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急所に一撃食らって倒れていたイカつい男が、上半身を起こしてスマートフォンを取り出すと、誰かに電話をかけた。
「くそっ。よくもやりやがったな!おい、聞こえるか。全員で奴をぶちのめせっ!!」
どこからともなく、バイクの爆音が聴こえ出す。
「なんかヤバそうな雰囲気だな。ユリ、しょうがない。逃げるぞ」
デイジーはユリの手を握り、走ろうとしたが、二、三歩でユリは立ち止まった。
「ごめんなさい。私、心臓が弱くて走れないんです」
「そうだったのか……。すまない」
「居たぞ!あそこだ!」
イカつい男の仲間らしき連中が、路地の先からこちらを指差している。
「くそっ!」
とっさに彼女を抱きかかえると、デイジーは路地の反対方向に走りだした。
「逃すな!奴らを捕まえろ!」
背後から男たちの叫び声が飛び交う。デイジーはユリを抱きかかえながら街の中心に向かって必死に駆け続ける。
「——たし」
微かにユリの声が聞こえた。
「え……?」
「私、生まれて初めてお姫様抱っこされました!」
デイジーに抱えられたユリがいきなり恥ずかしげに大声をあげた。
「私、生まれて初めてお姫様抱っこされちゃいましたっ!!」
彼女は顔を真っ赤にして、なおも叫んだ。
「ごめん、悪かった!謝ります!!頼むから、今は静かにしてくてくれ!」
デイジーもなんだかこそばゆい気持ちになったが、相手に手を出せない——ユリの暴力はいけません!縛りがある——以上は彼女を連れて逃げるしか方法がない。しばらく走ると道路の物陰にユリを下ろして身を潜めた。
「さ、さっきはごめんなさい……」
ユリは紅潮したままデイジーに何度も謝罪した。
「いや……それは大丈夫なんだけど……さ。ユリ、パイクとか具現化することって出来るかな?」
デイジーは息をぜいぜい吐きながらユリに尋ねる。
「バイクですか?はい、出来ますよ!」
「じゃあ悪いけど頼む。ユリを抱えながらだと、とても逃げきれないからさ」
ユリはケースから画用紙とペンシルを取り出すと、座り込んだままの姿勢でバイクを描き始めた。
周囲からは、男達の怒声やオートバイの爆音が響いている。
「デイジー。出来ました!」
「お、でかした」
辺りの様子を伺っていたデイジーが振り向くと、自転車が具現化されていた。
「おぉ、これこれ。これを待ってました!——ってチャリかよっ!!」
しかもあれだ。これはいわゆる《《ママチャリ》》だ。
「え、でもバイクって、デイジーが……」
「俺が言ったのは、ちゃんとエンジンが付いてるバイクのことなっ!これバイシクルだから!」
「いたぞ!あそこだ!」
男達がオートバイのヘッドライトを二人に向けた。
「もういい。ユリ!後ろの荷台に乗って!」
ユリが横坐りの姿勢で自転車の後部にあるキャリアに座る。
「しっかり掴まってろよ!」
デイジーはサドルに座るとお尻を浮かせ、物凄い勢いでペダルをこぎ出した。
後ろから爆音を響かせオートバイに乗った男たちがデイジー達を追ってくる。
「デイジー。私、自転車で二人乗りするのも初めてなんです。楽しいですね、二人乗りって」
ユリはデイジーの後ろで、幼い子供のように無邪気にはしゃいだ。
「そうかい。楽しんで貰えて俺も光栄だよ!」
デイジーは汗だくになりながら必死に自転車を漕いでいた。
「おい!下り坂でもない平地の道路なのに、何で二人乗りの自転車に追いつけねぇんだ。もっと飛ばせ!」
オートバイに二人乗りしていた後ろの男が運転手に叫んだ。オートバイのメーターは《《七十キロ》》をさしている。
デイジーは相変わらず凄まじい速さでペダルを回転させ、自転車とオートバイの差は一向に埋まる気配がない。やがて道路が急カーブに差しかかった。
「このスピードだとあのカーブは曲がり切れない。ユリ、俺の体にしっかり掴まれ!」
デイジーが前方のカーブを見ながら言うと、ユリは両腕で彼の体をしっかりと握る。
自転車は道路のカーブを、そのまま直進し木製の柵を突き破り、空中に飛んだ。
「うわああああああああぁあぁっ!」
「きゃああああああああぁぁっ!」
二人の口から自然と大声が出る。自転車はそのまま道路脇の崖下にある赤橙の屋根瓦に落ちていく。
屋根に着地する瞬間、ユリがデイジーにしがみつきながら、固く目をつぶった。
すると自転車は『視えない空気のクッションに包まれた』ように、ふわっと浮き上がりタイアは道路から《《三十メートル下の屋根》》に着地することに成功した。
「嘘だろ……」
道路のカーブで急ブレーキをかけ止まったオートバイの男達は、その光景を呆気にとられて眺めている。
自転車は屋根を走りながら小路を飛び越え隣家の屋根に移りながら、やがて見えなくなった。




