共に握り締めた拳に宿っていた。
ゆえに、先制したのは至極当然ルネだった。ルネはアキットの肩にかけていた手を離して、桶を拾い上げてクルリと横に一回転。少し緩慢であるがカリナに良く似たフォームが動き出した。
対するセイは、腕組みをしたまま余裕の笑みだ。
「ぬぅぅぅぁぁぁぁDETH」
ルネの気持ちまで詰め込んだ桶が飛んで行く。
セイは落ち着いて腕組みを解いて、飛んでくる桶に対して、湯を汲める穴の方からスポッと手を入れた。桶はセイの手を支点にフラフープのようにクルクルクルっと回転し、次第に勢いを弱めて、自然の法理に従い、しおれて止まった。
得意満面。したり顔でセイはルネに忠告した。
「気持ちだけ片がつくような事ってのは無いよな。無いんだよ。お前の言った通りだ。おしいな。もう少し冷静になったらどうだ? そこには桶が山積みになっているだろ?」
「ぅぅぅ。小賢しい顔です。食らえです! です! です! です! です!……」
ルネは俵積みになっている桶を片っ端から投げまくった。乱舞と言ってもいい。〝です!”の合図で桶はセイに向けて次々と飛んで行いった。
物量を前にしてもセイはたじろかない。落ち着いて湯船から両腕を上げ、ことごとく飛んで来る桶の側面をそれぞれの手で軽く弾いて、その全てを湯船の上に打ち落とした。
着弾は0。ルネの顔色が変わる。
「はあ……はあ……はあ……です……」
「残念だったな。ルネ」
セイはお天道様のように穏やかに微笑んだ。
湯船には桶がそこかしこに浮んでいる。対して洗い場に立つルネの足元に残された桶はあと二つだ。ルネの髪の毛を掻き分け落ちてきた汗は、米神に貯まって大粒となり、彼女の頬をつぅーっと伝った。
ゴクリと息を呑んだルネ。
セイはたいして悲しくも無い別れを惜しむように眉根をワザとらしく下げた笑みを送った。
「終わりだ」
ここでカリナが天恵を授かり、ハッとする。足元には桶が二つ。一応ついでに萎びているミフィもいるが。
カリナは二つ年下のルネを鼓舞するに相応しい、メリハリの効いた声を響かせた。
「ルネ、最後よ。同時に行くわ」
「ハッ! 分かったです」
セイは手でうなじを押さえて、斜め上の雲を見やる。
「もう決着はついてるんだけどな」
ルネとカリナは残された桶をそれぞれ手に取った。左利きのカリナと右利きのルネ。二人の横回転のフォームが互いに逆巻きの二つの渦を作りクルクルっと回りだした。ルネとカリナのトルネードからは気流さえ錯角できる。
「沈め!」
「落ちろです!」
運命のニ投は、いささか物騒なセリフと共に放たれた。
桶が放たれるまでの間に、セイの表情は一瞬だけほころんでいだ。しかし二杯の桶が向ってくると、セイの表情から余裕が消えた。熱い夏の日差しの下。守護神が如くセイは両腕を高く掲げて迎撃体勢を取った。
次女と三女が放った桶には、間違いなく最高の速度が乗っていた。
しかし無常にも、セイの右手と左手は、二つの桶をパシ、パシと捌いてしまった。パシャン、パシャン、と慈悲無き響きと共に桶は湯船に落ちてしまったのだ。
湯船に浸かったまま、セイは最後にとぼけた面で二人をいましめた。
「手は二つあるんだから桶が二つだと結果は同じだろ?」
やはり、と言わんばかりにカリナは軽く顔を歪めて首を振った。
しかし、ルネは帰宅後に財布がない事に気が付いたような、悲劇的な声がを出した。
二人の面構えにはお構いなしで、セイは湯船から少しずつ身体を持ち上げ始めた。
「さて。それじゃあ、I・KI・ZA・MA。始めようか」
ルネにはもう、叫ぶしか手段がなかった。
「いいから桶を取れです! 隠すです! 出てくるなです! さっさとそのチビチビ・ピョンピョンを隠すですー!」
「ルネ、実物を知らないのに見下すのは感心できないな。俺のはもうチビチビじゃない。……」
ルネの悲鳴も虚しく、セイの動作は止まらない。お湯を掻き分け肩が、胸が、腹直筋が、下腹が徐々にあらわになって行く。
直前においてキユキ、ミフィ、カリナ、ルネは瞼をギュット閉じて目を背けた。
「ああっ」
「……」
「くっ」
「ダメですぅぅぅぅぅぅ」
否。ミフィの目は薄く開いている。
「?」
ほわんとしているのはアキット以下のギーと年少組だ。
満を持して湯船から全貌を現したセイが、仁王立ちと共に決めた。
「今の俺はビッグ・ブーンだ」
いずれにせよ、この瞬間から新たに動き出した者達がいた。ヒースとロックだ。
ヒースは即座にロックが股間を隠している桶を代わりに持ってやった。ヒースの両手は自身とロックの股間を隠すために桶でふさがってしまう。しかし、代わりにロックの両手が自由を得た。
ロックは右手で桶の中に隠し持っていた水筒を取り出し、左手で水筒を蓋をポンっと開ける。と、すぐさま目を瞑っている女性陣に向って水筒の中身をぶちまけた。
「「「「キャッ!」」」」
などと四人の女性陣から甲高い叫び声が響く。しかし今だ目を開けない。長女はともかくとして。
「へへっ」
「ははっ」
雌雄は決した。そう思える勝者の薄ら笑いがヒースとロックの口からこぼれた。洗い場の隅で永らく桶一つで耐え忍んでいた二人は、今だ心もとない一張羅ではあるが、してやったりと言わんばかりに目を合わせた。
この時を経ても目を瞑っている四人の女性陣にアキットがのほほんとした口調で伝えた。
「セイお兄ちゃんは水着を着てるよ?」
「「「「えっ……」」」」
っと言ってキユキとミフィとカリナとルネは目を開けた。
セイは穏やかに微笑んでいる。
四人の女性陣は辺りを見渡して、ロックの右手に水筒が握られている事を確認した。
ロックが照れくさそうに、そっぽを向いて告げた。
「キユキ姉。海入ってねーだろ」
「じゃあ、これは……」
キユキは自分のおでこに掛った液体を人差し指で撫でて口に運んだ。指とロックを見比べてから尋ねる。
「海水?」
キユキの表情がほころぶより速く、年少組が口々に叫び出した。
「「「「「あー、それ持ってるー!!」」」」」
幼子達はリアカーの元へ駆け出そうとした。
セイは
「歩いて!」
と声を張り上げ
「行けよ?」
と微笑んでその行動力を抑制した。
「「「「「うん!」」」」」
元気よく返事をした幼子達はトコトコと歩いて一端その場を離れた。
「さて、と……」
セイはパシャパシャと湯船を掻き分け桶を拾い元の場所に積み上げ始めた。
ミフィも湯船に浮び散乱している桶を拾い始める。
「まっ。私は気付いてたけどね」
「いや、実際俺達が湯船に浸かっていなかったらどうするつもりだったんだよ」
「そんなのちょっと顔出して見れば直わかるでしょ?」
「ははっ。やっぱちょっとは見るんだな」
「ちょこっとだけで見えるわけないじゃない」
ははっ、とセイは笑ってそれ以上は取り合わなかった。
ミフィも微笑んで、それから懐かしむようにその場を後にした幼子達の方を見た。
「でも、年少組の子達はいーわね」
「仕方ないだろ? あの時はそんなもんだったんだから」
「でも、みんな一緒に遊んでるトコみると、なーんかうらやましーなって気にならない?」
「それはな。でも俺は今ままでで十分満足してるよ」
昔を振り返る兄と姉を他所に、カリナは無表情でヒースに告げた。
「早くその間抜けなフルモードを解除してきなさい」
「分かってるよ」
股間を隠した桶と共にヒースは洗い場からカニ歩きで退場する。尻を壁側にして隠しているのだ。
素っ裸のギーに向けて躊躇う事無くアキットが告げる。
「ギーは水着着ないの? みんな着てるよ」
「うん。着てくるー」
一人、俯いたままプルプルしているがルネだった。
ロックが慰めるような声音で語りかけた。
「まあ元気出せよ。一人だけドツボに落ちるって事は良くあっから」
ロックは喋った事とは裏腹に、セリフの最後でフッと見下すように笑って、その場を後にした。
怒りとは往々にして四方に散って行くものなのか。ルネの視線がミフィに向く。
「どうしたの? ルネ」
「むきーですぅ! ミフィお姉ちゃんもグルですか」
「私はグルって言うより、どっちに転んでも楽しめるかなって」
『そういうのが一番たちが悪いんだよ』
セイが苦笑いしている。
「カリナお姉ちゃんもですか」
「先に教えたでしょ。少し兄さんに付き合ってあげようって」
カリナは最初は確かに気が付いていなかった。だが途中で修正してマウントを取れる所まで予測していたのは年の功だろうか。
「うぅぅ」
結局一人で呻るルネをセイが慰めた。
「ほら、泣くなよ。ルネ。悪かったって」
ルネはトコトコとセイの近くに歩いて行き、それからポカポカと殴り始めた。
「そんな事いうなら今からさっさと二人で隣に行くですー。裸で仲良く入るですー」
「いや、それはなぁ、ミフィ」
と言ってセイはミフィの方を見た。
「ええ。もう看板は使ったでしょ? いいの? 私達が使って。こっちに裸のおじさんが入って来るかもしれないよ?」
ミフィは最もな理屈を立てた。
怒りとは往々にして理屈は通らないものなのだろう。ルネの怒りは収まらない。
「あー言えばこーです! 屁理屈ばっかりです! セイお兄ちゃんも! お姉ちゃんもーーー!」
地団太を踏んでいるルネを諭したのはカリナだった。
「あきらめなさい。ルネ。勝機を逃した時点で兄さんは止まらないから」
「勝機ってなんですか!? 看板が足りなかったですか!? もう一つ作っておくべきだったですか!?」
「うーん。その発想は無かったけど……。でも桶を投げすぎたのが敗因よ。兄さんはちゃんと注意したでしょ。ルネが桶を投げる前に。〝目視された投擲は脅威じゃない〟って」
「うぅぅ、でもあのイラつく顔を前にして止まれなんて無理ですよ!」
『ちょくちょく思うんだけど、お前ら俺の顔に文句いいすぎな……』
セイは渋い顔をしている。
「だとしても、冷静に。あそこは桶を三つで投げてくれば食らってやるって兄さんのヒントだった。見えても両手で取れない三つ目を用意しろって事ね。チ○チ○に惑わされたルネの負けよ」
「チ○チ○になんかに惑わされてないです!」
「じゃあ、怒る事もないでしょ?」
「うぅぅ」
『ったく。そろいもそろって。せっかく先まで間接的だったのに伝染ってるじゃないか』
セイは次女を咎める事にした。
「カリナ。直接的な表現は止めるんだ」
「でも兄さんも言いすぎでしょ? ビッグってなに? 小魚くらいにはならなかったの?」
「何でお前らは俺のが小さいって決め付けるんだよ……。それは分からない事だろ?」
「ヒースに聞けば分かる事だけど?」
「悪い。俺は名も無き小魚でいい」
『それだと夕食に小魚が出しにくいんだけどぉ……』
キユキは別個に困った表情を浮かべている。
「ンふっ」
「ん? ルネ。今笑ったか?」
「笑ってません。知らないです」
ふんっ、と言ってルネは明後日の方向を向いてしまった。
セイは優しくルネに語りかけた。
「悪かったってルネ。もう仲直りしよ。な?」
「知らないです。もう口を聞かないです。口八丁の口口六十四丁には騙されないです」
「意味が分からない掛け算を作るなよ」
「私はもう怒ってるです。知らないです」
「ほら、看板もう一個作るの手伝ってやるから」
「……」
「一枚板だと仕入れるのも大変だろ? 重いし」
「……」
「今なら搬入もサービスで手伝うから」
黙っていてもルネの耳はピクピク動いていた。
ルネはコホンとワザとらしいせきをして横一文字のジト目でセイを睨んだ。
「分かってるですか?」
セイは微笑んで答える。
「分かってるよ」
「あの看板はセイお兄ちゃんとミフィお姉ちゃんのために、私、この私が作ったものですよ!」
「分かってる」
「二人が、二人だけの時間も作れるように。私が丹精込めて作ったものですよ!」
「分かってる」
「分かってないです!」
「悪いな。なかなか使わなくて」
「なかなかって……じゃあ一回は使ったですか?」
ルネの目が一際輝いたが、その輝きは次ぎのセイの言葉で直ぐに消える。
「悪い。これは言葉のあやだ。確かになかなかだと、成功は0だけど試行はあったように聞こえるな」
「なんなんですか! 最後まで! 意地悪ばっかりです!」
「いや、だから手伝うって言っただろ?」
「もういいです……。一回も使われてない看板がかわいそうです……。動いた気配が残ってないです……」
ルネは今にも泣き出しそうな顔になった。
しかし、セイは黙殺した。とぼけた声でルネに尋ねた。
「まさか毎日にチェックしてるのか?」
ルネは再び牙を向く。
「あっ、当たり前じゃないですか! 別に裸で使わなくても、今日みたいに水着で使えばいーじゃないですか!。それを、あーだこーだと言っては逃げて。入らないほーがどーかしてます!」
「いや、家族湯の時間がそもそも遅すぎるんだよ。それに、水着で入ったとしても、村の人達は勘違いするかもしれないだろ? 中に入ってる奴らが水着を着てるとか分からないじゃないか」
「……」
「外からだと何とでもいえるだろ? 必要な部分を切り抜いてもいい。あの二人は家族湯に入ったって」
「……」
「悪くない攻めだった。守りよりは向いてるんじゃないか。途中で泣きそうになったよ」
「うぅぅ…… ちゃんと手伝うですよ! 絶対ですよ! 二枚目の看板!」
「ああ。約束するよ」
ルネはバシャバシャとセイに水をかけ始めた。
「弱弱のくせに。ちゃんと生きて帰って来るですよ」
「ああ。分かってる。だけど俺は弱くない普通だ」
「私はもうBですよ」
「俺はCプラスだ」
「全然変わってないじゃないですか」
「維持も進歩の一つだよ」
セイもバシャバシャとルネにお湯をかけ始めた。
二人を尻目に残った女性陣は桶を片付けた。
しばらくすると、ヒースとロックとギーが年少組の幼子達と共に帰ってくる。
幼子達は湯船の縁に腰掛けているキユキに向けてトコトコと歩いて来る。女子の最年少のメイと男子の最年少のレオが水筒を持っている。
いざ、海水を持って帰って来ても、どのように使うか悩んだのか。レオとメイは
「「これぇ」」
と言ってキユキに向けて両手を掲げて水筒を差し出した。
キユキはふふっ、といつものように優しく微笑み、水を掬うような両手を幼子達の前に差し出す。
「じゃあ、此処に入れてくれる?」
しかし、レオとメイは堅く締められた水筒の蓋が開ける事が出来なかった。二人より年上のラルフとクロエとセリアが代わるがわるトライするも水筒の蓋は開ける事ができない。
キユキは驚いた表情でロックとセイを見た。
ロックのほうは、ルネ、アキット、ギーとはお湯を掛け合っている。
セイはヒースとピョンピョン以外の股間の表現を模索していた。
キユキは一度頷くように深く瞬きをする。
『空かない蓋は誰のせいかしら?』
キユキは、ふふっ、と笑みをこぼした。それから、キユキは幼子達から水筒を預かり、苦戦していた蓋を開けてやり、最初に水筒を差し出してきたメイとレオの手に返してやった。
メイとレオは両手で水筒を持って、キユキが作った手のひらのお椀に海水を注いだ。海水に幼子達5人の笑顔が小さく写る。
キユキはその水をパシャっと顔に掛けた。唇を軽くかみ合わせるようにして微量を喉に通し、幼子達に笑みを返す。
「ふふ。しょっぱいね?」




