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第二百四十三話 オリジン

「うぅ……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 薄暗く、空の酒瓶と食い散らかされた肉と注射器が転がる汚い部屋。

 アルコールと腐りかけた食べかすのすえた匂いが漂う淀んだ空気。

 痩せこけて怯える少女の姿はレイの心を深く抉り、その元凶である醜悪で醜く太った中年オヤジに怒りと殺意を覚えた。


「うるせぇ!俺は!テメェに!稼いで来いって!言ったんだ!せっかく見つけてきた上客だったのによぉ!」

「でも……あの人……私の服を……」

「はぁ!?()()やるんだから、すっぽんぽんになるのはあたりめぇだろうが!どうすんだよ!あの野郎!渡した金返せってほざいてきやがった!」


 レイは醜悪な男の一言一句に吐き気を催した。

 もしもこの水色髪の少女がトワや杏だとしたら……そう思うとこの男を八つ裂きにしたい気持ちでいっぱいになった。


「……これが……ファラリスの記憶だってのかよ……」


 隣のジョニーもレイと同じ気持ちなのだろう。

 ギリギリと歯ぎしりする顔には明確な怒りが浮かんでいた。


「あ~ら。なんだい?逃げてきたのかい?」


 レイ達が憤慨する中、部屋の奥からクスクスと嗤うしわがれた女の声。

 そちらに目をやると、痩せぎすでくすんだ水色髪で目の下にクマを作った血色の悪い女の姿。


「あぁ!せっかくの金づるだったのによぉ!このクソガキ!どうすんだよ!もう貰った金全部、酒とクスリに変えちまったよぉ!」


 男が真っ青な表情で頭を抱える。

 そんな男を余所に女はクスクスと卑しい笑みをファラリスに向ける。


「落ち着きなって。それよりファラリス。まだキズモノにはなっちゃいないかい?」

「……うっ……うん」


 ファラリスはガクガクと震えながら弱々しく答えた。

 心なしか、さっき男に酒瓶を投げつけられた時よりもずっと怖がっているように見える。


「それは朗報。あんた、良かったね。これでウチら大金持ちだよ」

「どういうこった?」


 女の言葉に男はキョトンと首を捻る。


「実はヤクの売人から聞いたんだけどねぇ。宇宙艦隊の将校様が新しい()()()を探しているとかで。それでファラリスの話をしたら、是非買いたいって。その将校様、金払いが良いらしくねぇ~。最低でも一匹一億ガル、傷無しで器量良しなら十億ガルくらいは値が付くって話だよ」

「マジか!十億ガル!でかしたぞ!」


 嫌らしい笑みを浮かべる女と、小動物のように震えるファラリスを、男はギラギラした目で見比べる。

 金に目が眩み、欲望に塗れた浅ましい目だ。


「……私……どうなるの?」


 怯えた声でファラリスが呟いた。


「勿論、新しい()()()のところに行くんだよ」

「そうだぜ。今度は逃げ出さねぇように手足を縛っておくか」


 男と女は震えるファラリスを羽交い絞めにし、両手足を乱暴に縄で縛った。

 ファラリスは一切抵抗する素振りを見せなかった。

 きっと抵抗しても無駄だと分かっているのだろう……


 ……そして、景色は暗転した。



「いったいなんなんだよ!どうなってんだよ!いったい!」


 眉間にしわを寄せ、険しい表情をしたジョニーが吠えた。

 ファラリスが受けた惨い仕打ちと、いきなり変わった景色。

 その両方に怒りを覚えたのだろう。

 こちらとしても全く同感だ。


「ここは……宇宙船?」


 レイは周囲を冷静に観察しながら呟いた。

 窓から見えるのは(またた)く星々。

 壁も地面も天井も扉も金属製の無機質な造り。

 レイにとっては見覚えのある光景だ。


「さて、お散歩の時間ですよ」


 不意に聞き覚えのある嫌らしい男の声。

 程なく扉の一つから姿を現したのは、軍人らしくない白衣を身に纏ったメガネの男……八意森羅だ。

 レイが見たくも無い男のツラにげんなりしていると……


「わん……」


 レイは自身の目を疑った。

 八意のすぐ後ろから現れたのは、首にリードを付けられ、四足歩行をする裸のファラリス。

 その虚ろな瞳は人間としての尊厳を完全に奪われていた。


「ファラリスちゃん。お散歩できて嬉しいですか?艦内を一回りしたらご飯にしましょうね。今日はファラリスちゃんが大好きなドッグフードですよ」

「わん!わん!」


 優し気な八意の言葉に、虚ろな瞳のファラリスが嬉しそうに()()

 レイはその悍ましい光景に胃液が逆流しそうになるのを抑えるので必死だった。


「おい、シュターデン……このゴミ野郎はナニモンだ?」


 ギリギリと奥歯を噛みしめたジョニーが目を血走らせながら、レイに問いかけた。


「八意森羅……空の悪魔の首魁です」


 レイは淡々と答えた。

 ジョニーが代わりに怒ってくれたからだろうか?

 今まで感じていた吐き気が僅かに和らいだ。


「そうか……また空の悪魔をぶっ倒す理由が増えちまったぜ!」


 ジョニーが懐に手を入れ、銃を引き抜く。


「ジョニーさん!」


 レイが止めようとしたが間に合わなかった。

 銃弾が八意の眉間を貫き、八意の形をした情報を木端微塵に吹き飛ばした。


「ジョニーさん!あれはファラリスの記憶です!下手に傷付けたら!」

「うるせぇ!だったら余計にだ!あんな記憶、ファラリスには要らねぇ!」


 どうやら、ジョニーは昨日レクチャーした事をしっかり覚えていたようだ。

 記憶データを攻撃すると記憶を消去できる。

 攻撃に必要なのは、現実の力ではなく強い意思。

 初めてのフルダイブで記憶を破壊できたという事から、ジョニーの怒りの大きさが窺えた。


「あらヒドイ。私の一部を破壊するだなんて」


 不意にクスクスと嗤う少女の声が耳に届く。

 発生源は先ほどまで犬の恰好をしていたファラリス。

 ファラリスは首輪をむしり取り、ティアラに買ってもらった花柄のワンピースを纏い、醜悪な笑顔で微笑んだ。


「拷問狂か?」

「いいえ……ファラリスよ。()()()()()()


 拷問狂はレイの問いを無視し、ジョニーに少女の笑みを向けた。


「ジョニーおにいちゃん。怖いお兄ちゃんが私の事イジメるの。お願い、やっつけて」


 拷問狂がジョニーの耳元で吐息混じりにそっとささやく。

 少女らしからぬ妖艶な声にジョニーの動きが止まる。


「あぁ、ファラリス……分かったぜ。」

「拙い!マインドハッキング!」


 甘い声の精神攻撃がジョニーを襲う。

 虚ろな彼の右腕が操り人形のように銃口をレイに向ける。


「シュターデン。ここは引いてくれねぇか?」


 ジョニーの言葉にレイの動きが止まった。

 虚空を見つめジョニーの銃口が、レイから天井へと向きを変えたからだ。


「エッ?お兄ちゃん、どうして?どうしてアイツを殺してくれないの?」


 拷問狂が困惑しながら、ジョニーの腕にすがり、甘えた声で問いかけた。

 あの声が洗脳のトリガー。

 少し離れたところで聞いている自分でさえ、頭がクラクラするのだ。

 このままではジョニーが……


「ファラリス。お前が消したいのはシュターデンか?それともお前をイジメるクソ野郎共か?」


 ジョニーは耐えた。

 ギリッと歯を食いしばり、拷問狂に問いかけた。


「違うだろ?お前はただ優しくされたかっただけだ。だから俺様を()()()()()()。そうだろ?」


 ジョニーは銃弾を全て天井に撃ち放ち、空になった銃をポイっと地面に投げ捨てた。


「な……なに勘違いしてるの?気色悪い……私はお前を殺そうと……」

「いいや!お前は俺様を助けてくれた!お前の中に潜むあのどす黒い八意(あくま)から!」


 ジョニーは拷問狂(ファラリス)をギュッと抱きしめた。


「バッ!やめろ!汚い手で触るな!本当に殺すぞ!」

「へへっ……できもしねぇ事を言うもんじゃねぇぜ」


 ジョニーはジタバタを暴れるファラリスをあやすように、優しく頭を撫でた。


「やめろ!優しくするな!どうせお前だって裏切るんだ!私の事イジメるんだ!」

「しねぇよ、そんな事。それよりも今度一緒に山に行かねぇか?俺様の故郷はド田舎でなぁ~。裏山が庭みてぇなもんで、そこで虫取ったり、木に登ったり、野生の果物とったりして遊んでた。ユルゲンのすぐそばに手頃な山もあるし、どうだ?」

「うるさい!そんな事言って、また私を騙す気だ!嘘つき!嘘つき!嘘つき!嘘つき!」


 ファラリスは駄々っ子のように泣きじゃくり、ジョニーの腕の中で暴れ回るが、その手足は見た目通りの少女らしくか弱い。


「うぅ……うわぁああああああああん……放せ……放して……放してよ…………私は《《おじさん》》を傷付けた……ティオお姉ちゃんをイジメた……たくさんの人にヒドイ事した……私なんて……死んじゃえばいいんだ」


 流した涙がファラリスの心の闇も一緒に洗い流す。

 虚ろな拷問狂の淀んだ目は鳴りを潜め、琥珀色の瞳に光が戻る。

 彼女の口からは後悔と懺悔と耐え難い罪悪感。

 ファラリスはずっと見ていたのだ。

 拷問狂が何をしてきたのかを……


「…………」

「…………」


 ジョニーは無言で少女の細い体をギュッと抱きしめた。

 ファラリスの強張った身体から力が抜け、只々ジョニーにされるがまま……それが二人の答えだった。


「シュターデン……まだどこかに潜んでるはずだ。ファラリスにおかしな事を吹き込んだ元凶が……」


 ジョニーは小さく呟いた。

 腕の中で嬉しそうに目を細めるファラリスの頭を撫でながら、氷の刃のように鋭利な怒りの声を……


「アス!」

『了解』


 ジョニーの声に呼応したレイが、アスに命令(オーダー)を下した。

 アスのレーダーが一瞬にして電脳空間を隅々まで走査する。


『ファラリスの後方に足を引っ張る者(フールレディオ)と同質の洗脳電波を検出。映像化します』

「これは……」


 アスの言葉と共に、レイは感嘆の声を漏らした。

 淀んだ黒い靄とそれを放つ八意森羅……そして、ファラリスを包み込もうとする黒い靄を遮るジョニーの身体からは淡く白い光。


「魔法……なのか?」

『肯定。ジョニーは神聖魔法によく似た防御魔法で、ファラリスを守っています』

「…………」


 レイは驚きで言葉を失った。

 ジョニーは魔法の存在は知っているが、魔法の訓練は一切受けていない。

 しかもこの世界にはまだ神聖魔法の源泉である魔素の集合体()は存在しない。

 ここから導き出される答えは一つ……


「神の根源(オリジン)


 元居た時代の神を見たことが無いので、これはあくまでもレイの仮説なのだが、神は四大精霊同様、強い精神力を持った人間の人格を核とした魔素集合体だと思われる。

 ただし、神は四大精霊以上の超巨大魔素集合体である為、その人格に要求される精神力は計り知れない……


「おい!シュターデン!さっさとしろ!」


 ジョニーの鋭い声でレイは我に返る。

 思考を中断し、黒靄を放つ八意森羅に意識を向ける。


「〈フォトンガン〉」


 レイの指先から一条の光線。

 光が嫌らしい笑みを浮かべる八意森羅の眉間を貫く。


足を引っ張る者(フールレディオ)の消失を確認。拷問狂及び八意森羅のデータの完全消去を確認。任務完了、お疲れ様です』


 割れる景色。

 無機質な宇宙船は音も無く崩れ去り、淡く優しい光がレイ達を包み込む。

 静寂の中、アスの淡々とした労いの言葉が、少女の悪夢の終焉を告げた。

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