2
デイジーが支部に来てから三ヶ月が過ぎた。当初、監査官という肩書きもあり誰とも親しくなれなかった彼も、ユリを通じて同年齢のローランドやアンナ、カスミ達と徐々に打ち解け始める。
デイジーは寝泊まりを別館二階、男性フロアの一室でしていたが寮生でもない者が別館を利用する理由については、ハワードが皆に本館の職員用部屋に空きが無い為との説明をした。
晴れて中級能力者に昇格したユリ達は、ピクチャー協会にくる依頼を次々とこなしていく。
だが難易度の高い業務は当然、ジュリアや他の上級能力者達に限って振られていた。
ある日、デイジーはローランドに「娯楽室で一緒に遊ばないか」と誘われた。
デイジーは彼の意外な申し出に当初、困惑する。何故ならローランドは初対面で彼の顔を見るなり露骨に不機嫌な顔をしながら「チッ」と舌打ちをしたからだ。
彼に嫌われているとデイジーは思っていた。
だからこそ、ローランドの誘いは彼にとって青天の霹靂だった。
「王手!」
「くっ……」
デイジーとローランドは別館の一階にある娯楽室で将棋をしていた。
部屋は五十平方メートルの広さで、インターネットに繋がったデスクトップやノートパソコン、ヘッドフォン付きのテレビが数台あり、スペースごとに間仕切りされている。
また室内遊戯であるダーツやビリヤードなども置かれてあるこの娯楽室は一見するとネットカフェのようだ。
ローランドがにやりと笑いデイジーの表情を伺う。デイジーは将棋の教則本を片手に持ちながら顔を歪ませている。
デイジーは王将の駒を右に移動させた。
ローランドは即座に金将をデイジーの王将に詰める。
「王手」
「うぅ……参りました」
「これで俺の二十戦全勝。にしてもお前、全然成長しないな。こっちは飛車角落ちでやっているのに」
ローランドは得意げな表情で、テーブルに置いてある紙に二十個目の棒線をひいた。
「……このゲーム、奥が深いな」
「まぁね、戦術はチェスと似ているとこもあるけど。この日本将棋ってボードゲームは、ユリやカスミの故郷で作られたらしい」
「へぇ」
デイジーはテーブルに置いてある紅茶をすすった。
「デイジーってさ。普段読書とか良くしてるの見かけたから頭良いイメージあったんだけど、そうでも無いんだな」
ロンは、テーブルのお皿に乗ってあるチョコレートの包みを外して口に投げ入れた。
「うるさいわっ!」
デイジーは機嫌を損ね、そっぽを向く。彼はふとテーブルに置いてある紙に目をやった。
「なあ、ロン。さっきお前の部屋に寄った時にさ、壁に書道半紙と墨汁ってので『リア充 炸裂しろよ』って書いた紙、飾ってただろ?」
「ああ、それがどうかしたか?」
「描画具現者って『文字』は具現化出来ないのか?」
それを聞いたロンは、またも得意げな顔になる。
「出来なくはないよ。たださ、そもそも文字を具現化したって何の役にも立たないだろ?まぁ見せた方が早いか」
彼は棒線を書いていた紙を裏返すと、そこにボールペンで板チョコの絵を描いた。
しかし板チョコは一向に具現化する様子が無い。
「こんな風にさ、描いたものがすぐ具現化する訳じゃ無いんだよ。もっと正確に言えば、俺が『この板チョコを今、具現化する気がない』って事かな」
彼の説明にデイジーは手を顎に乗せ、うなった。
「具現化する際には、その絵を描いた本人の具現化したいってイメージが必要なんだよ。ほら念じるぞ」
ロンがそう言うと、紙に描かれた板チョコが淡い光を放ちながら紙上から浮かび上がり、実物の板チョコが実体化されテーブルの上に落ちた。
「こんな感じで描いた絵に後からイメージを乗っけて具現化することも出来る。この作用を上手く使って、あらかじめ自分が描いておいた紙を持ち歩き、とっさの時に具現化したりもする。緊急の場合、紙に描く時間すらロスになるからな。まぁ、そうした描画具現能力のコントロールが出来るように、このピクチャー協会で訓練してるんだけどさ」
ロンは具現化した板チョコの包みを破り二つに割ると片方をデイジーに差し出した。
デイジーはロンから受け取った板チョコをかじる。
「普通にチョコだな」
「何だよ、普通にって。まぁ、味は間違いなくチョコだ。甘くてほろ苦いチョコレート。でも俺は、チョコレートの詳しい原材料や作り方なんか知らない。でも具現化出来た。何故だと思う?」
ロンの問いにデイジーは少し考えた後、「チョコの味を実際に知っているから?」と返した。
彼は人差し指を立てると「おおむね、正解」と答えた。
「今食べたチョコが美味しいとお前の味覚が判断できるのは、俺がチョコを具現化する際に甘くてほろ苦いチョコレート』ってイメージを付加しているからだ。実際に俺がチョコの味を知ってるのも、もちろんある。仮に俺がもっと詳細にチョコの作り方や材料の事を熟知してたら、この板チョコをもっと美味しいチョコに変えることだって出来るかもな」




