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黒スーツの男とチンピラを警察に引き渡した後、気を失ったユリと怪我を負ったローランドは、救急車で病院に搬送された。
「先生、ありがとうございました」
病室から医師に続いて、ハワードが出て来た。
外で待機していたジュリアが、ハワードに声を掛ける。
「……ユリの容体は?」
「大丈夫なようだ。極度に疲労しているが暫く休養すれば、すぐ元気になると先生も仰っていたよ。問題なのは、身体よりも心の方かな……」
「私がもっと早く、あそこに駆けつけていたら……」
「いや、ジュリアちゃんは通常業務をこなしながら、ユリちゃんの様子を見てくれていたんだ。責任があるとすれば、僕の方だ」
「いずれは、このような事態が起きると思っとったわ。起こるべくして起こった。誰の責でも無い」
隣にいたクラーク教官が、ハワードとジュリアに声を掛ける。
「ローランドの怪我は?」
ハワードがジュリアに尋ねた。
「思ったより軽傷のようです。お医者様に診てもらった後、今はピクチャー協会の自室で休ま
せています」
「そうか、じゃあ二人とも通常業務に戻ってくれますか。大丈夫! ユリちゃんのことは、彼女が目覚めてからまた考えましょう」
ハワードの言葉に、ジュリアも渋々納得し、病室から離れて行く。
「——あの」
ハワードが振り向くと、デイジーが深刻な表情を浮かべていた。
「やあ、デイジー。今回の件は大変だったね。ユリちゃんの事は心配しなくても——」
ハワードが言い終わる前に、デイジーが口を開いた。
「ユリの……あの能力は、一体何なんですか?あの地震は、彼女が引き起こしたんですか?あんな能力をユリが持っていたなんて……。支部長、お願いします!彼女の、ユリの事を俺に教えてください!」
デイジーは激しい剣幕で、ハワードに詰め寄った。
参ったな、とハワードは頭をかいた。
だが、彼も知っておくべきかもしれない。
「わかった。ユリちゃんの能力は、君自身の存在にも、大いに関係するかも知れないからね。だが、今から話す事は、絶対に他言無用だ。約束出来るね?」
デイジーは真剣な眼差しで、ハワードを見ながら、黙って頷く。
その時、ユリの病室の扉が開き、看護師が出て来た。
「ピクチャー協会の方ですよね。お連れの方が目を覚まされましたが、少しお話ししますか?」
二人が病室に入ると、水色の病衣を着たユリが、ベッドの上で上半身を起こしているのが見えた。
「ユリ、大丈夫か?」
デイジーが、彼女の傍に駆け寄って行く。
「……デイジー」
ユリと目が合った瞬間、彼は全身が総毛立った。
デイジーの瞳に映るユリは、彼が知っている人間とは、まるで違っていた。
彼女は感情の通っていない、蝋人形のような表情で、デイジーを眺めている。
「……ユ、リ」
まるで、砂漠のど真ん中に投げ込まれたように、喉から一気に水分が蒸発し、まともに声が出ない。
彼の呼び掛けに応じず、ユリは凍りついた無表情のまま、虚空を見つめていた。
彼女の瞳は、奈落の底を思わせる闇に沈んでいる。身体の震えが止まらなかった。
——ユリがこんな表情で俺を見るなんて。俺は彼女の何を知っていたのだろうか?否、知ったつもりになっていただけだ!
くそ、くそ、くそ——。俺は、俺は。ただの大馬鹿野郎だ!!
ユリがゆっくりと瞳を閉じ、起こしていた上半身をベッドに戻した。
看護師が駆け寄ってきて、ユリの様子を診ている。
「大丈夫ですよ。疲れて眠っているだけです」
後ろからハワードが、デイジーの肩に手を乗せた。
「心配なのは良く分かるけど、今はゆっくり休ませてあげよう。さっきの話の続きは、帰りがてらするよ」
ハワードに促され、デイジーはユリの病室を後にした。
目覚めると、真っ白な天井が見えた。ユリが身を起こす。手首に点滴の針が刺さっている。
彼女は針を引き抜き、病室のベッドから這い出した。この病衣では、流石に目立ってしまうだろう。
病衣を脱ぎ、私物入れに置いてあった、協会の制服に着替えた。
「……行かなきゃ」
ユリは無表情のまま、暗く、重く、呟いた。
雲が灰色に染まり、雨が降り出す。
ハワードが運転する車が協会支部に近づいた時、携帯が鳴った。
正門近くに、車を一時停車させ電話に出る。数秒後、彼は素っ頓狂な声をあげた。
「病室にユリが居ない!?」
助手席に乗っていたデイジーが、ハワードを凝視した。
病院から掛かってきた電話によると、見回りをして居た看護師が、ユリの病室をチェックした時、すでに彼女が居なくなっており、病院内をくまなく探しても見つからないらしい。
「……何て事だ、デイジー。これから協会に戻って、手の空いている生徒達に協力を仰ぎ、ユリを手分けして探すことにする。君も——」
言い終わる前に、デイジーは車から飛び出していた。
後ろから、何やら怒鳴っているハワードの声が聞こえる。
病院からの帰り道、ハワードからユリが引き起こした現象を聴いていたデイジーには、彼女が向かう場所の検討がついていた。
いや、直感というほうが近いかもしれない。
「ユリ!」
デイジーは唇を噛み締めながら、雨の中を駆けた。




