前編 リタイア
その1 欠ける櫛の歯
近所の老婦人が亡くなった。四年前、夫に先立たれ、施設に入所していた。
「工事を始めます。ご迷惑をおかけしますがよろしく」
嫁が挨拶にきた。
広い家は不要となり、老夫婦の住まいは更地にして駐車場にするとのことだった。
二軒目だった。
去年はクリーニング屋が病気のために廃業し、建物が取り壊された。一年ほどして一画が整地された。小さな家を建て、都会から息子が帰って住むらしい。
メインストリート、目抜き通りとされたところに、櫛の歯が欠けるように空間ができていく。その速度は小浪の予想をはるかに超えたものだった。
その2 Uターン事情
小浪は一二年前、関東から徳島県にUターンした。
「鍼灸で過疎地の医療に貢献したい」
長姉夫婦に相談した。
「こんな、人間がおらんところに帰ってきたって、どうにもならんぞ」
義兄は取り合わなかった。
長姉は無言で聞いていた。口にこそ出さなかったものの、目の不自由な末弟が新たな苦労を背負い込むことに賛同しかねているのは、確かだった。
妻の姉は近くの村から、小浪の生まれた村に嫁いでいた。
ともに人口減少が進み、限界集落のモデルみたいな村になっている。小浪の生家も妻の生家もすでに廃屋となり、周囲は鬱蒼 とした杉木立が覆う。
「そりゃ、ええわ。父ちゃんが生きとったら、喜んだで」
義姉は大賛成だった。義姉のいう父ちゃんとは夫のことだ。義兄は五年前に他界していた。
一家には帰省するたびに歓待を受けた。
小浪夫婦の実家替わりだった。小浪の生家跡は義姉の家の真向かいにある。小浪は複雑な心境で、木々に埋もれゆく実家を見つめたものだった。
賛否が分かれる中、長男と長女、孫娘、三女を残し、次女を連れて帰ってきた。一年ほどアパート住まいした後、旧市街地、かつての目抜き通りに自宅兼治療院を建てた。
当地には昭和三〇年代前半まで鉱山があった。鉱山町として栄え、この種の町につきものの歓楽街もあった。
廃鉱後は林業が新たな地場産業となり、周辺部から人口が流入したこともあって、多くの田畑が工場用地や宅地に姿を変えていた。
その3 共生社会
繁華街が四国三郎・吉野川の東岸を南北に五〇〇メートルあまり伸びている。左右の食料品店や酒屋、美容院・理容院、旅館などが往時を偲 ばせる。今日でも、生活に不便は感じなかった。
交通のアクセスもよかった。各駅停車ながらJRの駅があり、路線バスも通っている。
小浪は帰省してすぐ、廃校になった母校の小学校跡に、治療院の分室を開設した。秘境に向かう街道の中間地点に位置し、幼稚園から中学校まで一〇年間を過ごした場所だ。
旧保健室に簡易ベッドを運び込み、土曜日は一日詰めて治療に当たった。耳を澄ますと、静寂の底から子供たちの歓声が聞こえるような錯覚にとらわれた。
夕方、バスを待つ間、橋の上から釣り糸を垂れた。釣果に関係なく、長く憧れていた生活だった。
奥地まで往診もした。毎回が秘境観光だった。
一千メートル級の山が連なり、山の中腹から見下ろすと、川沿いの患者さん宅が米粒のように見えた。
往診はありがたがられた。知り合いに声をかけてくれたばかりか、住居を施術所に提供してくれた方もいた。
地元で最初にお世話になったのは、アパート近くの女性商店主だった。
繁華街の外れに位置し、このあたりまで来ると、斜面の勾配もややきつくなる。アパートはバス通りから吉野川に向かって降りたところにあった。
道の左右に畑が残り、サルやイノシシ除けの電気柵が張り巡らされる。都会と田舎が角 突き合わせている場所だった。
店には往診の帰りによく立ち寄って、アルコール類や酒のつまみを調達した。菓子類も並んでいて、次女がひいきにしていた店でもあった。
その女性店主は若くして夫と死別していた。義母の介護をしながら、店を切り盛りし、明るくエネルギッシュ。街の太陽みたいな存在だった。
いつものように、酒を買いに寄った。その日に限って、店主は顔をしかめ、興奮した口調だった。
「大きなヘビが畑の岸におったんよ」
山育ちの小浪は、ヘビくらいでは驚かなかった。
家に帰ると、娘が妻に話していた。
「私の脚の太さほどもあるヘビが、アパートの床下に入って行った」
多少の誇張はあるとしても、並みのヘビでないことは理解できた。
その夜、アパートの天井裏ではヘビとネズミの運動会が繰り広げられていた。さらに翌朝、それまで目覚まし時計役だったツバメの雛たちが鳴かなくなった。妻は「キュッ」という雛の声を聞いた、とも語っていた。
女性店主は小浪の住まいが完成した翌年、店を畳んだ。義母が亡くなり、亡夫の弟が遺産を相続、店を明け渡すことになったからだ。
思いやりのある店主だった。体の不自由な人や高齢者に対しては、量の多少にかかわらず配達していた。地域の支えでもあった。多くの人々が廃業を惜しんだ。
その4 居酒屋ふたたび
小浪の新居の斜め前に仕舞屋 があった。
病院と介護施設、木材工場などにも近く、昼は食堂、夜は飲み屋として繁盛していたという話だった。
新居の完成と相前後して、その店が週末の夜間だけ店を開けるという噂が広まった。小浪にはグッドタイミングだった。
「地域に飲み屋がなく、寂しい」
という酒飲みの哀切な声を受けての再開らしい。
酒のつまみは大したものがなかった。客はそれを承知して通っていた。
ママはいつも着物にエプロン姿だった。咳き込みながら煙草を吹かしていた。竹を割ったような性格で、お追従は言わなかった。
地元のことに精通し、小浪に
「いろいろ教えてあげるわ」
と言ってくれた。頼もしいパトロンの一人だった。
ママは地元中学の卒業生だった。
ただ、同級生は
「あの子、卒業アルバムには載ってたけど、ほとんど顔を見たことがなかった」
と語っていた。
何しろ、ママの生家から中学まで片道一〇キロ以上あった。しかも起伏に富んだ山道である。
日の短い初冬などは提灯を灯して家を出る。空が白み始めると提灯を消して木の枝にかけておく。帰りもだいたい同じ場所で日が暮れる。再び提灯の明かりを頼りに山道を帰って行った。
雪が降れば自主休校した。ふだんもよく休んだ。
担任が家庭訪問し、以来、彼女の遅刻・欠席を咎めなくなったというエピソードが伝わる。
「学校休んで、父ちゃんと畑に行き、いろいろなことを教えてもらった。それが今でも役に立っている」
と語り、ママはフーッと一筋、タバコを吹かした。
その5 となり村
小浪はママが赤の他人には思えなかった。
ママの生家は小浪の生まれた村の西側にあった。高い山に隔てられていて、たとえ道が残っていたとしても、二時間や三時間はかかるはずだった。
大阪に住む次兄から、気になることを聞いた。
「あの村にオヤジの身内でもおったのか、蓄音機を提げてレコードを聴かせに行っとった」
ということだった。
その蓄音機には覚えがあった。浪曲と歌謡曲のレコードが何枚か、木の箱に入っていた。ともに、持ち運び用の取っ手が付いていた。
昔は子だくさんだった。口減らしのために子どもを養子に出す親はめずらしくなかった。
「もしかして、父親の弟や妹も事情があって、養子に出されたのでは」
小浪は推測した。
その村はいち早く、いわゆる「消滅集落」になっていた。小浪の疑問を解く糸口は飲み屋のママしかなかった。
次兄の言うとおりなら、狭い村であり、小浪の父親のことは話題になっていたはずだ。しかし、次兄から話を聞いた時、すでにママは体調を崩し、となりの県に住む弟のところに身を寄せていた。もはや現役復帰することはないだろう。
(後編へ続く)
この作品はフィクションです
実在の人物・商店等とは関係がありません




