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「ユリ、だいじょうか?」
「はい……何とか」
二人は街の間を流れる河川敷の原っぱにいた。
屋根を何軒か飛び越えた先に流れる、タイーノ川に着水した後、ユリとデイジーは泳いでこの河川敷にたどり着いたのだ。
「本当に死ぬかと思いました。でもアトラクションに乗った感じで、少し面白かったです!」
「そりゃ、何よりだ」
ユリはずぶ濡れになったカーディガンを脱いで、軽く手で絞った。陽はとっくに落ちており河川敷に設置された照明が二人を照らしている。
デイジーが何気なく、ユリのずぶ濡れになった服に目をやると薄ピンクの下着が透けて見えていた。デイジーは、とっさに自分が着ていたジャケットをユリの肩から被せる。
「デイジー、ありがとう」
ユリは幼女のような無垢な笑みを浮かべた。デイジーは恥ずかしそうに顔を背ける。
「……私、阿呆なんです」
彼女は突然、沈んだ声で呟いた。
「阿呆?」
「色んな部分が抜けているっていうか……。他人の言ったことが理解できなかったり、変な事を口走ったり。私、子供の頃の記憶とかも曖昧だったりするんです」
ユリは言葉を一度切った。
「お医者様は、描画具現能力によって脳に負荷が掛かった際、記憶障害が生じた可能性があると仰ってるんですが。時々、凄く怖くなることがあります。自分の頭が欠落しているんじゃないかって……」
ユリは月明かりに照らされた川の流れを見つめながら、たどたどしくデイジーに語る。
「私は生まれて間も無く母が亡くなり、父も大戦で死んで家族は居ません。ずっと孤児院で十歳まで暮らしていました。それから描画具現者の素質が認められて、今の協会支部に入りました。こんな私でも……ピクチャー協会のみんなは優しくしてくれます。それが私はとても嬉しいんです。あの支部は私の我が家で、そこに居るみんなは私の『家族』なんです」
暗かった彼女の表情は、陽が昇るように明るくなる。デイジーはそれを見て笑顔でユリに声をかけた。
「そうか、それは良かったな」
「はい!」
彼女は色白の頰に、えくぼを作りながら笑う。
「それとさ、ユリは阿呆じゃないよ。ブルックス家で仕事をしていたユリを見てて、そう思うよ」
「そうだといいんですが……」
「人間は泣きながらこの世に生まれてくる。阿呆ばかりの世に生まれたことを悲しんでな」
「あ、その台詞。どこかで聞いたことあります!えーと確かイギリスの劇作家で名前が……」
「うん?」
「えーと、あ!思い出した!《《シェイクハンド》》さんです!あの方は本当に凄いですよね。手を振りながら、あれだけ素晴らしい劇作を生み出したなんて!」
——そんな事出来るヤツ、この世にいねーよ!!
デイジーが急に笑い出したので、ユリはビックリした。デイジーが「なんでもないよ」と言うと、彼女は安心したように微笑を浮かべながら腕時計を見る。
「もう支部に帰らないと……先に携帯で連絡しますね。デイジーの事も、きちんと説明しなくちゃ」
ユリが防水機能付きの携帯電話を制服が入った袋から取り出そうとした。
デイジーはブルックス家を出た後、ユリに言いかけた言葉を思い出す。
「なぁ……ユリ」
ユリは携帯を手に取りながら、彼の方を向いた。
「描画した人間が数十分で消えるんだとしたら……。何で『ユリに描かれた俺』はずっと消えないままなんだ?」




