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第19話『幼さの跡』


 リオが吹き飛ばされ、濡れた地面を削りながら数メートルほど滑った。その勢いのまま背後の大木へ叩きつけられ、太い幹が鈍い音を響かせる。

 

「……っ」


 私の腕にも、同じ場所に痛みが走り、反射的に腕を押さえる。けれど、すぐに手を離した。


「公女様?」


 隣にいた騎士がこちらを見る。


「……何でもありません」

「ですが、お顔の色が先ほどより悪く——」

「大丈夫です」


 私はできるだけ普段通りに答えた。


「本当に大したことはありませんから」


 騎士はまだ何か言いたそうだったけれど、私はそれ以上聞こえないふりをして、リオへ視線を戻した。


 リオが、立ち上がる。


 片手を地面につき、ゆっくりと身体を起こす。乱れた銀白の髪が額にかかり、その隙間から覗く瞳は、まだ敵を捉えていた。


 次の瞬間、敵へ向けて放たれた魔法が森を震わせた。


 白い閃光が木々の隙間を走り、遅れて轟音が響く。呼吸が少し苦しい。身体の奥に鉛を流し込まれたような疲労が、じわじわと広がっていく。魔力を使い続けているせいで、リオの身体に蓄積している疲れ。それが、私のところへ流れてきているんだ


 私は小さく息を吸った。湿った森の空気が肺へ入ってくる。それだけなのに、いつもよりずっと重く感じた。

 

「公女様、やはり下がったほうがよろしいのでは?」

「嫌です」

「ですが、このままでは公女様のお身体にも負担が——」

「分かっています」


 私は霧の向こうを見つめたまま答えた。


「分かっているけど……今は、ここにいたいんです」

「殿下を心配されているのですね」

「……はい」


 騎士の声が少しだけ柔らかくなった。


「我々がここにいるのは、殿下だけを守るためではありません。公女様を守るためでもあります」

「……ありがとうございます」

「ですから、何かあればすぐにおっしゃってください」

「はい」


 私は頷いた。


 

  どれくらい時間が経ったのかは分からない。

 

 何度も魔法がぶつかり、そのたびに森が震えた。白い光が霧を照らし、木々の影が何度も地面の上を揺らめく。轟音が響くたびに胸が跳ね、そのたびに私は霧の向こうへ目を凝らした。


 そして——

今までで一番凄まじい魔法が森を駆け抜けた。


 白い光が視界を埋め尽くす。轟音が響き、地面が大きく揺れる。木々が風圧に煽られ、残っていた霧が一気に吹き飛ばされていく。


 私は目を細めながら、それでもリオから視線を外さなかった。やがて、光が薄れていく。舞い上がった土埃がゆっくりと落ち、霧の向こうから森の景色が少しずつ戻ってくる。


 敵は、もう起き上がらない。


 リオが、勝った。

その瞬間、全身から力が抜けそうになった。


「……っ」


 騎士がすぐに身体を支えてくれる。


「公女様!」

「……大丈夫です」


 私は震える息を吐いた。


 銀白の髪は乱れ、服には土が付いている。肩で荒く息をしながら、それでもちゃんと自分の足で立っている。


 その姿を見た瞬間、胸の奥から安堵が込み上げた。よかった。生きてる。泣きそうになるほど嬉しかった。

 

 そして、リオはゆっくりと顔を上げた。何かを探すように、森を見渡す。その視線が私を探しているのだと気づいた瞬間、胸が大きく鳴った。そして、視線の先に私を捉えた途端、張り詰めていた表情がほんのわずかに緩む。


「……ローゼ」


 遠くから、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

その声を聞いた瞬間、胸の奥に残っていた不安が一気に溢れ出した。


「リオっ……!」


 気づけば、私は駆け出していた。足元はふらついていたけれど、それでも必死に走った。そして、リオの胸に飛び込んだ。ちゃんと無事だよ、そう伝えるように。


 ゆっくりと腕が回ってくる。抱きしめる力は弱かった。もう、それだけの力しか残っていなかったのだと思う。それでも、確かに私を抱きしめてくれた。


 その腕の温度を感じた瞬間、ようやく本当に帰ってこられた気がした。


「……よかった」

 

 耳元で、小さな声が聞こえた。


「私も、よかった」


 もっと言いたかった。いなくならないでって。もう、どこにも行かないでって。でも、その言葉を口にするより先に、腕の中の身体からふっと力が抜けた。


「……リオ?」


 リオの身体が私へ傾く。


「殿下!」


 騎士たちが一斉に駆け出す。私一人では支えきれず、リオを抱えたまま倒れそうになる。すぐに騎士がリオと私の身体を支えてくれた。


 どれだけ呼びかけても返事はない。それでも、リオの表情にはどこか安堵したようなものが残っていた。


 私は呆然としながら、その顔を見つめる。


 気づけば、他の実行犯も既に捕らえられており、手の空いた騎士たちがこちらへ駆け寄ってきてくれた。


「殿下!しっかりしてください!」

「公女様はこちらへ!」

「殿下は大丈夫なの…?」

「はい。すぐに治療できる場所へ運びます」

「そう……」


 もう、私が無理をする必要はない。そう思った途端、今まで押し込めていた疲れが一気に押し寄せてきた。


 視界がゆっくりと暗くなる。騎士が何かを叫んでる。


「……ちょっとだけ、眠らせて」


 その言葉を最後に、私は騎士に身体を預けた。



————————————



 それから数時間後の王宮の医務室。


 大きなベッドの上で、リオとローゼは並んで眠っていた。幸い、2人とも命に関わるような状態ではなかった。ただ、魔力の消耗が激しく、しばらく目を覚ますことはないだろうと医師は告げていた。


 全ての報告を聞き終えた国王レグナートは静かに二人の寝顔を見つめていた。


「……本当に、よく頑張ったものだ」


 医師が頷く。


「はい。お二人とも、かなり無理をされています」

「例の魔力の件は?」

「やはり、公女様は無意識に自分の傷を治癒しているようでした。」

「そうか。リオは?」

「殿下は特に目立つ怪我はありませんでした」


 レグナートは二人へ視線を戻した。眠っている二人の表情は穏やかだった。

そして、ふと気づく。


「……待て」

「はい?」

「二人の手は、最初からああなのか?」


 医師が二人の手へ視線を落とし、少し困ったように笑った。


「実は……何度か離そうとしたのですが、離れませんでした」

「一度起きたのか?」

「いえ。お二人ともずっと眠ったままです」


 医師がそっと二人の手を離そうとすると、眠っているはずのリオの手が、無意識にローゼの手を探すように動いた。それに反応するように、ローゼの指もゆっくりと動く。そして、再び二人の手が重なった。


「……これは」


 レグナートは思わず苦笑した。


「何度やっても、こうなります。別の寝台に寝かせた時も、どちらも眠りが浅くなるようでしたので……今はこうして一緒に休んでいただいています。それだけ、お互いの存在が安心するのでしょうか」

「……そうかもしれんな」

 

 レグナートは二人を見つめた。


 今回の事件で、二人がどれほど互いを大切にしているのかは、嫌というほど分かった。騎士からの報告で、リオは自分が限界になるまで戦い、それでも最後に確認したのはローゼの無事だった。


 ローゼもまた、自分の身体が限界に近づいていることを知りながら、最後までリオから目を逸らさなかった。


 そして二人とも、相手が無事だと分かるまで倒れなかった。

 

「……まったく、随分と立派になったものだ」


 レグナートは眠り続ける二人を見つめながら、静かにそう呟いた。


 第二王子として、これから国を背負っていくリオ。そして、その隣で彼を支えるローゼ。二人とも、まだ幼い頃から自分たちの立場を理解することを求められてきた。

 きっと本人たちが思っている以上に、二人はたくさんのものを我慢して、たくさんのものを背負ってきたのだろう。遊びたいと駄々をこねることも、怖いと泣きつくことも、ただ何も考えずに一日を過ごすことも、二人にとってはいつの間にか遠いものになっていたのかもしれない。

 気づけば、子供らしくいられる時間よりも、誰かを守ることや、自分の立場に相応しくあろうとする時間のほうがずっと長くなっていた。


 それでも、そんな二人が今こうして並んで眠っている姿を見れば、どれだけ立派になったとしても、まだ幼さの残る子供なのだと思い知らされる。


 王子と公爵令嬢という立場も、これまで背負ってきたものも何一つ関係ない。ただ、大切な相手がそこにいることを確かめたいという、それだけの気持ちが滲んでいた。レグナートはそんな二人をしばらく黙って見つめていたが、やがて張り詰めていた表情をふっと緩めた。


「……やっぱり、まだ二人とも子供だな」


  どこか呆れたようでいて、その声には隠しきれない安堵と優しさが混じっていた。


「そうですね」

「強くなったと思ったんだがな」

「強くなったからこそ、なのかもしれません」

「……強くなったからこそ、か」


 レグナートはその言葉を繰り返し、もう一度二人へ視線を戻した。強くなったからといって、誰かを必要としなくなるわけではない。むしろ、自分一人では抱えきれないものを知ったからこそ、隣にいてくれる存在の大切さを知ったのかもしれない。


 リオもローゼも、何も知らずに眠っている。どうして二人の魔力はこうして触れ合っていると驚くほど穏やかになるのか。その理由を、今の王たちはまだ知らない。医師も、二人自身も、もちろん知らない。ただ一つだけ確かなのは、二人にとって互いが他の誰とも違う、特別な存在だということだった。言葉にできなくても、意識していなくても、その事実だけは二人の魔力が何より雄弁に示している。


 レグナートは重なった二人の手へ目を落とした。小さな頃から知っている二人の手は、いつの間にかすっかり大きくなっていた。


「ゆっくり休め。二人とも」


 それ以上何も言わず、二人を起こさないよう静かに踵を返した。扉へ向かいながら、最後にもう一度だけ振り返る。そこには変わらず、寄り添うように眠る二人の姿があった。繋がれた手は、もう誰にも離されることなく、二人の間で静かに重なっている。


 静けさが戻った医務室で、二人は何も知らないまま眠り続けた。


 

今までの本文を調節したいのでしばらく更新お休みします!一週間くらいを予定しています。

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