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ガチャガチャ



放課後の教室は静かで好きだ。


夕陽が斜めに差し込み、埃の粒がキラキラと踊っている。

 

私、長谷川(はせがわ) 莉乃(りの)はクラス委員長として、誰もいなくなった教卓で回収した書類を整えていた。


人見知りで、決められたルールや「委員長」という役割の中にいるのが一番楽だと思っている私にとって、この静かな時間は何よりの安らぎだった。


でも、その静寂は、ふわりと漂ってきた甘い香水の匂いによって破られる。


「あれ? 委員長じゃん。まだ残ってたんだ」


顔を上げると、そこには七瀬(ななせ) 紗菜(さな)がいた。

 

明るく染められた髪、短く詰められたスカート、そして眩しいくらいの「ギャル」。

私とは住む世界が違う。一度も、まともに言葉を交わしたことなんてなかった。


「……うん。もう終わるけど」

「ふーん。真面目だねー」


彼女はいたずらっぽく笑うと、ひらひらと手を振って教室を出て行った。

それが、私たちが初めて交わした、意味のない言葉だった。



数日後の放課後。

私は駅の近くにある、ガチャガチャ専門店にいた。

ここは私の隠れ家だ。誰の目も気にせず、自分の「好き」に向き合える場所。


私がその日、どうしても欲しかったのは「ゆるいパンのぬいぐるみ」。

特に、チョコの部分にだけ白い顔が描かれたチョココロネ。「パンが本体じゃないんだ」と心の中で突っ込まずにはいられない、加えて絶妙にやる気のない表情に、私はたまらなく惹かれていた。


百円玉を三枚投入し、ハンドルに手をかける。

カチ、カチ、という乾いた音が響く。

その時だった。


「え、めっちゃいいよね、そのパン」


心臓が跳ねた。

振り向くと、そこには私と同じ制服を着た紗菜が立っていた。放課後の校舎で見かけるよりも、専門店のライトに照らされた彼女はさらに眩しく見える。


「……あ、えっと」

「あはは、そんなに驚かなくても。見てよ、私も実は持ってるんだよね」


彼女がスクールバッグの持ち手から取り出したのは、

最近当てたばかりだという同じシリーズのメロンパンだった。


網目模様の真ん中に、これまた「無」を体現したような、やる気のない顔が描かれている。


「かわいーよね。この顔、マジでツボ。委員長はどれ狙ってんの?」なんて踏み込んでくる。


派手なネイルを施した彼女の指先が、小さなメロンパンを愛おしそうに撫でる。

クラスの女王のような彼女と、やる気のないメロンパン。

 

そのアンバランスな光景は、

私の中にあった「ギャル=怖い、理解できない」というフィルターを、一瞬で取り払ってしまった。



その日から、彼女は学校でもお構いなしに距離を詰めてくるようになった。

最初は「委員長」と呼んでいた彼女が、ある日の放課後、不意に私の名前を呼んだ。


「ねえ、莉乃さ。今度ショッピングモールの、めちゃくちゃ広いガチャコーナー行こうよ。あそこなら出会いあるっしょ」


自分の名前が、彼女の少しハスキーな声で響く。

慣れない音に、私の顔は一気に熱くなった。


「なになにー? 莉乃、名前で呼ぶのそんなに恥ずかしい? 照れすぎでしょ!」


彼女はぐいっと顔を覗き込んできて、いたずらっぽく笑う。

その瞳の奥には、見た目の派手さとは違う、深く、透き通った光があった。

人見知りで友達のハードルが高い私にとって、彼女のその「話せばもう友達」という感覚は、未知の深さとして映った。


「……別に、恥ずかしくないし。……行こう、そこに」


思わず頷いてしまったのは、きっと彼女の「好き」という直感に、嘘がないことを知ってしまったからだ。

 

彼女は「委員長」である私を見ているんじゃない。

同じ「やる気のないパン」を愛でる、ただの「莉乃」として、隣に立とうとしてくれている。


「決まり! じゃあ、次は私服で待ち合わせね。あ、楽しみすぎて寝れないかも!」


彼女は友達に「一緒に帰ろ」と誘われても、「今日は莉乃とガチャガチャするって決めてんの!」と断り、私の手を引いて駅へと向かう。

手が触れた時に、私の心臓は拍動のテンポを忘れたかのように前のめりに走っていた。


次の休み、待ち合わせ場所のショッピングモール。


人混みの中で、私は自分の格好を少しだけ気にしていた。機能性を優先した、いつもの地味な私服。


対して、遠くからでも一目でわかった紗菜は、今どきのアイドルのような、眩しいほど洗練された姿をしていた。


「莉乃! お待たせ!」


駆け寄ってくる彼女のスタイルに、周りの視線が集まる。 


「……紗菜、その格好、すごいね」

私が圧倒されていると、彼女は私の機能性重視な服をまじまじと見て微笑んだ。


「莉乃のそれ、いいね! 動きやすいのって優勝だよね。あ、もし途中でクマとか出たら、おんぶしてねーよろー!」


「……え、おんぶ?」

「私はさ、動きやすさより『好き』を貫くタイプだから。疲れたらよろしくってこと!」


自分のスタイルを誇りながら、私の価値観も「優勝」と肯定してくれる。そんな彼女のフィルターのない言葉に、私はまた一つ、彼女の「中身の深さ」を見つける。


二人はまずコーヒーショップへ。

私は自分好みの「重めカスタム」を注文した。

「へー! 意外。莉乃ってそんなの飲むんだ、重めなの好きとかマジうける」

「……実は、ここ好きなんだよね」

期間限定のドリンクを持つ紗菜と、意外な共通点に笑い合う。見た目は真逆でも、中身のこだわりは似ている。そんな小さな発見が、二人の距離をぐっと縮めていく。



巨大なガチャガチャコーナーに入ると、紗菜が先行して「ねーねー!」と私を呼ぶ。そこにはパンシリーズに負けず劣らずやる気のない顔をした「お寿司」があった。


「もうパンで十分なのに」と笑いながらも、二人で一回ずつ回すことにした。

私が出したのは、いくらの軍艦巻き。

なぜか海苔の部分に白い顔が描かれていて、いくらはただの飾りだ。

紗菜が当てたのは、シャリの部分に顔があるサーモンだった。


「あはは! 見て莉乃、これ海苔が本体なんだ!」


笑い転げる紗菜。その瞳は店内の光を反射して、奥深くでキラキラと輝いている。

 

ふと、さっき紗菜が言ってたおんぶを思いだす。

 

「……さっきの、おんぶのやつ。私、筋トレしなきゃな」

 

私が大真面目に答えると、紗菜は一瞬きょとんとしてから、今日一番の爆笑を見せた。


夕闇が迫る帰り道。

駅へと向かう道すがら、不意に彼女の温かい手が私の手に触れた。

普段の私なら戸惑って何もできないはずなのに、この日は、絡まった指を自分からも握り返していた。


「……ん!」

紗菜は驚いたように声を漏らしたけれど、すぐにあのいたずらっぽい笑顔で、もっと強く握り返してくれた。


「これ、明日から学校のカバンにつけようね」

カバンに揺れる「いくら」と「サーモン」。


「また行こうね」

私が勇気を出して言うと、彼女はさらりと

「ん、明日も行く?」と返してきた。

 

あまりのスピード感に、私の思考は停止する。

「……え?」

「あはは、可愛い。顔真っ赤だよ」


その一言で、私の心臓は破裂した。


最寄り駅で私が先に電車を降りる時、ドアの向こうで紗菜が小さく手を振っていた。

電車が動き出し、遠ざかっていく彼女の姿を見送りながら、私は深く息を吐く。


ガチャガチャを回す音、カプセルが開く瞬間の期待。

そして、彼女と過ごす眩しい時間。


そのすべてが、私にとって何にも代えがたい「特別な光」になった日だった。

 

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