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命脈  作者: 山谷麻也


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後編 継承

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)


(前編より続く)


 その6 大家族


 関東にいた頃、小浪家は大所帯だった。いっときは一つ屋根の下に七人が暮らした。

 それが四国では半数以下になった。あの喧騒が嘘のようだった。ところが、年が明けたとたん、長女から、孫娘を連れて四国に引っ越したいと連絡が入った。

 

 長女は自由奔放に生きていた。どういう風の吹き回しか、看護師になりたいと言うことだった。どこかで母親の後ろ姿を見ていたのだろう。

 准看護師の養成施設からスタートした。資格取得後、看護学校に入った。母親がたどったコースだった。


 孫娘は自宅裏の保育所に入り、翌年、小学校に入学した。新入生は二人だった。

 小浪は孫娘に田舎ならではの体験をさせようと考えた。

 治療院の分室に同伴し、魚を釣らせた。義姉の家に泊まった翌朝、孫娘が掌に穀物を乗せて瞑想していると野鳥が群がった。

 裏山にドングリ拾いに行ったこともあった。

「保育所の先生にドングリ、あげるんだ」

 心はやる孫娘は、お土産に持ち帰る約束をしていた。


 小学校は吉野川のそばにあった。

 エメラルドグリーンに染まる悠久の流れを、鉄橋がまたぐ。列車が通過する光景はまるで絵葉書だった。山あいの小学校に学んだ小浪にとって、日本一環境に恵まれた小学校に思えた。


 孫娘の小学校が徒歩通学だったのに対し、中学校はバス通学となった。小浪の母校は二度の合併により、孫娘の通う中学と統合されていた。奇しくも孫娘と同窓になったわけだ。


 孫娘は音楽関係の部活に所属し、精力的に活動した。

 よく楽器を持ち帰り、練習していた。小浪お気に入りのジャズを聴かせると、たちまちマスターして演奏してくれた。小浪は並々ならぬ才能を感じていた。

 発表会などには家族あげて聴きに行った。一家は孫娘を中心に回っていた。


 孫娘が二年に進み、長女は関東に帰ると言い出した。本人の仕事や娘の進学のことを考えての結論だった。小浪夫婦に反対する理由はなかった。 その年の九月、小浪家は再び三人家族に戻った。


 その7 潮時


 当初、三軒の酒屋があった。二軒はアパートの近く、後の一軒は商店街の北の外れにあった。どういうわけか、ここは客がまばらだった。何年も売れてないようなものも陳列され、多くは値引きされていた。前年に入荷したというビールは値段相応、微妙な味がした。ただ、めずらしい日本酒に出会えるのは魅力だった。


 女店主は酒の門外漢だった。何を質問しても

「私は飲めないから」

 と、はぐらかされた。

 そのくせ、古びた看板には「酒のディスカウント」と大書していた。小浪もそのコピーに魅かれて店を訪れた一人にほかならなかった。なんとか在庫がはけたのか、知らぬ間に廃業していた。


 居酒屋が店じまいし、残る酒屋が一軒だけとなってもなお、地域住民から悲鳴は聞こえなかった。

 駅前の食料品店が頑張っていた上、パーマ屋・散髪屋には赤白青のサインポールが回っていた。


 商店街だけでも三軒ずつの理美容院があった。そのうち一軒の美容院に小浪は二、三度通った。

 最初、小浪が顔を出すと

「男性の髪はやらんのよ」

 と、にべもなかった。何かの拍子に探し物が見つかったらしく

「あれ、こんなところにあった!」

 と大喜び。小浪は福の神として(あが)められ、髪をカットしてくれることになった。


 美容師の先生は若くして髪結いに弟子入りし、一人前に叩き上げられた苦労人だった。

 修業時代のことを話すと止まらなくなる。小浪もつい熱心に耳を傾けてしまう。手よりも口の動いている時間が長く、店に入ると優に二時間はみておく必要があった。


 先生はある日、二階のベッドの横に倒れているところを、訪ねてきた(めい)に発見された。発作を起こしてかなりの時間が経っていたらしい。意識はしっかりしていたというから、小浪の心痛は尋常でなかった。


 ほかの二軒の美容院、一軒の理容院は高齢を理由に連鎖的に廃業した。

「肩があがらない」

 これも高齢の美容師が小浪の治療院に来院したことがあった。店では我慢に我慢を重ねていたようだった。

 理容院も小浪の整髪をする間、体がきつそうだった。地域のいろいろな話が訊けるのではとの期待も虚しく、引退の報が届いた。

 みんな限界を生きていた。


 その8 死活問題


 食料品店が一軒だけになり、繁盛している様子だった。パートの従業員も何人かいて、貴重な雇用機会を提供していた。


 小浪も以前はよく利用していた。しかし、引っかかることがあった。小浪が白杖(はくじょう)をついて来店することを敬遠しているのでは、と思われるフシが何度もあった。


 盲導犬ユーザーになると

「犬は外に繋いでおいて」

 と、女店長がドアの前に立ちはだかった。

 盲導犬同伴を店は断れないことを、小浪は説明しようとした。

「それは分かってるの。何が欲しいの。買ってきてあげるから」

 どこまでも、かたくなだった。


 思えば、小浪が孫娘の好きなアイスキャンディを探す間、店長はずっと横に付き添っていた。

「何を買うの。取ってあげるよ」

 と言っていたのは、親切心からではなかったのだ。どうやら、視覚障害者に商品をいじられることを、嫌悪していたに過ぎなかった。


 小浪は言いようのない憤りを感じていた。何も買わず、盲導犬にサポートされ、トボトボと帰った。

 以来、その食品スーパーに足を向けることはなかった。

 妻もよほどのことがなければ利用しなくなった。

 こんな体験は、さすがに二女と孫には話せなかった。何も知らない二人は、相変わらず通っていた。


 その店も閉店するというニュースが伝わってきた。理由は不明だ。駅前の一等地にあった。誰もが耳を疑ったはずだ。

 小浪にとってはもはや別世界の出来事だった。しかし、地域には痛手だった。

 二女は運転免許を持っていないため、インターネットの通販で注文するようになった。週に何回も宅配便が届いた。それだけでは足りず、小浪の妻が仕事から帰るのを待って、クルマでコンビニに行く機会も増えた。


 クルマのない家庭は大変な不便を強いられているに違いなかった。遠方からタクシーを利用して買い物にくる人もあったほどだった。交通弱者にとって残る命綱は、週一回配達される生協(生活協同組合)と、過疎県・徳島発祥(二〇一二年)の移動スーパー「とくし丸」だけになってしまった。


 その9 逝く人、来る人


 小浪の住む街は言うに及ばず、身辺もまた、寂しくなっていた。

 妻の姉が脳梗塞を患い、都会に住む娘の嫁ぎ先に身を寄せた。義姉は検診でがんが見つかり、悩みに悩んだ。相談に訪れた際、小浪も妻もセカンドオピニオンを求めることを勧めた。

「あの先生に賭けてみる」

 覚悟の上のオペだった。

 担当医から、手術は成功した、と聞かされ、小浪たちは安堵の胸を撫でおろした。にもかかわらず、義姉は集中治療室から出ることもなく、苦しみ抜いた末に絶命した。


 小浪の妻の血を分けたきょうだいは、大阪に住む義兄だけになった。

 義兄は彼岸には必ず帰省する。最近、小浪の家に泊まる機会が増え、今年も三泊していった。墓掃除に加え、崩れかけた家のまわりの草刈りや植林などに汗を流す。その熱心さには頭が下がるばかりだ。小浪の家をベースキャンプにしてもらえ、光栄の至りである。


 生家の近くの村に嫁いでいた小浪の長姉は、義兄と畑仕事から帰り、家の裏のかずらを伐りに行った。遅いので義兄が心配して探しに行くと倒れていた。

 猛暑の残る晩夏の土曜日だった。

「姉が死んだぞ」

 電話の声は動転していた。小浪にはとても、現実の出来事とは思えなかった。

 病院に駆け付け、妻と共に対面した。山を転げ落ちた割には、長姉の顔はほとんど無傷だった。

 翌々年、義兄は病死した。姉を失い、宿病の塵肺じんぱいが急速に悪化していた。


 義兄宅は空き家となった。かつては親戚縁者が往来し、特に茶摘みは一大イベントだった。誰もいなくなった茶畑のことを思うと、小浪の心は沈んだ。

「おっちゃん元気? これ新茶ができたんで」

 と、顔を出したのは岡山に住む甥だった。

 義兄と長姉が大事に育てていた茶の木が今年も新芽を出し、甥一家が摘みに帰ったのだ。格別な味がした。


 長姉と小浪には一回り以上の年齢差があった。義兄が出稼ぎに行った留守を守り、県西部特有の傾斜畑にしがみつくように生きた一生だった。

 小浪の場合は一五歳で村を出て、あちこちを転々とした。

 四〇の時、失明宣告を受けるも、四九まで仕事を継続した。移動に限界を感じるようになって鍼灸師に転職し、治療院を開業した。患者さんに恵まれ、いつしか、評判の治療院になっていた。

「このまま関東に骨を埋めるのかな」

 と、思い始めた矢先の東日本大震災と原発事故(二〇一一年)だった。


 被災地の様子が日夜報道され、居ても立ってもいられず災害ボランティアに参加した。受診希望者が引きも切らなかった。ある高齢女性の姿が小浪の長姉とダブった。長姉もまた、腰痛を患い、無理がたたって腰が曲がっていた。

 帰りの電車のシートに、疲れ切った体を沈めていた。昼間の高齢女性が脳裏から離れなかった。

「四国に帰ろうか」

 妻にメールしていた。

 あれから一〇年以上の歳月が流れていた。


 その10 たすきつなぎ


 小浪がUターンして間もなく、長兄とその妻は一年ほどの間に相次いで病死した。ともに九〇を超えていた。 

 長兄夫婦は祖父と折り合いが悪く、四〇代で別居した。県東部に新居を構え、田舎の代々墓も改葬していた。

 義姉は後ろ足で砂をかけるように田舎を後にした。あの性格からして、もはや生家は顧みられることもないだろうと、小浪は諦めていた。

 ところが、次兄の話によると、家督は同居していた孫が継ぎ、小浪の生まれ故郷に遺されていた屋敷と田畑も孫が相続したということだった。小浪に光明が射した。


 先ごろ、いきなり、長兄の孫が訪ねてきた。

「なんとなく西に向かってクルマを走らせていたら、ここまで来ていました」

 という。悩みでもあったのだろう。


 長兄の孫の来訪は一族が離れ離れになっていないことを認識させた。

 心強い跡取りは一泊していった。遅くまで語り合い、飲んだ。

「また寄ります」

 帰り際の声には、来訪時と違って張りがあった。


 小浪にUターン先があったように、長兄の孫にもまた心のよりどころがあったのだ。

 もうひとり忘れてはならない人物がいる。それは小浪の孫娘だ。関東に引っ越した翌年の正月、夜行バスを乗り継ぎ、単身帰省した。孫娘にとって、初めての一人旅だった。


 これから先、何年、小浪の住まいが心の故郷でいられるだろうか。人の命には限りがある。否応なく、無常を感じさせられる毎日だ。

この作品はフィクションです

実在の人物・商店等とは関係がありません


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