100.神様は、少々私に手厳しい!
沢山の人が私達を見ている。
沢山の人が私達を見て静まり返っている。
しんっとしているのに、人の気配だけがざわめきとなって伝わってくる。それほどの数が、いま、ここに集まっているのだ。
皆が、私の言葉を待っている。
私は、緊張で渇いた口の中で何度もつばを飲み込んで、ぎゅっとルーナの手を握り直した。
「ルーナ! 結婚を前提として結婚してください!」
「喜んで」
わあああと地が割れんばかりの歓声が広場を覆う。
「…………それ、正に結婚式の真っ最中に言うべきことか?」
呆れかえったアリスの声も、重なった誓いのキスで更に膨れ上がった歓声に埋もれて、間近にいるのに聞こえなくなってしまった。
「カズキ様、おかわり!」
「カズキ様、おかわり!」
「カズキ様、おわかり!」
「カズキ様、おかわり!」
次々に上がっていく手を前に、私は全身のバネを使って大きなばってんを作った。
「一杯のみであるよ! そして、一人、分かられた人がいたよ!」
「そこをなんとか!」
「二杯の半分ならば宜しいよ!」
「結局一杯!」
どっと上がった笑い声にほっとしたら、後ろからおかわり合掌が聞こえてくる。酔っ払い、一回言っても聞きゃしない。
「一杯のみであるよ――!」
絶叫した私の周りにいた兵士達が割れていく。屈強の歴戦の勇者たちが跳ね飛ぶように道を開けていく先にいたのは、新品の十円玉みたいに輝く髪をした美しい少女だ。少女というよりは女性に近く、女性というよりは少女に近い十七歳。すらりと伸びた手足に、成長とともに消えたそばかす。美しい凛とした瞳はそのままの、とっても可愛い女の子。
「カズキ、花嫁が花婿放って給仕しちゃ駄目だよ」
「リリィ!」
私は、おかわりを求める手に柄杓を渡し、酒樽の前から飛び降りた。
リリィの髪には、私が投げたブーケの花が何本も飾られている。
「リリィ、可愛い! とてもお似合い!」
「ありがとう、カズキも綺麗だよ」
花嫁、ブーケを振りかぶって、投げたぁ!
翌日、新聞の表紙を飾ったテロップを知る由もない私は、可愛く美しいリリィにうっとり見惚れた。
リリィは十七歳になっていた。私達が向こうで過ごした五日間で、こっちは四年経っていたのだ。凄まじいずれに、肝が冷えた。次の満月まで半月後とかだったらと、考えるだけでも恐ろしい。
「あれ? ユアンは?」
「向こうで腕試合大会やってるから、ユリンと混ざってるよ」
指さされた先では、やけに人が集まってるなと思ったら腕相撲大会していたらしい。当然のように混ざっているティエンに、今では到底双子には見えなくなったユリンが玉砕している。爆弾によって、背中と顔半分に火傷を残したユリンと、四年成長がずれてしまったユアン。二人はもう、双子には見えない。だけど、どちらも気にしていないらしい。それに、双子には見えなくても、兄弟にしか見えないのは変わらないのだ。
そして、まさか、ティエンとカルーラさんが結婚しているとは思わなかった。更に、結婚するならエレナさんが理想なのとうっとりと語ったドーラさんが選んだ相手がゆで卵……隊長だとは思いもよらなかった。一体何がどうなってそうなったのか分からないけど、まあ、幸せそうだから問題は何もない、はずだ。
次いで玉砕したイヴァルが身体ごと回転したけど、問題は何もない、はずだ。
またオリガミをしようねという約束を果たしたユアンとリリィは、最近ちょくちょく二人で出かけてるらしいと、ユリンが悔しがっていた。ユアンが帰ってくるまでは特定の相手を作らないスタンスだったのに、当のユアンにいい雰囲気のリリィが! と、哀愁を漂わせていた。
ユリンは、ネイさんとよく飲みに行って愚痴を聞いてもらっているらしい。ネイさんは、ユリンからユアンの情報を聞いて人となりを採点しているとカルーラさんが言っていた。ユアンはいい子ですよイギュネイシャボンさん! と言ったらチョップくらった。
会場内をきびきびと歩き回るエレナさんの左右に、きらきらと憧れの眼で彼女を見上げる二人がいた。一人は国賓のはずなんだけど、今日は無礼講らしい。だから、国賓がグラス回収してる。私の知ってる無礼講と違う。
国賓は、私の視線に気づいて、くしゃりと笑った。
「アニタ、エリーゼ!」
二人に手を振る。二人はお互い目配せして、持っていたグラスを傍のテーブルに置く。そして、とても優雅な礼をくれた。
アニタは、ルーヴァル代表として式に参加してくれたミヴァエラ王子の婚約者としてここにいる。再会した途端、土下座に近い勢いで謝られた。その横で、エリーゼも同じように土下座していた。何事の謝罪――!? と叫んでしまったけど、そういえば、故意と無意識の違いはあるけれど、この二人に殺されかけたんだった。私が許さなかったら修道女になると固く誓っていた二人に、可愛く笑ってくれたら許して進ぜようと悪代官になったらぽかすか殴られた上に泣かれた。痛かったけど可愛かった。
エリーゼは昔、スヤマと呼ばれていた時代がある。綺麗な名前を貰ったね、エリーゼ、よかったね。自分の居場所を守ろうと、ぎらきらぎらぎら光って泣き叫んでいた子どもはもういない。今にも砕け散りそうな刃物のような瞳は、今ではうっとりとエレナさんを見上げている。あれ? 二代目ドーラの道を?
ついでに言うと、アマリアさんはお子さんが生まれたばかりで来られなかった。おめでとうございます! 産後直後に王の元に現れた暗殺者をぶちのめした武勇伝は、未来永劫語り継がれる事でしょう!
ヴィーと、ヴィーの親友でブルドゥスの王女ヴァルとも、ようやく話が出来た。ヴァルとエリオス様は、この城がヌアブロウ達に占領されていた時、一緒に苦難を乗り越えていく内に仲良くなったらしく、あっという間にご結婚されていた。なんなんですか。結婚ラッシュですかと思っていたら、ラグビー部様とヴィーも結婚していた。思う思わないに拘らずラッシュでした。
四年経ち、ラグビー部様はラグビー監督様になっていて、書道部様は書道部顧問様になっていた。エリオス様は、爆弾の後遺症で左半身がうまく動かせないけれど、元々得意だったアンキの腕はさらに磨かれたと笑っていた。そして、あの時聞きそびれたアンキが暗器だと、ようやく分かったのである。
東の守護地からは、力添えへの感謝と謝罪。そして、ユアンを守ってくれてありがとうと、二人のサイン入りの手紙が届いていた。
ヒューハは、今も牢にいると言う。アーガスク様とエリオス様は、あの時反旗を翻した騎士と軍士の罪は、国の責であると言って、彼らを不問とした。勿論監視は付けられるが、彼等は戦災の被災者だと解放された。けれど、未だに牢から出ない人間が数多くいるのだと言う。処刑の沙汰を、彼等は今も待ち続けている。最初から許されるつもりのなかった彼らにとって、許しは苦しみでしかないのだろうか。けれど、新王の二人は、彼らが牢から出られる日が、両国の戦争の終わりだと言った。だから、諦めないとも。
その日が来るのを、私はこの同じ世界で待っていたい。
もう一つ、二人は、私に権力はいるかと問うた。黒曜の名で、全てから独立した機関を作れるし、その様な要望が多数来ていると。
私は断った。黒曜の名も、幻想も、すべて私には過ぎたるものだ。卵焼きの焼け方が毎朝の大事件である私には、背負えるはずもないものである。
そう答えた私に、二人の王様は膝をついた。慌てる私の手を取り、額をつける。
「貴女に報える世界を、必ず捧げよう」
寸分違えることなく発せられた言葉に、捧げられても困るので、見せてもらうだけで充分ですと答えたら爆笑された。
「よ! カズキ! おめでとさん!」
「ナクタ! ありがとう!」
「なあ、カズキ、シャルン見なかったか? あいつ、あんたの結婚式に合わせて本出すんだって、毎日徹夜でさ。すぐ飯食うの忘れるんだぜ? ったく、手が焼けるぜ」
「シャルンさんならば、あちらの木陰で直立不動であったよ?」
「あ、それ寝てるわ。わりぃ、ありがとな!」
ナクタはドレスの裾を縛り、豪快に駆け出して行った。シャルンさんの女性言葉は今だ直らず、ナクタの言葉遣いも四年経っても変わる気配はないようだ。
イツキさんとツバキは、こっちに一緒に帰ってきてすぐにガリザザへ、エマさんの元へと戻っていった。色々大変だろうし、風当りも強いだろう。だけど、イツキさんは選んだ。エマさんの元へ帰ってくることを選んで、ガリザザへと戻った。
エマさんは、皇帝として頑張っている。結婚式に参加できないことが無念でならないと四回くらい書かれたお祝いの手紙が届いた。ガリザザは、恨みと悲しみを抱えたまま、なんとか回っている。今はまだ半年近く国を開けるわけにはいかないけれど、いつか、こっちに来られるくらい国を落ち着かせてみせると書かれてある。そして最後に、あの村は解いたと、一言だけ。
今度、イツキさんとエマさんの結婚式があるから、新婚旅行がてら行ってきたいけど、ルーナはあまり乗り気じゃないので、まあ、要話し合いである。もしも行けたら、その時にはいっぱい話をしたい。
「カズキ?」
リリィが小首を傾げた。非常に、可愛い。
ガルディグアルディア含むブルドゥス裏三家と、グラースでも同じような立場にある三家は、今回の騒動で得て手を組んだ。総勢六家による、雑貨店やカフェ、本屋などの店が二国に広がっている。今回、目が届かず王都にまで手を出されたことを、彼等は相当頭に来ていたらしい。情報収集を兼ねた、前代未聞のチェーン店の開催である。アードルゲも相当関わっているらしい。実は、私はその内のどこかで働かせてもらえる話になっている。グラースとブルドゥス、どっちで暮らしてもどちらかに角が立つから、どうせなら交互に暮らせばいいじゃないというヴィーとヴァルの提案だ。どこかの店に私がいますよっていうだけで宣伝効果になるらしい。ちょっと、客寄せパンダになった気分だ。
「そろそろ騎士ルーナの所に行ってあげなくていいの?」
はっとなる。リリィに見惚れていたけど、ルーナ大好き。今すぐ会いたい。
そわそわし始めた私の両手を握りしめ、リリィはふわりと微笑んだ。
「言いそびれてたんだけど、カズキ、いらっしゃい」
「え?」
「それと」
背が伸びたリリィはもう、背伸びしなくても私の頬にキスが届いた。
「おかえりなさい、カズキ」
「ただいま、リリィ!」
私には故郷が二つある。
それはとても苦しくて、とても幸せなことだった。
ルーナを探して広い庭園を彷徨う。監視カメラ代わりに立っている騎士と軍士の前を通り過ぎるたびに敬礼してくれるので、私も敬礼を返していたら何度も転びかけた。
「カズキ」
「アリスちゃん!」
グラスを片手に珍しく一人で立っていたアリスが歩いてくる。酔っているのか、頬が少し赤い。これも珍しい気がする。
「ルーナはどうした?」
「ご両親とお喋りされていたので、デザート巡りへと出立すらば、帰還できぬこととなったよ!」
「たわけ」
酷く静かなたわけに首を傾げる。グラスを置いたアリスが無造作に両手を広げたから、私も真似して広げた。そのまま抱きしめられて、私も思いっきり抱きしめる。
「私では、泣かせてやれんからな」
「え?」
柔らかく解けたアリスの瞳が近づいてきて、額に唇が触れた。
「好きだ、カズキ。愛してる」
「私も、アリスちゃんが大好き!」
アリスはふわりと笑う。
「知ってるさ。さあ、行け、親友! ルーナはあっちだ!」
「ありがとう、アリスちゃん!」
「おめでとう、カズキ!」
背を押されて駆け出す。
普通花嫁は走らないらしいけど、ここにいる人達はもう呆れもせず、それどころかそれいけといわんばかりに道を開けてくれる。
その道の先に、ルーナがいた。
ずっと、この人を目指して走り続けた。その過程で、色んな景色を見てきた。
人の心は脆い。脆さを補おうと鉄のような硬さを得れば、それは最早心とは違う異質な何かとなる。心のままに強くなろうとするのなら、全てを受け入れず弾き返す硬さではなく、柔さで受け取るしなやかさが必要なのかもしれない。
いろんな強さを、皆がくれた。しなやかさをくれた。しなやかに強い心を構成する愛を、たくさん、たくさんくれた。
「ルーナ!」
「カズキ!」
両手を広げてくれたルーナの胸に飛び込む。もう何でもかんでも歓声を上げる人達が、またわぁっと拍手を打ち鳴らす。花が降り、世界を彩る。
目指した愛への道のりは、凄まじいほどの愛に満ちていた。
だから、世界は、神様は、私にとても優しかったのだ。
「ルーナ、大好き!」
「俺も、お前が大好きだよ、カズキ。愛してる」
そうして重なった幾度目かの誓いの口づけは、溢れんばかりの愛おしさに満ちていた。