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月日は瞬く間に流れ、暑かった夏が過ぎ季節は秋になっていた。
協会の敷地内にある木々も、生命に溢れた緑から徐々に色を紅く染めていく。
ユリは自室のベッドで目を覚ました。まただ。あの岬の夢。孤児院で過ごしていた時の夢。
以前よりそれらの夢をみる回数が増えた。夢に出てくる場所に、私は間違いなく居たはずだ。
なのに、その頃の記憶を鮮明に思い出す事が出来ない。まるで記憶にフタがされているように。
ユリはベッドから抜け出すと、テーブルに置いてあったコップに水を注ぎ、一気に飲み干した。
時計を見て朝の六時だとわかった。窓のカーテンから差し込む朝日を浴びながら彼女はガラス窓を開ける。
協会から一キロほど離れた場所に見える海に突き出た岬。もう少し、もう少しで何か思い出せそうなのに。もしかしたら私は《《それを思い出すのを恐れている》》のかも知れない。
ユリの心臓がまた、ちくりと痛んだ。
その日の昼間、デイジーとローランドは本館のトレーニングルームで組手試合をしていた。
「ま、参った……」
デイジーの突きが胸の前で止まると、ロンはその場にへたり込んだ。
「お前やるな、まるで敵わねぇーよ」
デイジーが手を差し伸べるとロンは不服そうに、その手を掴んで立ち上がった。
「ロン、デイジー」
トレーニングルームの外から、ジュリアが二人に声をかけた。
「ジュリアさん。おはようございます」とデイジーは挨拶を返す。
「デイジーも武術の心得があるんだね」
彼女は、にこやかな表情を浮かべ二人の元にやってくる。
「ジュリア先輩、こいつマジ強いすよ。絶対、強壮剤とかプロテイン毎日飲んでますよ」
何故かローランドの言葉に棘を感じたが、デイジーはスルーした。
「へぇー、そうなんだ。ねぇ、デイジー。今度は私と組み手しようよ」
ジュリアの提案にデイジーは困惑したが、それを尻目にジュリアは女子更衣室に向かって歩いて行く。
そして協会が支給している女子用の赤いズボン、白いスポーツシャツを着て戻ってきた。
「じゃあ、デイジー。いくよ!」
彼女が上段受けの構えをとる。デイジーは観念した様子で構えた。ジュリアはその直後、鋭い速さで正拳突きを彼に打ち込み、続けて回し蹴りを浴びせた。
彼はその攻撃を両腕でガードしたが、間断なく連携技を繰り出すジュリアの技を防御するのが精一杯だった。
「すげぇ!さすがジュリアさん。チルア島内、空手チャンピオンなだけあるな」
周りで武術のトレーニングをしていた他の生徒たちも、ロンと一緒にデイジーとジュリアの試合に魅入っている。
ジュリアは息つく暇も無く、彼に突きや蹴り技を打ち込んでいたが、やがて動きを止めた。
「デイジー、あなた手を抜いているよね。私が女だからかな?」
ジュリアは微笑みながらも、射抜くような視線をデイジーに投げかける。
「いや、そんなことは……」
「遠慮しなくていいよ。どうせ、このままじゃつまらないし」
彼女の挑発を受けたデイジーは、ため息をつく。
「分かりました」
そう答えると彼は片足を少し上げ、とんとんと何度か床を鳴らした。
次の瞬間、デイジーの姿が消えジュリアの体勢が崩れる。一瞬でジュリアとの間合いを詰めた彼は足払いをかけていた。
ジュリアは反応し切れず床に手をついたが、すぐに起き上がり彼と距離を開けようとバックステップする。
が、そこにデイジーの回し蹴りが飛んできた。彼女が肘でその蹴りをガードする。蹴りの威力が、空気と彼女の右腕を震わす。
「——はっや」
ジュリアは呟きながら、なおも後ろに下がった。
デイジーはその間合いもすぐに詰め、目にも止まらぬ速さで彼女に技を繰り出し続ける。ジュリアはその攻撃を防御するので精一杯の様子だ。
「すげぇな、おい」
「ジュリアさんが押されてるの、初めて見たよ」
「あのデイジーって奴、何者だ?」
二人の試合を観戦していた生徒たちが騒つき出す。
ジュリアに連打を繰り出しながら、デイジーは違和感を覚えた。
おかしい。彼女は俺の攻撃に反応し、殆どの技は防御される。だがその中で確実に『入っていた』蹴りがあった。だがその蹴りは彼女に届かず、当たる前に《《見えない壁》》のようなものに止められた。あれは一体何だったんだ……?
しかし彼女が本気でこいと言った以上、あまり手は抜けない。
彼女がカウンター気味の突きを放った。デイジーはそれを避けつつ、回し蹴りをジュリアの脇に放つ。——決まった!そう思った時、デイジーの足に衝撃が走る。
見ると、自分の足が彼女の手前で『止まっていた』。
——直後、自分の放った蹴りの衝撃がダイレクトに跳ね返り、デイジーは数メートル、吹き飛ばされた。
「ごめーん、うっかり能力使っちゃったよ。私の反則負けだね」
ジュリアは両手を合わせ、デイジーに謝罪した後、一礼しそのまま更衣室の方に行ってしまった。
床に倒れていたデイジーは、何が起こったか分からず呆然としている。そこへロンが近づいて、声を掛けてきた。
「お前、やるじゃん。まさかジュリア先輩を負かすなんてさ!」
「……え?いや、今のが勝ったといえるかどうか——」
デイジーは、着替え終わって、トレーニングルームを出て行くジュリアを、ぼんやりとした顔で見送った。




