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第二百四十四話 東方平定

 ユルゲン入りから十四日目、ファラリスを無事に八意森羅から救い出した翌々日。

 レイの気持ちと同じような清々しい朝。

 レイとティアラは領主の館にいた。


「お待ちしておりました。ティオ様、クオン様」


 門前で二人を出迎えたのは執事のパトリック。

 老執事は破顔しながら慇懃に礼を執る。


「おはようございます、パトリックさん。もう皆さんは来ていますか?」

「勿論でございます。女王陛下をお待たせするわけには参りませんから」

「パトリックさん。ここではティオですよ」

「そうでございましたな。ティオ様、お疲れではありませんか?今日も応接間を用意しておりますので、ごゆるりと休憩して下さいませ」

「もう!パトリックさん!」


 今回、矢面に立つのはティアラ。

 非公式ではあるが女王の公務としての来訪だ。

 目的は街の近況確認と新領主任命にあたっての調整。

 いくら非公式とはいえ、女王陛下に軽口が叩けるパトリックは中々に豪胆であると、レイは密かに感嘆の息を漏らした。



 軽い雑談を交えながら歩く事少し。

 最初に訪問した時と同じ応接室の扉をくぐるとそこには二人の男。


「お初にお目に掛かります。わたくしはワイアット=レンゲル子爵。女王陛下に拝謁できる事、恐悦至極と存じます」


 一人は右目に刀傷と眼帯の痩せぎすの猛者ノイマン。

 今日はボサボサだった長髪を梳いて後ろで綺麗に縛り、前髪をオールバックに整え、紺色をベースにした正装に身を包んでいて、まさに貴族といった佇まいだ。

 ノイマンは普段の粗暴な態度からはかけ離れた洗練された所作で、ティアラに一礼した。


「ささっ、女王陛下。立ち話もなんですからお座りください。シュターデン殿も」


 もう一人は武人らしい厳つい顔と人懐っこい笑顔が特徴的な代官ヒョードル。

 彼はいつも通りの愛想の良さでレイ達に席を勧める。


「ありがとう、ヒョードル代官。今日は非公式の訪問ですから、そんなに固くならないで」

「ははっ、お気遣い感謝致します。パトリックさん、お二人にお茶を」

「はい。本日は少々暑うございますので、冷たい紅茶で宜しいでしょうか?」

「えぇ、宜しくね」


 ティアラが談笑を交えつつ席に着き、レイもそれに倣う。

 一定の礼儀を保ちながら、リラックスした雰囲気。

 これが上流階級のやり取りなのだと、レイは慣れない空気感に、こっそり緊張していた。


「その後の街の様子は如何かしら?滞りなくて?」

「はい。エクスト社の連中で特に目に余る者達の逮捕は概ね完了しました。そのおかげで街の治安も少しずつ回復しております」

「エクスト社そのものを排除はしないので?」

「はい。今、空の悪魔に兵糧攻めをするのは得策ではありません。奴らを追い詰めて暴発させる事につながります」


 ティアラの問いにノイマンが丁寧に答えた。

 空の悪魔はエクスト社が食料を調達する事で、兵糧のいくらかを賄っている。

 現在、空の悪魔の動きはほとんどない。

 おそらく、次の作戦に備えての準備段階なのだろう。


 奴らが悠長に準備をしていられるのも食料が潤沢だからと推測される。

 そこで仮に兵糧攻めを行ったとしよう。


 奴らは食料を確保するために略奪行為を繰り返すだろう。

 レイが守れる範囲は、どんなに頑張ってもグリセリア一国がせいぜい。

 他の大陸で略奪を繰り広げられては目覚めが悪いし、グリセリアの複数個所を同時攻勢されては目も当てられない。


 はっきり言って、今のグリセリアは戦力的にも精神的にも準備不足だ。

 エクスト社を無視する事で、空の悪魔に力を付けさせる結果になるかもしれないが、こちらとしても体制を整える為の猶予が欲しいというのが実情だ。


「経済の方はどう?」

「はい。シュターデン殿が行った農業政策のおかげで食糧問題は概ね改善。農業関連の雇用が増えた事で、経済が回り始め貧困対策も少しずつ進んでいる段階です。おそらく一年も経てば、元のユルゲンと同水準に回復するでしょう」

「朗報ね。王都としても協力は惜しまないので、何かあったら遠慮なく報告してね」

「御意」


 笑顔のティアラに、ノイマンが恭しく頭を下げた。

 レイは二人の会話を終始無言で見守った。

 正直な話、政治に関しては素人の自分に口をはさむ余地は無い。

 レイが所在無げにしていると……


「女王陛下、シュターデン殿。お茶をお持ちしました」


 ノックと共にワゴンを引いたパトリックが入室。

 ワゴンの上にはキンキンに氷で冷えた紅茶の入ったガラスポットとティーカップ。


 彼が紅茶を淹れに行ってからおよそ十五分。

 どうやら、実験的に設置した湯沸かしポットと製氷機の魔道具は使()()()()()ようだ。

 ユルゲンにおける魔素の生産が滞りなく行われている証拠に、レイの口元が緩む。


 パトリックが丁寧な手つきでアイスティーをカップに注ぎ、ティアラ、レイの順番で給仕。


「ありがとう……」


 ティアラが紅茶を覗き込み、レイにしか分からないレベルで、ほんの少し眉をひそめた。


「女王陛下。ミルクとシロップはご所望でしょうか?」


 レイは澄ました顔で空間圧縮バッグから小分けに包装したミルクとシロップを取り出した。


「えぇ、お願い」


 レイが問いかけた途端、ティアラは目に見えて破顔した。

 甘党の彼女はストレートティーが少し苦手なのだ。

 レイがたっぷりのミルクとシロップをアイスティーに注ぎ、スプーンでひと混ぜすると、アメジストの紫瞳がキラキラと輝く。


「……シュターデン殿。変わったモノをお持ちだな」

「はい。女王陛下にとって糖分は必需品ですので」


 しれっと異世界の物品を持ち出したレイに、呆れ顔のノイマンが問いかける。

 何か言いたそうな顔をしているが、ティアラの笑顔には代えられないので無視した。


「コホン……陛下。話を続けても宜しいでしょうか?」

「う~ん、美味し~い……アッ!も、もちろんよ!」


 咳ばらいが一つ。

 ノイマンは遠慮がちな声で、蕩けた表情のティアラに問いかける。

 ミルクティーに夢中だったティアラも、慌てた表情でノイマンの方へ向き直る。


「……次に魔法の教育についてです。現段階ではシュターデン殿から教育を受けた者が、小さな火の玉を出したり、コップ一杯の水と作ったり、そよ風を起こしたりする程度のごく弱い魔法を使えているようになったくらいです。今後はシュターデン殿が作った教材を基に、広く魔法教育を進めていく予定です」

「学校教育……だったかしら?就業できない年齢の子供を対象に教育を無償で提供する制度。これもシュターデンの提案だったわよね」


 ノイマンの言葉にティアラが頷きつつ、レイの方へと視線を移す。


「はい。今のグリセリアは親から読み書きを習い、仕事も親か親戚から習い跡を継ぐのが一般的です。これでは国民全体に一定以上の教育を施すのが難しく、子供達の可能性を狭める結果になります。魔法もそうですが、読み書き計算などの一般的な教養も教育の専門家が教えるのが一番です」

「なぁ?シュターデン殿。仮に学校教育をやったとして、その成果はどの程度で出るんだ?」

「……魔法なら十年、一般教養なら百年といったところでしょうか」

「う~む……なんとも気の長い話だな」


 レイの提案にノイマンが渋面を浮かべる。

 勿論有用性は理解しているのだろう。


 だが今、目の前には空の悪魔という脅威がいる。

 十年後、百年後など悠長な事を言っている場合ではない。

 だが……


「レンゲル子爵。あなた方為政者は考えなくてはいけません。空の悪魔を倒した後の事を」


 レイは懇懇と諭すように語った。


「魔法は空の悪魔と戦う為だけにあるのではありません。生活に役立つ道具にもなりますし、犯罪者の武器にもなる。扱うには訓練が必要ですし、知識や道徳だって必須です。空の悪魔を倒した後、碌でもない人間が魔法を使えば、国を滅ぼす諸刃の刃と化すでしょう」

「……そうだな。シュターデン殿が魔法の扱いに慎重になるのも頷ける」


 レイの言葉にノイマンが渋面を深めた。

 彼は国内の情報に広く通じている。

 つまり空の悪魔の脅威も魔法の有用性も十二分に分かっている。

 それ故、魔法の可能性と危険性についてもすぐに思い至ったのだ。


 足を引っ張る者(フールレディオ)が無くなったおかげだろうか。

 彼を始めとして、ここにいる者全てが初めて会った時と比べて、頭の回転が速くなっているように思えた。


「勿論、女王陛下のように才能があるモノは、空の悪魔に対する有効な戦力になり得るでしょう。ですが、それでは霊術に頼り切っていた今までと何も変わらない。大切なのは国全体が一丸となって脅威に立ち向かえる体制です」


 レイは自分で言っておきながら、ハッとした。

 こんな事を言うつもりではなかった。

 今言った事は、自分がやっている事と対極にあったからだ。


 これは願望だ。

 孤独に戦う自分が生み出した理想論だ。

 自分は望んでいるのだ……

 トワを……クオンを……アヤメを……一緒に戦ってくれる仲間を……


 自然とレイの眉が下がる。


「……女王陛下。学校教育に予算を早急に組まねばなりませんな。国家の予備費で何とかなりそうですか?」

「何とかするわ。(けい)を始め、諸侯にも協力して頂く事になりますが、宜しいかしら?」

「御意」


 レイの沈んだ表情に二人も思うところがあったのだろう。

 ティアラとノイマンの言葉に力が宿る。


「最後に新しい領主についてだけど、ヒョードル代官。貴方に問います。このまま領主になるつもりはあって?」

「いえ!滅相もありません!わたくしに政治などとても……」


 ティアラの問いかけに、ヒョードルが慌てて首を振る。

 武人らしい実直さとお人好しな性格の彼に為政者としての適性は無いし、政治世界に首を突っ込みたがるとは思えない。

 ティアラもそれを理解しているのだろう。

 彼の答えに満足そうに頷く。


「では、新しい領主を貴族から迎え入れないとなりませんね。代官として、推薦したい貴族はおりまして?」


 ニコリと微笑むティアラの問いに、ヒョードルは少し逡巡した後に、ゆっくりと口を開く。


「わたくしはワイアット=レンゲル子爵を推したいと存じます」


 ヒョードルが真っ直ぐな眼差しでティアラに答えた。

 それを聞いたノイマンはギョッと左目を見開く。


「おぃ……ごほん!代官殿、ご冗談はほどほどになさい。わたくしがどういった人間かは皆ご存じでしょう?」


 ノイマンが大きな咳払いを一つ。

 普段の荒っぽい言葉を必死に飲み込み、貴族然として反論した。

 だが……


「レンゲル子爵。こういう状況だからこそです。今必要なのは平時の誠実な統治者ではない。清濁併せ吞む度量を持ち、いついかなる状況でも最善の判断ができる乱世の指導者です」

「…………はぁ~」


 ヒョードルが武人らしい強い眼差しでノイマンの左だけの瞳を見据える。

 ノイマンは彼が絶対に折れない事を悟り、大きなため息を漏らす。


「ったく。女王陛下の手前、人が目いっぱい猫被って貴族のフリをしてるってのに……そんなツラされたら後に退けねぇじゃねぇかよぉ」


 ワイアット=レンゲル子爵の顔が鳴りを潜め、ノイマン会首領が顔を出す。


「お姫様。俺のやり方でやっても構わねぇんだな?」

「えぇ、勿論よ」


 ノイマン会首領はグリセリア女王に不敬な問いを投げかけた。

 ティアラが返したのは、女王らしからぬ柔らかな笑顔だった。


「……ったく。物好きなこって」


 乱暴な言葉とは裏腹に、ノイマンの口元が楽しそうに緩む。


「だが、そのクソ度胸だけは気に入った。いいぜ、このワイアット=レンゲル=ノイマン。ワイマール領の領主として、全力で仕えさせてもらうぜ!ティアラ=グリセリア=オールドライフ女王陛下」


 ノイマンはティアラの前に跪き、首を垂れて忠誠を誓った。



 ……グリセリア歴六八二年八月。

 後に魔法歴元年と呼ばれるこの年、ティアラ=グリセリア=オールドライフは東方を平定。

 グリセリア王国は国一丸となって、空の悪魔と戦う体制が整った。

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