5
兵士達は全員、床にうずくまっていた。俺はしゃがみ込んでいる少女を見つめ「逃げろ」と呟く。
彼女はビルの裏口から、外へ走って逃げていった。
さっきの銃声に気づいたのか、外にいる兵士達が、こちらに向かって来るのが見える。
デイジーは舌打ちすると、窓から壁伝いにビルの屋上まで一瞬で駆け登った。屋上から黒髪の少女の姿が見える。
「……よかった」
今回の件で、俺は軍を追われるかも知れない。
だがこの腐りきった戦場の中で、自分は数少ない善行をしたのだと思うと、さしたる後悔は無かった。
銃声が響いたと同時に、少女が倒れるのが見えた。地上の方から「ナイスショット」と下卑た叫びを上げる声が聞こえる。
デイジーは俯いた後、虚ろな瞳で灰色の雲に覆われた空を仰ぐ。
「神様……狂ってるのは俺か?それとも世界か……?なぁ、教えてくれよ……」
翌朝、デイジーは軍のキャンプから姿を消す。彼が居たテントには先日、黒髪の少女を撃った兵士が叩きのめされ横たわっていた。
とぼとぼと彼は道を歩く。また寄る辺を失った。いや、最初からそんなものは無かったのかもしれない。
軍服は目立つので、道中で買った洋服に着替えていた。彼の財産といえば軍から支給されていた僅かなお金、肩がけのバックに入っている数冊の本、クラシック集が詰め込まれた音楽プレーヤーのみだ。
道の反対側から、デイジーより幼い子供が両親に手を引かれ歩いてくる。
子供は嬉しそうに、クリスマスプレゼントを両親にせがんでいた。
家族連れが通り過ぎた後、彼は「くそ」と憎たらしそうに舌打ちした。
湧き上がった嫉妬心が、無意識の内に声に漏れたのかもしれない。
さっきすれ違った子供が無性に羨ましかった。自分に両親はいない。愛情を受けたこともない。
代わりに与えられたのは、サディストの叔父による虐待と禁術だ。その禁術を用いて、戦場で活躍出来るかもしれないという、デイジーの期待も水泡のように消えた。
残ったのは人を殺したという罪悪感と、醜く争い合う人間達への絶望感だけだ。
もし神が本当に存在するなら、何故こんな苦しみを与えるんだと罵ってやりたい。そして、その横っ面を思い切り殴り飛ばしてやりたかった。
デイジーの足は自然と、生まれ育った故郷に向かって進む。
ユリに会いたい。今の自分には、それしか思いつかなかった。だが彼女は、俺のことを覚えているだろうか。
孤児院で別れてから、もう五年近くの月日が流れている。
——いや、そんな事はどうでもいい。ユリを一目見れさえすれば、それで良かった。
地図とコンパスを頼りに、彼はチルア島を一路目指した。
スマートフォンがあれば便利なのだろうが、軍から支給されたスマホは使用不能なので捨てた。
使用すれば「どうぞ、追跡して下さい」といっているのと、同義だからだ。
かと言って新しく携帯を買うお金など、デイジーは持っていない。
道ゆく人が携帯を必死に操作しながら歩いている場面をたびたび見かけた。
そうした光景を見てデイジーは思う。携帯は彼らにとって、そんなに熱中するほど楽しいものなのかと。
「文明の利器は、人の生活を豊かで『便利』にするが、人間を『幸せ』にしてくれる訳では無い」と言った少尉の言葉を、デイジーは思い出した。
だが、自分にお金があればきっと彼らと同じように、歩きスマホなるものをするだろうな、とデイジーは自嘲する。
「俺はいつから、こんなに自問自答をするようになったんだ」
彼は蚊の鳴くような声で呟いた。
金銭面で電車などの交通機関が使えない為、デイジーの旅路は、ほぼ徒歩での移動となる。
ときおり、親切なドライバーが車に同乗させてくれたが、乗せて行って貰える距離は限られていた。
もっとも彼には、身体能力を極限まで高める禁術がある。それを使用し、徒歩でも相当な距離を高速で移動することが出来た。
途中、敷かれていた検問や国境のフェンスも、禁術でやすやすとすり抜ける。
歩き疲れた時は、橋の下や公園のベンチで眠った。
チルア島にたどり着く頃には、季節は夏に移っていた。彼が真っ先に向かったのは幼少の頃ユリと共に過ごした孤児院だ。
院長はデイジーのことを覚えていたようで、会うなり喜色を浮かべ抱擁してきた。
「ベントレーじゃない!元気にしてたの?」
「……ええ。まぁ。ユリはまだここに居ますか?」
彼は院長に訊いた。
院長は首を横に振る。彼女は俺が叔父に引き取られた少し後に、描画具現の能力が確認された事でピクチャー協会に引き取られたそうだ。
デイジーは院長に礼を言うと、島の南東にある協会支部に向かった。




